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言葉は心の糧になる。ー僕の鬱病療養日記-13-

※このnoteは、小中高大と全てで不登校を経験。その後、教育系のNPOで活動するなどしていたが、2019年3月末頃より、鬱病を再発した僕の療養生活を記録しているものです。
 とりとめもない療養生活の日常の記録とともに、この期間を利用して読んでいる本や、見た映画など、芸術と思われるものについての紹介をしています。
 僕と同じように鬱や引きこもりで悩んでいる方、またその身近にいる方々、もしくはそこまでではなくとも、心が疲れているなという方々に読んでいただければ幸いです。


日常

2019年12月5日(木)朝8:00頃

今日もいつものように朝の6:30に起床。ただし、ランニングをすることなく、今を迎える。今日は午後から約1時間ほどかけてサイクリングをする予定のため、体力を温存。運動をすることが決まっているから、朝走ることは止めた。そのため、シャワーも浴びておらず、まだ少し眠たい。

一昨日に久しぶりに人に会ったため、昨日はちゃんと休むことを目的に、昼までは家でだらだらと過ごしていた。朝の日記を書いた後に、眠気覚ましを兼ねて、趣味で弾いているギターを練習。
ギターは去年の2月頃から独学で始めた。教則本などは使わずに、Youtubeで解説している動画を検索して練習を始めた。最初の1年間はなかなか上手く弾くことが出来ずにいたけれど、ここ最近はようやく壁を越え始めたようで、練習をすることが楽しい。上達していることを自分で実感できると、成長した気分になる。

お昼からは近くの図書館に行き、読書と調べ物などをしていた。鬱になってからというもの、図書館様には大変お世話になっている。「こんなに便利だったのですか。あなたの魅力に気付くことが出来ていなかった僕をどうかお許しください」という気持ちでいっぱいだ。

まず、想像していた以上に、蔵書数が多い。これまでは、図書館は確かに本が多く置いてあるけれど、どれも古くて、なかなか読みたいものが無いというイメージだった。けれど、図書館のインターネットサービスを使って、蔵書検索をしてみれば、あれもある、これもある。大抵の本は図書館に置いてあることが分かった。「こんなに最新のものもいっぱい置いてあるなら、買わずにすんだやん…」となることも多々ある。そのため、以前までは、欲しい本があればまずはメルカリで検索をかける、としていたのが、メルカリの前に図書館の蔵書検索が僕の中でのルールになった。本当に最新のものも含めて大体は置いてある。それに、たとえ欲しい本が置いてなかったとしても、希望すれば入荷してもらえることもあるらしい(僕はまだそのサービスを利用したことがない。今度できれば試してみたい。)

また、僕が住んでいる市内にある図書館であれば、どこの図書館からでも取り寄せることが可能なので、わざわざ遠くまで行く必要もない。インターネットから予約を入れれば、1日2日で近くの図書館に取り置きしてくれる。なんて便利なの。

さらにさらに図書館に置いてあるのは本だけではない。DVDもCDも置いてある。10月辺りからは映画を見たいと思い、定期的に図書館でDVDも借りることにしている。ずっと見たいと思いながら見れていなかった「レ・ミゼラブル」「英国王のスピーチ」も図書館で借りて見た。今は感動作として話題だった「湯を沸かすほどの熱い愛」を予約して、届くのを待っている。うちではNetflixなどのサービスには登録していないため、こうして様々な映画を見ることが出来るのはとても助かる。

そしてここまで書いたすべてがもちろん無料ということで、働けていない状況の僕には本当にありがたい。この生活に入ってから、お金を使わずにいかに楽しみを作るかということを学んだ。カメラを持って散歩したりするだけでも、新しい発見はあるし、「楽しい」は作れる。

図書館ではwifiも利用可能なため、僕はいつも壁際のソファの席に座り、パソコンで調べ物などをしている。家の中にいるとどうしてもしんどくなってきてしまうことがあるけれど、普段と環境を変えることで気分転換にもなる。

ああ、なんだか今日は、図書館の回し者のような内容になってしまった。それぐらいに助けられているし、新しい魅力を発見することが出来たと思っている。強いてデメリットを言うとしたら、借りてばかりでは、スキな作家さんたちに印税が入らないということぐらいだろうか。それは許してもらいたい。

本当にただの日常らしい中身。
こんな生活をしています。地元の図書館バンザイ。


読書と映画と、その他芸術と思われるものについて。

三度の飯より本が好きとプロフィールに書いているほどに、毎日している読書と、趣味である映画鑑賞の中から、好きな作品・言葉を紹介するコーナー。ときどきその他芸術と思われるものについても紹介します。

今日は「日常」で図書館の良さを語ったところなので、本を読むとはどういうことなのか、ということに対して考えられる言葉を紹介します。昨日のnoteでも紹介した、若松英輔さんの著書「詩と出会う詩と生きる」より。

言葉と人は、どのような関係にあるのか。詩に込められた想いを知ることで、何を得ることができるのか。困ったとき、苦しいとき、悲しいとき──私たちを守ってくれる言葉を携えておくために。文学・哲学・宗教・芸術──あらゆる分野の言葉を「詩」と捉え、身近に感じ、それと共に生きる意味を探す。

この本の冒頭部分にとても大切なことだと思った言葉があるので紹介します。

食物が身体の糧であるように、言葉は心の糧です。食べたものによって私たちの肉体が形成されていくように、私たちの心は言葉によって育てられます。ただ、身体の食べ物は、ある量を必要としますが、心の糧はどこまでも質的です。(p4)

「言葉は心の糧」
ここに本を読むことのすべてが含まれているように思います。僕は年間100冊以上(今年は時間があり余っているのでもっと多い)の本を読んでいますが、本当にその一つ一つが、自分の心の糧になっているのを感じます。

僕は高校生の時に「自分は自分だけで出来ていない」というふうに感じていました。僕の考え方や価値観、世界のとらえ方などは、決して自分だけで作ってきたものじゃない。それは親から言われた言葉や、教師からかけられた言葉、その他にも様々な人の言葉や考え方の影響を受けている。

直接言われた言葉だけではなく、人によっては、テレビで見た芸能人の言葉、イチロー選手のようにスポーツ選手が残した言葉、そういったものが影響していることもあると思います。

そして僕の場合は、本からの言葉が多い。自分の考え方や価値観は、これまでに読んできた本に影響を受けてきている。自分を支えてくれているのも、そうした言葉たちです。

このコーナーも、僕が好きだと思った言葉。影響を受けた言葉を紹介しています。若松さんは心の糧には量ではなく、質が大切だと語っています。僕は最近、詩や短歌といった、これまで触れてこなかった新しい言葉に触れて、また自分の中で新しい感性が育ってきているように感じています。

今、鬱病で苦しんでいるという人も、よければ図書館などで本を借りて、言葉に触れてみてください。少なくとも僕は、本当に今の時期を様々な本に助けられています。

最後にもう一つ僕が最も好きで大切にしている言葉を紹介します。

一生を終えて後に残るのは、 われわれが集めたものではなくて、われわれが与えたものである。

これは三浦綾子さんの小説「続氷点」の中で引用されて出てきた言葉なのですが、もともとはジェラール・シャンドリという人の言葉だそうです。

高校生の時にこの言葉に出会い、自分の生きる指針としています。
「与える」という言葉は少し傲慢な響きも持っていますが、出来ることであれば、集めるのではなく、与え続けられるような人になりたいです。

ここまで読んでくださりありがとうございました。

はじめましての方ははじめまして。
いつも読んでくださってる方は、ありがとうございます。
お久しぶりの方はお久しぶりです。少しずつ元気になってます。

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