わからないは、想像の宝庫だ!

*「そんなことも知らないの?」ということばを人から言われて、そんなことも知りませんよ、と思った。知らないことで胸を張るつもりはないが、知らないことを恥じるつもりもない。知らない、わからないことは、ほんっとうに多いし、なくならないのだと、ちょっと負け惜しみ気味に言い聞かせてみる。


「わからない」ことは、ほんとうに多いよー。だって、答えがあるものばかりじゃないんだもの。答えがあるものにしたって、わかっていないことや、解き方さえもわからないことはあるのに、答えがないものという、さらに大きな世界もあるわけだ。「ああ、わかりっこない」と匙を投げたくなるけれど、知的好奇心を持つおいらたち人間は、わかりたいとどこかで思いながら日々を生きている。


「わからない」ことを、「わからない」ままにしておいたっていい。調べて正解を見つけることがすべてじゃないし、わからないならわからないなりの遊び方ってのがあるはずだ。そうだ、わからないから、人々は想像してきたんじゃないか。わからないから、想像で神話やおとぎ話を作ったり、わからないからその人になりきってみて、気持ちを想像したりする。そうだ、「わからない」とは、想像の宝庫だ。「わからない」の中にこそ、想像できる余白がたっぷりとひそんでいる。


「わからない」を、もっともっと見つけよう。わかりたいと思ってもいいし、わかるために調べたり、勉強したり、想像したりすればいい。その遊びをずうっとしているだけで人生が終わっちゃうくらい、「わからない」は果てしなく広くて、数え切れないほど多い。「わからないことは宇宙くらい広いしおおきいよ」なんて言ってみたって、その宇宙がどうやって生まれて、どれくらいの広さで何がいるかさえも、ぼくたちはまだわかっていないんだから。


なによりおもしろいことは「わかる」ために調べたり勉強したり話し合ったりすることって、わかるわかると前に進めば進むほど、「わからない」の景色が広がっていくことなんだよなー。

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