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春のカミーノ⑦ ~スビリからパンプローナへ

三日三晩、降り続いた雨はようやく上がった。こんなに降るなんて年に何度もないのよと、宿のおねえさんが肩をすくめていた。昨日はやはりアルガ川が氾濫し、この先の巡礼道が水に浸かったそうだ。「でも今日は大丈夫!  あなたたちはラッキーね」彼女はウインクしてくれた。

本当に大丈夫なのだろうか?

ここ数日の経験から、カミーノは我々に罠をかけるということがわかってきた。思わぬ非常事態に備えて、カロリーを摂ったほうが良さそうだ。今朝は私も、Miwakoのパン祭りに参加することにした。

ビュッフェではなく各自にサーブされるスタイルだったので、一人が食べられるパンの数は決まっていた。それでも、結構なパン祭りには違いなかった。

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写真を見て、わかる方はおわかりの通り、これはもうフランスではなく、スペインのパンである。グルメ番長のさくらちゃんは「昨日のパンのほうが、断然おいしかったな」と呟いていた。ただしジャムとオレンジジュースについては、こちらに軍配が上がったそうだ。

これが日本であれば、温泉卵か卵焼きが、アメリカであれば、スクランブルエッグかベーコンエッグが出るところだ。フランスでもスペインでも、巡礼道の朝食で卵料理にお目にかかることは、滅多にない。(パラドールなどの高級ホテルは別である)

そういえば、メキシコ人の友人がイタリアに嫁いで、「朝食がちっぽけなデニッシュとコーヒーだけ」というのが、一番の衝撃だったそうだ。ちなみにメキシコでは、朝から手の込んだ卵料理が食べられる。

「卵を食べないと、朝から力が出ないんだよね……」と、Miwakoはメキシコ人のようなことを言っていたが、卵を食べたからといって、速く歩けるようになるわけでは勿論ない。

食い物にうるさい罰当たりな巡礼者3名は、久々に雨具を脱ぎ捨て、意気揚々とスビリの村を出発した。

今日の目的地は、牛追い祭りで有名なパンプローナ。ナバーラの州都、大都会である。生ハムの専門店やにぎやかなバル街もあると聞いて、さくらちゃんは朝からテンションが上がっていた。

Miwakoは少し名残惜しそうな顔をしていた。昨夜の演奏に涙ぐんでくれたイケメンに、心惹かれているのかもしれない。

「ミワコさーん、置いていきますよー」とさくらちゃんに急かされて、慌ててあとを追っていた。雨がやんだので、久々にアルトサックスを背負っての巡礼である。

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スビリから、次のララソアーニャまでは約5km。アルガ川に沿った小道をゆく。昨日、氾濫したというのは嘘ではないようだった。いまも巡礼道すれすれまで増水したままで、私たちはややビクビクしながら歩いた。草木の倒れ具合からして、この辺りもすっかり水に浸かっていたのは明らかだ。

濁流が渦を巻き、流木を押し流していく。きっと普段は穏やかな川なのだろうが……これも自然のむき出しの姿なのだった。

巡礼道は、テーマパークのアトラクションではない。中世の昔から人々が命がけで旅した道を、現代の私たちがたどるのだ。ここは冬の雪山でも、灼熱の砂漠でもないが、それでも常に死と隣り合わせであるには違いなかった。

数年前に登った、スリランカの聖なる山・アダムスピークを思い出した。真夜中に出発し、山頂で御来光を拝むのだが、豪雨で何も見えなかった。そして帰り道は、参道沿いの茶店が流されそうなくらいの濁流となっていた。腰まで水に浸かりながら歩き、冗談ではなく「私はここで死ぬのだろうか?」という考えが、チラッと頭をかすめた。

ガイドをしてくれた現地の男の子は、無口で無表情で、何を考えているのかさっぱりわからなかったが、特に心配しているようにも見えなかった。

今にして思えば、あの無表情に救われたのかもしれない。こんなのは大したことじゃない、よくあることだ。そう思えたから、平常心でいられたのだ。

いまの私は、あのガイドの男の子の立場だった。Miwakoとさくらちゃんを私に預けてくれたご家族の、全幅の信頼に応えなくてはいけない。

濁流におびえて足早になったせいか、2時間足らずでララソアーニャの集落が見えてきた。ここは素通りして、次のスリアインまで約4km、頑張って歩くことにした。

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今日の行程は、トータル20.9km。アップダウンの少ない、比較的歩きやすい道である。なるたけ早くパンプローナの町に着いて、生ハムにありつきたい……という思いは、三羽ガラスとも同じだった。

スリアインには、お昼前に到着できた。橋のたもとの小綺麗なバルに立ち寄る。2階はアルベルゲになっているようだ。スペインのランチタイムは午後2時頃からなので、かなりフライング気味だったが、ここで軽くつまむことにした。

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マッシュルームの入った、おいしそうなトルティージャ(スペイン風オムレツ)が焼き上がっていた。だいたい朝10時を過ぎると、バルに卵料理が降臨するのである。

サン=ジャン=ピエ=ド=ポーで食べた、バスク風オムレツの地位は揺るぎないものだったが、ここのトルティージャも悪くなかった。Miwakoは幸せそうな顔で、念願の卵を頬張っている。

歩くのが誰よりも苦手で、誰よりも遅いMiwakoが、こんなにカミーノを歩き続けている理由はなんなのだろうか、と思った。

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昨日の険しい山道とはうって変わって、拍子抜けするほど平らな道が続いていた。スリアインから3kmほどのところで、巡礼道は二股に分かれる。右手の丘を上ってゆくと、教会があるようだ。

「少し遠回りになるけど、どうする?」とさくらちゃんに聞くより早く、彼女は迷わず、丘をめざして歩き出していた。

すごく有名な教会、というわけでもなさそうだったが、パンプローナまではあと8km足らずだ。寄り道したって別に構わない。さくらちゃん、私、Miwakoの順で列になって、ちょっと熊野古道を思わせる急坂を上っていった──。

美しい緑に囲まれた小さな教会だった。フランス人らしいお洒落な巡礼者グループが、草上の昼食を楽しんでいる。雨上がりの木々に日の光が差して、小鳥がさえずり、まさにこの世の楽園みたいだった。

鐘楼は、教会の大きさには不釣り合いなほど立派で、素晴らしい景色が望めるという。高い所が苦手な私は、気が進まなかったが、さくらちゃんはあっという間に、らせん階段を駆け上っていった。足は遅いが好奇心旺盛なMiwakoも、後に続いた。仕方がない……

確かに素晴らしい眺めで、二人とも歓声を上げていた。古めかしい鐘が、横並びでふたつ。ひとつには何やら注意書きが掲げてある。私は近づいて読んでみた。

「木の床が古くなっているので、こちらの鐘には近づかないように」

慌てて飛び退いた。カミーノにはまったく危険な罠がいっぱいだ。

大丈夫なほうの鐘を、さくらちゃんは高らかに鳴らした。何か思いを込めて、鳴らしているようにも見えた。ここに鐘があるということを、彼女は知っていたのかもしれない。人は前世の記憶に導かれて、旅をすることがあるという。もしそうであるなら、さくらちゃんは、ここでどんな人生を送っていたのだろうか。

「こんなのをもらったよ〜」教会を出たところで、さくらちゃんが一枚の紙をひらひらさせた。日本語で「巡礼者の垂訓」と書かれている。ほかに英語やスペイン語や韓国語や、いろんなバージョンがあったそうだ。垂訓は10番まである。さくらちゃんは最初の文言を読み上げた。

巡礼者は幸いである。巡礼が見えないものにあなたの目を開くならば。

「ふ~ん、巡礼って奥が深いんだね~」彼女はさらっと呟いて、あとは寝る前にゆっくり読むのだと、紙を四つ折りにしてリュックにしまった。

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久しぶりに見る爽やかな青空だった。もう当分、雨の心配はいらないだろう。今朝、私たちを震え上がらせた濁流も、遠い夢のように思える。

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「写真を撮ってくれませんか?」アメリカから来たという、華やかな巡礼女子3人組に声をかけられた。

美人の三姉妹と思ったら、お母さんと双子の娘さんだった。娘さんは高校生くらいか。「お母さん、キレイ! 超若い!」さくらちゃんが驚いている。いやいや、あなたもですよ、と私は内心呟いていた。

イケイケマダムのさくらちゃんは、三児の母である。息子さんが一人、娘さんが二人だという。「お子さんたちと、巡礼したりする?」と聞いてみた。
「ないない、あり得ない!  そんなタイプじゃない!」さくらちゃんはゲラゲラ笑っていた。

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パンプローナの町に着いてから、城壁に囲まれた旧市街に入るまでが、やたら長い。太陽はいまやギラギラと照りつけ、私たちは笠をかぶってアスファルトの砂漠をゆく、瀕死のキャラバンのようだった。

もうその辺のバルに駆け込んで、ビールを飲んでしまいたかったが、ここは我慢だ。ヘミングウェイが通い詰めたという、カフェ・イルーニャまではぐっと我慢だ──。

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ようやくたどり着いた、ナバーラの州都・パンプローナ。5月15日の夜に日本を発ってから、5日ぶりの大都会である。

カフェ・イルーニャの前で、おなじみ韓国人女子の片割れに出会った。「もう一人の子は?」と聞くと、足を捻挫してしまい、明日、韓国に帰るのだそうだ。あんなに元気一杯だったのに……と言葉を失ったが、実は健脚な若い人ほど、無理をしてしまうことが多いのだ。

そういえば、私もさくらちゃんも、足首が少し痛くなり始めていた。「ミワコさんは?」と聞くと、別になんともないと言う。そりゃあ、あんなにゆっくり歩けば痛くならないでしょうよ、と私はこっそり舌打ちしたのだった。

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パンプローナは、ヘミングウェイの小説『陽はまた昇る』の舞台である。彼はオテル・ラ・ペルラを常宿とし、その隣のカフェ・イルーニャで朝食をとっていたという。イルーニャというのは、バスク語でパンプローナのこと。アールデコ調のエレガントなカフェだ。

ここで思い出すのは、愛想のないアシスタント、我らがアヤちゃんのことである。いつも現実的なひと言で、私のロマンをぶち壊す人物であったが、3年前の取材では、このカフェでエスプレッソを前に、ぼんやり物思いにふけっていた。

アヤちゃんは、縁あって私の秘書をするまでの数年間、オーストリアに住んでいたのだった。カフェ・イルーニャは、アヤちゃんが大好きだったウイーンのカフェに似ていた。聞こえてくるのはスペイン語だし、つまみはトルティージャやピンチョスだったけれど──それでも、どこか通じるものがあったのだと思う。

アヤちゃんの著書ウィーン 魅惑のカフェめぐりは、オーストリアへの愛が溢れる良書である。ぜひ読んでみていただきたい。

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旧市街の外れのオスタルにチェックインし、シャワーを浴びて洗濯して、しばらくシエスタをとった。憧れのシエスタ! 今日はいつもより早く到着したので、ようやく経験することができた。

5月の日の入りは、午後9時を回る。夕方にひと眠りしても、嬉しいことに、まだ外は明るいのだった。スペインのディナータイムは通常8時過ぎからだが、バルは早くから店を開けている。

三羽ガラスはいよいよ、バルが立ち並ぶエスタフェータ通りに出陣だ。

私のスペイン巡礼の師匠、中谷光月子氏いうところの「バッカスの時間」の始まりである。二人の女子の熱い期待に応えて、まずは生ハムの有名店からスタートした。

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サン=ジャン=ピエ=ド=ポーでのさくらちゃんのお誕生日会以来、実に5日ぶりに、生ハムにお目見えである。白、ロゼ、赤と、ナバーラワインを飲みまくったのは言うまでもない。

突如、向かいのバルから大歓声が上がった。熱狂的に抱き合ったりハイタッチする人々で、たちまち通りは溢れた。地元のサッカーチームが勝って、リーグが上がることに決まったのだそうだ。

エスタフェータ通りは、有名な牛追い祭りのメインストリートだ。今宵は牛はいなかったけれど、老いも若きも男も女も、あらゆる種類の人が通りや広場を埋め尽くし、喜び合っていた。メイクアップをほどこした子供たちも大勢走り回っていた。

こんなフィエスタ(祝祭)に立ち会えるなんて、宿のおねえさんの言った通り、やっぱり私たちはラッキーだったのだ。気分はにわかパンプローナ市民のようになっていて、これはもう飲むしかないではないか!

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何軒目なのか記憶があいまいだが、カスティージョ広場からサン・ニコラス通りに入ったところのバルでお開きとなった。締めはもちろん、ナバーラのパチャラン(コケモモ酒)である。

「これ飲んだら、二日酔いしないんだよね〜、そうだよね〜」さくらちゃんは歌うようにくり返しながら、夜の街を楽しそうに歩いていた。前世もそのまた前世も、身分職業問わず、彼女がバッカスの申し子であったことは、ほぼ間違いない。

「私たち、カミーノに歓迎されとるんやね」私たちの故郷、富山の言葉でMimakoが呟いた。今夜は演奏の出番はなかったが、Miwakoは昼も夜もずっと楽器を背負ったままだった。

ヤコブ様であれバッカス様であれ、お呼びがかかればすぐに音楽を奏でることで、Miwakoは、自分を受け入れてくれたカミーノに報いているのだと思った。

春のカミーノ⑧ に続く)

明日は難所のぺルドン峠越え! 二日酔いには負けません…
¡Hasta luego!(アスタ ルエゴ またね)

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◆Miwakoの新作CD「梛の木」「Camino」はこちらで購入できます。
熊野古道女子部 公式ショップ

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◆新装版が発売となりました!
スペイン サンティアゴ巡礼の道 聖地をめざす旅』(髙森玲子著 実業之日本社刊)

カバー


◆カフェを愛するアヤちゃんの著書はこちら!
ウィーン 魅惑のカフェめぐり』(Aya Tsuyuki 著 実業之日本社刊)

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春のカミーノ⑧ に続く)

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