記事一覧
晩夏のカミーノ⑤ 最終話 ~橋の向こう側
窓の外をゆくにぎやかな楽隊の音で目が覚めた。ラベの不思議な祭りは、今日も続いているらしい。おまじないのように右手首に結ばれた、青い毛糸の輪っかはそのままだった。そして気のせいか、右腕の痛みは少しだけ和らいだように思える。
このひなびたオスタルが、巡礼者に人気の理由がわかった。カミーノ沿いの宿にはめずらしく、朝食にゆで卵が出るのだ。
Miwakoはもちろん大喜びである。朝食に卵を食べないと、歩く
晩夏のカミーノ④ ~ラベの犬祭り
アタプエルカは、原始時代の人骨が発掘された村なのだという。失礼ながら、こんななんにもないところに……と思わずにはいられなかった。太古の昔はこのあたりも、おいしい木の実が穫れる森だったのだろうか? せっかくなので、世界遺産の遺跡を見てみたい気もしたが、巡礼道からは少し離れていたので断念した。
私たちが今夜泊まるのは、オスタルというより民宿といったていの一軒家だ。たとえ巡礼の旅であっても、なるべく贅
晩夏のカミーノ③ 〜死と再生の森
3日ぶりの太陽が輝いていた。去ってしまったと思っていた夏が、また戻ってきたみたいだった。私もMiwakoも天を仰いで深呼吸し、幽かな夏の香りを少しでも吸い込もうとした。
巡礼者で混み合う朝食会場に、マルタの姿はなかった。確かにここに泊まっていたはずだが、彼女はうんと朝早く出発したのかもしれない。
途中までは、ギラギラした陽射しに炙られながら山を登った。顔に首筋にたちまち汗が流れたが、ひとたび森
晩夏のカミーノ② ~美しい世界にて
昨夜はごく上等な赤ワインを一杯だけだったので、二日酔いなんていうこともなく、目覚めは爽やかだった。昔風の大げさなベッドから起き上がろうとして、私は腕の痛みに顔をしかめた。
ビロリア・デ・リオハの宿の朝食は、例によって卵料理こそなかったが、薄切りのハムにチーズに新鮮なフルーツと、女将の心尽くしだった。昨夜は魔女の家だなんて思って、申し訳なかった。
小さく切ってかわいく楊枝に刺したフルーツなど、ス
晩夏のカミーノ① ~再び星の道へ
夜のマドリッド・バラハス空港は、思いのほかひと気がなく、息を潜めたように静かだった。どこか別の星に、間違って降り立ってしまったのだろうか? 熊野名産の皆地笠に、カメラを向けてくる観光客の姿もない。私もMiwakoも言葉少なく、足早にタクシー乗り場に向かった。
三羽ガラスで歩いた春のカミーノから、ちょうど3カ月──2019年の夏の終わりのことである。
Miwakoが無口なのは、初めてのルフトハン
春のカミーノ⑮ 最終話 ~ナヘラからサント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサーダへ
「今日は、先に出発するね」決意をこめた表情でMiwakoが言った。春のカミーノを歩き始めて、11日目の朝──三羽ガラスの巡礼、最終日である。
最後の日くらい、仲間に迷惑かけたくないのだという。今日の行程は、ナヘラからサント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサーダまでの21.3km。幸い、ほぼ一本道なので迷う心配はなさそうだ。
後半のシルエーニャから先、ラスト7kmは今回の旅で一番のハイライトの絶景だ。こ
春のカミーノ⑭ ~ログローニョからナヘラへ
古来「星の道」と呼ばれるカミーノで出会い、ともに歩いた人というのは、自分の鏡であり、先生であり、メッセンジャーであり……もしかしたら前世でも、少なくとも知り合いだったかもしれない。
私たちは今回、最初から三人連れだったし、アルベルゲ(巡礼宿)にも泊まらないので、そういった出会いにはあまり縁がなさそうで残念に思っていた。しかしカミーノというのは、私たちに罠もかけるが、出会いについても抜かりはなかっ
春のカミーノ⑬ ~ビアーナからログローニョへ
ビアーナのホテルの朝食ビュッフェには、卵料理がふんだんに用意されていた。トルティージャはもちろん、目玉焼きにゆで卵にスクランブルエッグ、スペインでは珍しいポーチドエッグまであった。
パラドールとまではいかないが、さすが旧伯爵邸のホテルだ。一瞬ここがスペインの巡礼道であることを忘れた。
「わあ、卵! やった〜!」
Miwakoが大喜びで飛びついた。今朝はパン祭りはお休みで、めったにない卵祭りだ
春のカミーノ⑫ ~ロス・アルコスからビアーナへ
3年前の取材で訪れたときから、ロス・アルコスは気になる村だった。エステージャのようにスピリチュアルなアイコンという訳ではなく、なんてことない田舎なのだが、不思議な引力みたいなものがあった。
このたびのMiwakoのストックをめぐる一連の出来事も、この村のマジックだったように思える。
宿のオーナーにその昔、誰かが託した青いストックは、何年もの間、ずっとMiwakoを待っていたのかもしれない。そし
春のカミーノ⑪ ~エステージャからロス・アルコスへ
カミーノ沿いに点在する、無数の町や村の中でも、エステージャはとりわけスピリチュアルな印象がある。旧市街の後ろにそびえる、大きな磐座(いわくら)のせいかもしれない。
ナバーラ王宮の側のサン・マルティン広場は、特に心惹かれる場所だ。磐座の強いエネルギーが、そのまま流れ込んでくるように思えるのだ。
広場の真ん中には、中世の時代の小さな泉がある。名もない泉だが、新月の夜にはひっそりと真実を映す──そん
春のカミーノ⑩ ~プエンテ・ラ・レイナからエステージャへ
毎度のことながら、私たちはまた飲み過ぎてしまった。締めにナバーラ名産のコケモモ酒、パチャランを飲めば二日酔いしないと信じているのだが、そろそろパチャランからも苦情が来そうだった。
プエンテ・ラ・レイナ旧市街のワインバーGanbaraは、カミーノで見つけた小さな宝石だった。気のいいオーナー夫妻とお嬢さんに、また会いたいと思う。
巡礼の旅も6日目。地図に載っている高低図を見る限り、今日のルートはこ
春のカミーノ⑨ ~プエンテ・ラ・レイナ(王妃の橋)にて
大変残念なことに、プエンテ・ラ・レイナの旧市街は、東西にかなり細長く伸びていた。そして私たちの今夜の宿は、その一番西の外れにあった。
ぺルドン峠で痛めた足を引きずり、やっとのこと目的地にたどり着いた喜びもつかの間──さらに1km以上歩かねばならない不運を呪った。しかしその宿をわざわざ予約したのは私なので、要は自分のせいなのである。
メインストリートのマヨール通りには、中世の時代に建てられたサン
春のカミーノ⑧ ~パンプローナからペルドン峠へ
ナバーラ名産パチャランのおかげで二日酔いにはならなかったが、久しぶりに悪夢をみた。意識の深い深いところまでブクブク沈んでいって、そこから一気に浮上してぽっかり目覚めた、そんな感じだった。
この十年くらいの間に出会った人たちが、次から次へと、これでもかというくらい出てきて、私は軽くうなされた。会いたい人も会いたくない人も、女も男もごちゃ混ぜだった。
悪夢をみるのは良い兆し。カミーノを歩いていると
春のカミーノ⑦ ~スビリからパンプローナへ
三日三晩、降り続いた雨はようやく上がった。こんなに降るなんて年に何度もないのよと、宿のおねえさんが肩をすくめていた。昨日はやはりアルガ川が氾濫し、この先の巡礼道が水に浸かったそうだ。「でも今日は大丈夫! あなたたちはラッキーね」彼女はウインクしてくれた。
本当に大丈夫なのだろうか?
ここ数日の経験から、カミーノは我々に罠をかけるということがわかってきた。思わぬ非常事態に備えて、カロリーを摂っ
春のカミーノ⑥ 〜ロンセスバージェスからスビリへ
漢方薬がよく効いたせいか、私は少し寝過ごしてしまった。いや、オスタルの夕食で出された巡礼者のためのワインを、さくらちゃんにつられて何杯も飲んだせいかもしれない。
たとえ安いテーブルワインでも「巡礼者のための」という名がつくと、途端にありがたみとおいしさが増す。その結果、つい飲み過ぎてしまうのだった。
コーヒーだけでも飲もうと下に降りていくと、Miwakoが私を見るなり、バツが悪そうな顔をして、
春のカミーノ⑤ 〜ピレネー越えからロンセスバージェスへ
ケルンの十字架のあたりには、巡礼者を惑わす魔物が潜んでいたのだと、私は今でも信じている。少なくとも、そこが結界であったことは間違いない。
山はすべからく異界だ。ハイキングの山であれ、巡礼の山であれ……そこには必ず結界が存在する。人の生きる世界と、異界とを分ける境い目。うっかり無礼をはたらいてしまうと、その後いろいろ不都合が起こってくることになるが、さて、私たち三羽ガラスはどうであったか──?