そうだ、自己紹介だ!

電車での移動中、時間を持て余していたので、仲の良い友人たちのことを考えていた。年下の友人、年上の友人、しばらく会っていない友人、週に一度は顔を合わせる友人。家族を「友人」だと思うことは、ぼくには少しむずかしいけれど、恋人は友人だと思えたりする。そんな友人たちのことをぼーっと考えながら、仲が良いってなんだろう、と電車に揺られながら考えていた。

べつに、ここからあっちは仲良し、こっちは仲良くない、なんて区切りをつけたいわけじゃない。自分にとって仲良しな人は、どうして仲良しだと思うんだろう、どうして仲良しなんだろう、というのを考えていた。

どれだけその友人のことを知っているか、というのは、要素としておおきい。それがすべてだと言うわけじゃないし、言いたくもないけれど、やっぱりおおきな要素だと思う。

例えば、この人はこんな仕事をしていて、こんな生活をよく送っています、という紹介ができる知り合いはたくさんいる。けれど、ぼくにとって友人と呼べるべき人は、もちろん偏見かもしれないが、この人はこんなのが好きで、こんなことで喜んで、こんなことで怒ったり、こんなことで笑います、といったことを少しは知っているんじゃないかな、と思ったのだ。

彼は、彼女は、何で喜び、何で笑い、何に怒りを感じて、何で哀しみをおぼえるのか。ぜんぶを知ることはできないけれど、少しくらいなら、知っている。ぼくにとっての「友人」は、そんな人たちのように思う。

そうだ、これって、自己紹介だ!いま書いた文章をそっくりそのまま「私」に変換すれば、これ以上ない自己紹介になるじゃないか。私は何で喜び、何で笑い、何に怒りを感じて、何に哀しみをおぼえるのか。肩書きや経歴なんかよりもよっぽど、こっちのほうが自己紹介だ。ほんとうの自己紹介って、こういうことだ。

それがまだ分からないなら、一緒に探していけばいいのだし。自分とはちがうのなら、そのちがいを楽しんだり、咎めることなく話しあったりすればいいのだし。そうした価値観を固定することなく、曖昧な輪郭を保ちながら、分け合ったり見せ合ったりして、ゆるやかに変化させていく。そんなことができる仲が、友人なんじゃないだろうか。

ああ、この自己紹介っておもしろそうだな。強制することなく、こんな自己紹介をし合える場をつくれたら、おもしろいかもしれない。もちろん、たった一回で仲良くなる必要はないし、時間をかけて育んでいくものでもあるけれど、そういう心持ちで人と関わることができたら、もっといい時間になるんじゃないだろうかー。

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