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春のカミーノ⑫ ~ロス・アルコスからビアーナへ

3年前の取材で訪れたときから、ロス・アルコスは気になる村だった。エステージャのようにスピリチュアルなアイコンという訳ではなく、なんてことない田舎なのだが、不思議な引力みたいなものがあった。

このたびのMiwakoのストックをめぐる一連の出来事も、この村のマジックだったように思える。

宿のオーナーにその昔、誰かが託した青いストックは、何年もの間、ずっとMiwakoを待っていたのかもしれない。そして私はその橋渡し役として、ここに呼ばれただけなのかもしれない──。

オーナーが教えてくれた、このあたりで一番おいしいというレストランは、夜の8時オープンだった。スペインのディナータイムは、大体8時とか9時からなのだ。

お店が開くまで、Miwakoはサンタ・マリア教会前の広場でサックスとフルートを演奏した。いわゆるゲリラライブだ。

広場にはバルのテーブルがびっしりと並び、巡礼者で埋め尽くされていた。この小さな村に、こんなにたくさんの人がいるのが信じられないくらいだった。

曲は、Miwakoのオリジナル「梛の木」。カミーノと姉妹道である、熊野古道を歩いたときに書かれた曲だ。梛(なぎ)は熊野の御神木。旅の無事を祈って、その葉が巡礼者に手渡される。

後ろの方に、ドイツ人マダムのハイカさんの姿があった。昼間の移動販売カフェでの演奏のことは、巡礼者たちの噂になっていて、ぜひ聴いてみたいと思ったのだそうだ。

ひとりでビールを飲みながら、静かに耳を傾けてくれていた。スペインの熱気の中で、彼女の周りだけ高原のひんやりした風がそよいでいるようだった。

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レストランでの夕食に、ハイカさんも誘った。確かに大人気のお店らしく、入口のバルはウェイティングの人でごった返している。テーブルを予約しておいてよかった。

おなじみメヌーと呼ばれる、お得な巡礼定食は12ユーロ。前菜、メイン、デザートを各自ひとつずつ選ぶ。これに水とパンがつく。赤ワインは飲み放題だ。

私はまたうっかり、前菜に赤インゲン豆のシチューを選んでしまった。これはロンセスバージェスでの夕食の二の舞である。

大皿に溢れるほどたっぷり出てくる。いくら食べても食べても、まったく減らない。むしろ増えているようだった。

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📷 これはかなり頑張って食べた後の状態

私が睨んだ通り、ハイカさんはセレブな有閑マダムだった。今回は40日間かけて、ゴールのサンティアゴまで歩き通すつもりだという。

「旦那さんと一緒には巡礼しないの?」マダムさくらが、興味津々で切り込んだ。

夫と一緒に巡礼をすると、それは巡礼ではなく「夫婦の旅行」になってしまうから──とハイカさんは答えた。時にはひとりで巡礼して、自分を見つめることって大事でしょ?

ひとりで40日間も、旦那さんはよく許してくれましたね……とMiwakoが唸った。

「そんな人じゃなかったら、結婚していないわ!」

さくらちゃんは、我が意を得たりという感じだった。「わかる、わかる! 私もそうだから!」すっかり意気投合した東西二人のマダムは、改めてグラスを合わせて乾杯したのだった。

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早朝に宿を発って歩きながら、そういえば、いつの間にか悪夢を見なくなったとMiwakoが呟いた。どんな悪夢だったの? と聞いてみたが、ごにょごにょ口ごもって答えない。

「あー、どうせ男でしょ?」さくらちゃんがMiwakoにふざけて体当たりしながら言った。「違う、違うよ!」とMiwakoは逃げ回っていた。朝から元気な人たちだ。

何はともあれ、悪夢によるMiwakoの過去の大掃除が終わったのは、めでたいことだった。

そういえば私も、パンプローナでの夜以来、悪夢を見ていない。私の過去の大掃除も終わったのだろうか? ホッとしたような、やや寂しいような気分だった。

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ロス・アルコスからサンソルまでの約7kmは、私のスペイン本でもページを割いているが、小麦畑の中をひたすら歩く、カミーノらしい一本道である。

この5月という季節には、アマポーラや菜の花が一面に咲き乱れている。時折、自転車巡礼の人が、「ブエン・カミーノ!」と声をかけながら追い越してゆく。(写真は2016年、井島健至氏による撮影)

「こんな素晴らしいとこに来れて、もう感謝しかない……」

熱に浮かされたように、Miwakoは何度もくり返していた。天の采配に、地球に、運命に感謝というところだろうか。この旅を企画した、幼なじみへの感謝も少し混じっていたかもしれない。

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サンソルは丘の上にある、時間が止まったような小さな村。ここからトレス・デル・リーオまでは、急勾配を一気に下る。さらにビアーナまでの約10kmも、かなりアップダウンのある道が続く。大事をとって、Miwakoのアルトサックスは、再び荷物搬送に預けていた。

気のせいかもしれないが、Miwakoの歩みは、心なしか速くなったように思えた。昨日は朝昼晩と、外で3回も演奏しているのだが、疲れるどころか逆に元気になっているみたいだった。

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📷 峠の休憩所にて、いろんな国から来た巡礼者たちと記念撮影
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📷 青いストックがだんだん板についてきた
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📷 ブドウ畑を見ると自動的にテンション上がる
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📷 例によってバルのない道のりが続くが、こんな休憩スポットも! ちゃんと巡礼手帳にスタンプもくれる

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ロス・アルコスから、ログローニョまでは27.8km。一日で歩く人が大半だと思うが、私たちはあえてゆっくり予定を組んで、途中のビアーナで一泊することにしていた。

これまでビアーナを訪れたことがなかったので、どんな町なのか、旧市街への城門をワクワクしながらくぐった。

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メインストリートには、青や緑や紫のカラフルな旗が無数に翻っていた。きっと町の由緒あるマークなんだねと、私は訳知り顔で説明したが、それは大ウソだったことが、のちに判明した。

ビアーナの創立800年祭を祝うために、町の人々が思い思いにデザインした旗なのだと、観光案内所で聞かされたのだ。

それはともかく、人々の町への愛が溢れていることは、強く伝わってきた。誇り高き山あいの町──私とMiwakoの故郷、富山のことをふと思い出したりもした。

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今夜の宿はちょっと奮発して、伯爵のお屋敷を改装したという歴史的ホテルを予約していた。ロビーはさすが優雅なしつらえだが、客室はまあ普通という感じだった。

もちろんホテルであるからして、設備は申し分ないのだが……昨日のロス・アルコスの個性的なオスタルが、ちょっと懐かしかった。

私のスマホに、韓国女子ヒーサンからのメッセージが入っていた。「今夜は私もビアーナに泊まるので、夕食一緒にどうですか?」という誘いだった。

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旧市街のバルはどこも、ピンチョスをつまむ地元民で溢れかえっていた。なんでも「毎週金曜の夜はピンチョス祭り」なのだそうだ。山あいの町には、娯楽が必要だ。

さくらちゃんもMiwakoも、ヒーサンとはサン=ジャン=ピエ=ド=ポー以来である。8日ぶりの再会を4人で喜び合った。

ヒーサンは若く見えるが、30歳くらいだろうか。ソウルの旅行会社に勤めていて、仕事で日本に来たこともあるという。どうりで日本語に堪能なはずだ。2カ月の長期休暇をもらって、カミーノを最後まで歩き、それからドイツや東欧などをめぐって帰国するつもりだと語った。

彼女が泊まっているのは、教会の隣にある公営のアルベルゲ(巡礼宿)だった。サン=ジャンから一緒だった男の子とは、歩くペースが違うので、昨日からひとりで歩いているという。

昨夜のハイカさんに続いて、今宵もカミーノでのガールズトークが炸裂だった。今回は「独身女子編」だ。

アルベルゲの門限は夜10時で、現在9時55分。明日の朝また会う約束をして、ヒーサンは猛ダッシュで帰って行った。飲み足りないさくらちゃんは、ホテルのレストランに河岸を変え、宴はさらに続いたのだった。

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翌朝8時。少し寝坊した私たちがロビーに下りていくと、ヒーサンがソファにちょこんと座って待っていた。気のせいか、少しやつれて見えた。

「ねえ、ヒーサンは、どうしていつもアルベルゲに泊まってるの?」とさくらちゃんが訊いた。経済的な理由でないのは、明らかだったからだ。

宗教的な理由とか、そういうことでもなくて……と、聡明なヒーサンはゆっくり言葉を選びながら言った。

「韓国で、巡礼の先輩たちから事前レクチャーを受けて、ちゃんと正しく巡礼しなくちゃ、と思ったんです。でもだんだん辛くなってきて、昨日は夜中に泣いてしまいました」

みんなのイビキで全然寝られないことが何日も続き、ついに耐え切れなくなってしまったそうだ。アルベルゲは基本的に男女同室の大部屋で、プライバシーのない世界である。

さくらちゃんはお母さんのように黙ってヒーサンの背中をさすった。「女の子は楽しまなくっちゃ!」さくらちゃんの力強い言葉に、私とMiwakoもうなずいた。

次のログローニョでは、私たちはカジュアルなホテルを予約していた。よかったら同じホテルに泊まって、夜はバルをハシゴしようよ、と誘ってみた。

ラ・リオハの州都ログローニョは、世界に名だたるリオハワインと、バル街で有名だった。女子たるもの、門限が10時なんてあり得ない。

幸い、ホテルの部屋は空いていた。ネットで安く取れたと、ヒーサンはにっこりした。ここからログローニョまでは、わずか10kmだ。私たちはゆっくり朝食をとってから出発することにした。

ヒーサンは読書家だった。私が本を書いていることを知ると、目が輝いた。スペイン巡礼本を彼女にあげたいと思ったが、あいにく雨のピレネー越えでリュックを濡らし、1冊だけ持っていた本をダメにしてしまっていた。

「私、持ってるよ」Miwakoが言って、巡礼用の肩かけカバンから本を取り出し、ヒーサンにプレゼントした。私は驚いて言葉が出なかった。まさかMiwakoが、巡礼中、私の本を持ち歩いていたなんて……そんなこと思いもしなかったのだ。

「本なんて重いのに、どうして持ち歩いていたのさ?」つい責めるような口調になってしまった。Miwakoはいつものように、おっとりと笑って答えた。

「だってすごくいい本だから。この本が、私のカミーノのお守りみたいなものだから」

私たちのやり取りを、ヒーサンはまぶしそうな顔で聞いていた。彼女は知らないのだ、私が普段、Miwakoにどんなに舌打ちしているかを……

「巡礼者の垂訓」の、6番目の文言はこうだった。

巡礼者は幸いである。全ての予想外の驚きに対して、深い感謝の気持ちを表現する言葉を持たないならば。

ヒーサンは、本を大事にバックパックにしまった。私は幼なじみにかける言葉を探したが、見つからなかった。

三羽ガラスは、今や四羽となって、ワインと美食の都・ログローニョをめざすのだった──。

春のカミーノ⑬ へ続く)


次回はいよいよ、ラ・リオハ州に突入!
¡Hasta luego!(アスタ ルエゴ またね)

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スペイン サンティアゴ巡礼の道 聖地をめざす旅』(髙森玲子著 実業之日本社刊)

カバー

春のカミーノ⑬ に続く)


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