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ベトナムの葬式は悲しくない ~日本と猫と生死の話


とんでもない声で鳴く猫に会ったことがある。

あれは去年の7月、私が人生に悩んで盛岡の寺に一週間滞在した時だった。

お寺に招かれた日に、たまたま一人で食堂でお茶を飲んでいたら、台所の裏から、赤子が切り刻まれるような悲鳴が聞こえて飛び上がった。
台所の裏口に回ると、その音の発信源には、切り刻まれる赤子ではなく、猫がいた。
別に苦痛に顔をゆがめるでもなく、けろっとした顔で、網戸の向こうから、物欲しそうな目で私を見上げている。しかしそこから放たれるのは断末魔。
明かに、網戸を開けてくれと訴えているのだが、お寺に来たばかりの私は猫を勝手に中に入れていいのか分からずおどおどするばかり。その間にも猫は涼し気な顔のままさらに激しい断末魔を響かせるのだった。

ほどなくしてお坊さんが台所にやって来たが、特に猫をかまうでもなく、網戸を開けるでもなく、その断末魔を放置したまま、たんたんと私に言った。

「この猫は、かまってほしくてこんな鳴き方をするんです。
昔、この子と一緒に飼っていた猫が、今のこの子とそっくりなうめき声をあげて何日も苦しんだ後で死にました。
その時、この猫は、『この声で鳴くと周りの人がよってたかってかまってくれる』と学習してしまったんです」

それを聞いて私は思った。
猫ですらそうなのか。
猫ですら、寂しさによって死を擬態するのか、と。
だとしたら人間がそうするのは仕方ないなと。

私の弟は死にたがりだ。
初めての自殺未遂は、大学卒業間際に、高田馬場の一人暮らしのアパートでだった。
弟の友人から知らせを受けた私は、青ざめながら新高円寺のアパートからタクシーに乗り、駆け付けた。

不動産屋から借りた鍵で弟の部屋に入ると、真夏の昼にもかかわらず凍るような寒さで、そして何も見えないほど真っ暗だった。
手探りで電気のスイッチを探している時に突然足にドロッとした感触、血かと思ってドキリとしたが、そうでなくてよかった。
弟は寝室でうつ伏せになっていた。
タバコと睡眠薬を大量に飲んだらしく、床のドロドロはゲロだった。

ゲロまみれになった靴下をその場に脱ぎ捨てて病院へ向かい、冷房の効いた待合室で何時間も、足を冷やしたまま待った。すぐ吐いたために薬がほとんど体内に吸収されず、その日中に無事退院した弟と、病院に来てくれた元カノと、なぜか三人でステーキを食べて帰った。

以後彼は、同じような行為を繰り返すようになる。
はじめは、連絡を受けるたびタクシーで駆けつけていた私も、「その行為が本当に命を奪う可能性は少ない」と学んでからは、次第にチャリや電車で済ますようになった。
その後、弟は実家に帰ったり、入院したり、例の猫がいる寺でお坊さんと一緒に暮らしたりしたが、結局どこでも死にたがることをやめられず、今に至る。

私の中でも、彼の中でも、(そして猫の中でも)、死はフィクションで、死と寂しさは分かちがたく結びついている。

命は寂しいから果てるわけではないのに、寂しさが自分の命のバロメータをガリガリ削っているような振る舞いをする。

人間の場合は、寂しさによって本当に自ら命を絶ててしまう可能性もあるけれど。

だいぶ後になって気付いたのだが、弟が初めての自殺未遂をした時に部屋が凍るほど冷えていた理由に思い当たった。弟が、自分の身体が腐りにくいように一番強い冷房をかけていたのではないか。
つまり少なくとも初めての時は、弟は本当に死のうとしていたのだ。


私は今、ベトナム・ホーチミンに住んでいる。

住み始めて一週間も経たぬ頃、朝4時に爆音の生演奏によって起こされたことがある。
夢うつつで窓から外をのぞくと、ラッパ、サックス、太鼓などが隊列を組んで更新しており、それに続いて、白い棺がかつがれてきた。

ベトナム人の葬式はひたすら派手だ。
遺影は電飾でギラギラ。
戸口はパチンコ店の開店かと思うほどの花で飾られる。
葬列も、音楽隊が華やかな音楽を演奏するうしろに、遺族がバイクや車でつらなり、大変賑やかだ。
私には結婚式と見分けがつかない。
近所の人が路上でドンチャン騒ぎをしていたので「誰か結婚したの?」と聞いたら「いや、父の二十五周忌だよ」と言われたこともある。

ベトナムの葬式は悲しくない。
「弔われる人が寂しくならないよう、楽しく盛り上げるべきだ」と考えられているそうだ。

もちろん、ベトナム人が身近な人の死を寂しく思わないわけではないだろう。
しかし、ベトナムにはそもそも死が溢れ返っているから、いちいち寂しがっている暇がないようにも思える。
常夏の気候からか、あらゆるものの新陳代謝が早く、生も死もめまぐるしい。

路上では毎日のようにバイクに轢かれてぺしゃんこになっているドブネズミを見る。
ネズミもゴキブリもアリも生まれまくっているし、殺しまくっている。
一週間に葬式を二度、結婚式を三度見かける。
妊婦も赤子も日本の比でないほどゴロゴロしている、平均年齢30歳の国、そして40年前に戦争が終わったばかりでどこを掘っても人骨が出てくるだろう、事故物件どころか町全体が事故現場みたいな、ホーチミンの街。

日本のように、葬式場をセレモニーホールと言い換えるような考え方は入る余地がない。

この本の中で、筆者の高校時代の担任の先生がこう言った。
「人間は常に死に向かって生きているから、寂しくて当たり前」
しかし、筆者はのちにこう思う。
「死と寂しさは違うものである。
「身近な人が死ぬと、はじめは死と寂しさがないまぜになり、悲しい。
でも時間が経てば、その二つを切り離せるようになる。」
そして、
「死にはエネルギーがある」と。

ホーチミンの街は、エネルギーであふれている。
寂しさに絡めとられて死に近づきがちな私の弟も、本来はとてもエネルギッシュな人間である。
時間がいつか、彼のエネルギーを生の方向へ導いてくれることがあるだろうか。

冒頭の、死んだ猫の声を真似て鳴く猫も、結局先月死んだと聞いた。
死に際も、あの声で鳴き続けたのだろうか。
それとも、心穏やかに皆に看取られて死んだのだろうか。
いずれにせよ、あらゆる命が教えてくれることは多い。



渋澤怜(@RayShibusawa

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読書サイト「シミルボン」の企画「『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』コラム募集」に応募し、佳作となった作品を、ちょっと改稿しました。

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