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けだものは檻の中へ

「傷ついた」ボタン押し大会

 名は明かさないが、彼女を散々苦労した同じ発達系統の障害当事者の純朴な女性、だと思っていた。最近結婚して幸せそうで、私も祝福して色々欲しいものリストなど送ったものだ。私はその女性とその日、通常通り話し(大体私が慰める側に回る)、その後彼女は悩み相談スペースに入った。私はそれまでスペースという場所に入ったことがなく、デスクトップPCだったこともありリスナーに徹していた。
 ホストやスピーカーは彼女――仮にAさんとしよう、意外は発達障害を持ったらしい50代40代を名乗る女性たちだった。皆Aさん(Aさんは20代である)をよしよし、と慰めていた。昨日何か別の当事者に意に反することを言われたことを引きずっているようだった。私はそれを
「居場所があるんだ、ふーん」
 位に聞いていた。しかしそのスペースに所謂出会い系というか、自称女たらし系の男が入って来たとたんスペースの空気は豹変した。その男を寄ってたかって揶揄し始め、その男も中々酷い発言をしていたが、男が中絶を匂わせた途端その場にいた発達当事者たちが音頭を取って
「ひっとごーろし!ひっとごーろし!」
 とハイテンションにはやし立て始めたのだ。私がスピーカーになれたら
「やめろ!!」
 と叫んでいただろう。私の頭の中は、先日からの長野の一件で
「私は人殺しになるんじゃないか、私は近所や職場でそう思われているんじゃないか、あちこちでそう思われているんじゃないか」
 と怯えていたのに。いつしかAさんはシレッといなくなっていた。私はスペースから抜けて、しばらくフローリストナイフを携えて雨の中徘徊した。そして何を思ったか、ペットショップでもういない犬のぬいぐるみを入れるためのリュックを買った。ずっと女性たちの
「ひっとごーろし!」
 が耳の中で反響していたし、自分に自信がなかったし、自我が揺らぐのが恐ろしかったし、そんな配信で慰められるAさんが俄かに恐ろしくなった。
 なので夜にAさんに言った。ただ、その時点で私の精神は相当に混乱し混濁していた。ずっとひっとごーろし!の歌と「死んだ方が世のためになる人」と言う言葉と「あの人は妄想癖があって」という考えや妄想がぐるぐると周り私は頭がぐらぐらと揺らいでいた。
 そして、DMに打ち込んだ内容は本意以上に捻じれたものであった。
「旦那さんがいるの羨ましいね。それなのにあんなスペースにいられるの羨ましいね。人殺し呼ばわりできるスペース凄いね。私のこと人殺しにするつもり?すごいね」
 その途端、間髪入れず
「私正直傷ついたから、ちょっと旦那に投げるね」
『メンヘラは恩知らず』
 一瞬その言葉の意味が分かった気がした。そして私のブレーキは瞬時に破壊されアクセルギアが一気に入った。
「ふざけるなよ、あんな集団と仲良くしておいて被害者面か、殺す殺すいっといたのに」
「楽しんでたくせに、私を人殺しにしようとしたくせに」
「旦那に投げられるの羨ましいね、あんなにしてやったのにね」
 私の感情はパワハラで休職になってから、いや、それより以前からずっと崩壊していたのかもしれない。ブレーキが効かずアクセルが簡単に踏み込まれる。辛い時にも涙が出なくなった。
 そしていつだって、「私傷つきました!」のボタンを先に押せない。とろくさいから、要領が悪いから。傷つき慣れてないのだろうか、そんなことはあるまい。傷つく前に自分がやり返そうとするから。私は咄嗟に机の上に載っている包丁を持って、彼女の住所への最短距離や便を調べた。しかしすぐに脱力し、虚しくなって親しくしてくれていた人に最後のふわっち課金をしながら、包丁で腹を何度も刺した。刺すのが癖になってもう何か月だろうか。フローリストナイフは昼出て行って着替えてから落としてどこかに行ってしまった。
 私傷ついてるのに、傷ついてるって言えねーんだわ。馬鹿らしい、何が闘病垢だ。闘病垢なんて名乗るのも辞めて、もう全部終わりにしよう。「傷ついてよしよしされない」中この界隈にいるのは辛さしか感じない。お金の繋がりももう切ってしまおう。私に誰も残らなくてもいいや。
 そして次の日、私は通っている福祉施設で相談員に言った。
「刃物を持って従兄弟を狙ったことがあります。それからは自分を刺しています。生活は滅茶苦茶です。人間関係は壊してばかりです。疲れました。死にたいです」
「傷ついた」のボタンはついに押せなかった。しかし、相談員の方はまっすぐに私を見て言った。
「入院しましょう、小犬さん。今の状況から逃げましょう。私は、小犬さんに元に戻ってほしい」


 

焼け野が原の中、化け物は

 入院の話は喧々諤々とした。Aさんは入院したことがあるだろうか?愛しい旦那さんがいるから大丈夫か?みんな大事な人がいれば入院していない印象がある。私だけが、全て破壊して、全て駄目になって、頭の中までぐじゃぐじゃになって、人間関係どころか自分の中身まで焼き畑農業でくふふふふふと笑って立っている。虚ろだ。何もいない。誰もいない。全部お前のせいだろー!と色んな人々の嘲笑が聞こえるが、本当にそう?と私は言いたいし、うるせぇなあ!と万能包丁でさっくり行きたい。でもできない。
 そうだ、長野の事件さえなければ、長野の事件が寄りにもよって私の誕生日に起きなければこんなことを考えることはなかった。私は何なの、私もあんな化け物なの、あんな化け物だと思われているの、あんなのと同じものが私の中に潜んでいるの、私は自分が信じられなくなって、どんどん私がわからなくなって、私の地方の伝承の、濁った四つ足の血が、私に通っているのか、布団の中でずっと怯えていた。自分を傷つけていた。
 羨ましい相手に呪いをかける、羨ましい相手に何かを付ける。そんな一家。そんな伝承。多くの学者が、その伝承と差別を分析してただの迷信だと打破しようと試みてきた。けれど私は嘔吐しながらそれがあればいいと思う。私が憎いと思う相手、私が羨ましいと思う相手、皆それが付いて駄目になってしまえばいい。たとえ私が狂ってしまっても。こんなことを考えてしまう時点でも、狂っているのかもしれない。
 私は最後の悪足掻きをして、まとめられるものはまとめて、私は入院を決めた。「君が獣になる前に」と言うタイトルの漫画があるが、本当に私が化け物になって誰彼構わず襲い始める前に、家族が寝静まった後に襲う前に、犯罪者になるまえに、前後不覚になる前に、檻の中に自分から入ろう、その結果廃人になっても構わない。結婚に響いても結婚なんかきっとできない。だから私は入院する。
 からっぽの私は、入院する。

「熊」を名乗る「障害者」

 因みに、並みいる女性障害者たちは男性を転がしながら男性が退出すると「オモチャ壊れちゃったねー」「潰しちゃったねー」「我々が熊だってことを忘れちゃったねー」「ネズミを熊が弄んじゃいけなかったねー、我々は強いから」。私は怖かった。そして「いじめっこだ」「いじめを愉しんでいる『社会的弱者』だ」と恐れおののいたのだ。そしてそんな彼女らに相談を持ち掛けてよしよしと慰められているAさんを心底軽蔑したのだ。
 熊はよっぽどの場合でない限り人を襲う害獣だろう、ネズミを襲う猫ならまだ自然の摂理程度で済ませられるが、ネズミを襲っている熊を見たら人間でも逃げ出すだろう。自身を熊に例えて強者に例えてリンチを愉しむ姿はわざわざプロフィールに障害名を書き連ねている「シャカイテキジャクシャ」の姿と大きくずれて見えた。
 熊が手厚く保護されるのは希少種のホッキョクグマのようなものか、その土地において希少種になっている四国のツキノワグマのようなものである。それはその土地の生態系が乱れる等の理由で保護されているのだ。人を襲う様な凶暴なクマになれば、ツキノワグマであれヒグマであれ射殺されるのがオチであろう。秋田のツキノワグマ、北海道のヒグマ、どちらも射殺例にいとまがない。
 そうだ、「ネズミを弄び殺す熊はいずれ人を殺す」と思ったのだ。恐怖したのだ。そして「シャカイテキジャクシャ」である彼女らがその「熊」を名乗る恐怖とおぞましさを感じたのだ。その熊がネズミを人殺し呼ばわりしながら、弄んで殺す。
 私の濁った血のせいだろうか。「そんな熊は撃たれなくてはならない」そう思って雨の中飛び出したのだ。熊は撃たれるべきだ。人を、何かを襲う熊は。
 そんな混濁した私が捕獲されて檻に入り、熊共が社会に跋扈するこの世の中よ。きっとそんな熊共が「私傷つきましたレース」に勝って、今回の上司のようにパワハラを行うのだろうな。入院まであと数日猶予がある。
 牙を突き立てる余裕はまだあるか。

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