天城らさ
優秀な救助隊員ジョングクは、ある現場で高校時代の同級生と再会する。正義感なのか、使命感なのか、それとも別の何かなのか──彼女の命を繋ぎ止めながら、生きること、救うこと、病や心のことについて考えを深めていく。
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ナムジュンが主人公の、単発のショートストーリーたち。
「失礼します」 「はい、こんにちはー」 ジョングクの後について診察室に入る。中からは女性の声が聞こえて少し驚いた。男の先生だと思い込んでいたから。 総合病院とは違って、スローでこじんまりとしたクリニック。待合室のざわつきやステンレスワゴンが行き交う音も、ここではまったく聞こえない。音も視界も、刺激が少ないことで少し安心した。でも。 「今日はどうしました?」 その問いに完全に固まる。 私は本当に一体、どうしてしまったんだろう。こんなはずではなかったのに。どこか
彼女に会いに通った病院。 面会受付、エレベーター、屋上庭園への階段。もう全部が懐かしい。 今の先生が悪いというわけじゃない。彼女がちゃんと話そうとしなかったことも十分にあると思う。それを考えれば、病院を変えたところで一緒かもしれない。 でも、誰にでも相性があるように、先生と患者にも相性があるはずだ。なんとなくだけど、あの先生は彼女に合っていないような気がして。威厳ありまくりの先生の前じゃ、何か言いたくても難しいんじゃないかなって。 それもこれも、アクセスであの
病院は、朝から活気が溢れている。 世間より時間の軸が、少し前倒しで動いている感じ。 廊下を抜けて病室に入る。 寝不足の目には眩しすぎる白い光を目の前に、カーテンを揺らした。 「おはよう」 声をかけて中に入るけれど、返事はなかった。彼女は目を閉じ、いつもみたいに静かに眠っていたから。 いつものクセで、首に指を当てて、彼女の頚動脈を感じる。生きているとわかると安心するから。 その度に俺は、彼女に生きていてほしいんだと思う。 「あら、おはようございます。早
「久しぶり」 「この前はごめん。俺が悪かった」 会うなり、彼は謝った。その表情を見つめながら、端正な顔立ちはどんな状況でも変わらなくてずるいなぁと思う。 定時過ぎにやってきた、職場の近くのスターバックス。私を待っていたジョングクはいつも通り、私のために扉を開けてくれた。 *** ごはんの約束をすると、ジョングクは大抵いつも先に来ていて、私の好きそうなメニューを頼んでいてくれる。 それがいつも間違いなく私の好きなものだから、私は安易にますます彼を好きになるの
チャリを漕いで、いっそう涼しくなった秋風に包まれる。一気に情報を突っ込んでヒートした頭が、少しクールダウンする。 「1ヵ月半か......」 夜空に呟く。 彼女が今彷徨っている“急性期”の治療期間は、だいたいそのくらいだとユンギヒョンは言った。もちろん、深刻な状態であればもっと長くかかる場合もある。それでも「まずは1ヵ月半だ」と言われて、気が引き締まる思いだった。 もうダメかもしれないと思った夕暮れ時の感情は、すっかり消えたわけではないけれど、だいぶ薄まったよ
どれくらい時間がかかったのかわからない。何からどう話せばよかったのかも。 俺は、彼女に起きたこと、俺の関わり方を最初から全て話した。再会したあの瞬間から、今日起きたことまで、全部。 ユンギヒョンは時々「それはこういうことか?」と確認を挟みながら、手元の紙にメモを残していった。 「俺は何度も“なんで”って思ってきたんです。なんでちゃんと薬飲まないの? なんでちゃんとごはん食べないの? なんで良くなるために努力しないの? できることたくさんあるじゃん、やらなきゃいけな
「どうした、いきなり電話かけてきたかと思ったら、死にそうな声で」 「お願いです、助けてほしいです......」 俺の様子にただごとではないと思ったのか、少しの沈黙を挟む。 そして、相変わらず無愛想で低い声で言った。 「今から1時間半後に最後のセッションが終わるから、俺の事務所に来れるか?」 「はい......」 「落ち着いて、安全第一で来いよ」 「ありがとうございます...... ユンギヒョン」 張り詰めていた気持ちが少し解けて、うずくまっていた玄関にそのまま崩れ
「ごめん、見るつもりはなかったんだ...... 封してないって知らなくて」 「気にしなくていいよ。これ、どっちにしろジョングクくんに渡そうと思って持ってきたから」 「俺に?」 「生活費とか、立て替えてもらってる分。これで足りるかわからないけど......」 それは突拍子もない話だった。 家賃は今まで通りだし、彼女はまともに食べないから食費といっても大したことないし、あとは生活雑貨的なものだって微々たるものだ。そもそも、あの遠い駅のホームで「帰ろう」と伝えたときに、そん
「病室はラブラブするところじゃありませんよー」 そんな突拍子もない声で目が覚めた。 すいません、と何度か言いながら急いでベッドから降りる。足元には母親よりも年上に見える、威厳ある看護師さんが立っていた。 (てか、“ラブラブ”って久々に聞いたわ......笑) 見ると、彼女の顔色はだいぶ良くなっていて安心した。まだぐったりしているから、しっかり休まないといけないのは変わりないけれど。 「回診のお時間ですから、彼氏さんは外に出ておいてねー」 彼氏じゃないです、っ
「こんなことしたら、もう薬、処方できないよ?」 「はい、申し訳ありません......」 こんな形で、初めて彼女の主治医に会うとは思わなかった。 主治医の言葉は高圧的にも感じたけれど、正論であると同時に、これはそれほどに重いことなのだと知っている。 用法・用量を守らずに服薬するということ──何かが違えば命を落としかねない行為。俺もそれがわかっていたから、何も言えなかった。 「しかも、診察でちゃんと報告したり相談したりもしてないね。なんかそんな気がしてたけど」
コンビニで買った野菜ジュースと、季節限定のスイーツ。おいしいもので、できるだけカロリーを摂らせる作戦。何度も失敗してるけど。 ぶら下げたレジ袋を見る。 俺の気持ちは、朝の空気に似つかわしくないほど沈んでいた。 「売り、かぁ......」 思わず口に出し、回りを見渡す。幸いなことに誰もいなかった。 彼女がもし幸せな家庭で健やかに育っていたなら、あんなふうにはならなかったんじゃないか。だとすると逆説的に、そういうところまで追い込まれた過去があったって......
初診の日から、10日くらいが過ぎた。 24時間勤務明け、帰宅した俺は、ベッドから一番離れた窓のカーテンをゆっくりと開けた。うずくまって眠る彼女の邪魔にならないように。 ずっとこんな感じだ。 俺がいるときはなんとかごはんを食べさせるけど、仕事のときはたぶん、ベッドで一日中眠っている。ごはんはおろか、まともに水分もとらずに。 冷蔵庫に入れていると絶対に飲まないから、枕元に置いておいたペットボトル。それでも、半分くらいしか飲んでいない。250mlは、人間が1日に摂
「うわ、今日も暑そうだなー」 夏の名残を十分に含んだ白い光。そろそろ真上から降り注ぐ時間帯。 一度玄関の扉を開けてから、いったん部屋に戻る。 「これ、かぶっときな」 玄関先でたたずむ彼女に、俺が普段使っているキャップをかぶせる。スポッと目まで覆ってしまって、一度手元に戻す。 「頭ちっちゃいなー。調整でどうにかなるかな」 アジャスターを一番小さいところで止めて、もう一度彼女にかぶせる。 「なんとかいけそう」 「ありがとう......」 「外出るときはこれ使
カーテンを閉めたまま、朝の準備を進める。いつもだったらテレビをつけたり、ポッドキャストを聞きながら支度するけれど、彼女の貴重な睡眠を妨げないように、できるだけ静かに。 昨日の夜も、彼女は過呼吸で目を覚ました。たぶん3時くらいだったと思う。 何かに酷く怯えたような彼女。見ると心が痛んで、切なくなった。落ち着いてからも泣き続けて、ひたすら謝る姿は、俺まで途方もない気持ちにさせた。 それでもとにかく、病院に行けば治療を始められる。困ったときはかかりつけ医を頼りにできる
ベッドの端っこのほうでうずくまっている彼女は、買い出しに出る前と同じ体勢。普通は寝息に合わせて体が動いたりするものなのに、彼女の眠っている姿は、まるで死んだように静かで、俺は少し怖くて、寂しくなった。 そんな気持ちを振り切って、冷蔵庫に向かう。いつも買う食材に加えて、ゼリー飲料やプリン。続けて、乾物の麺類や、インスタントの雑炊やおかゆを棚に入れる。食欲がなくても、何か少し食べなきゃいけないときのために。 彼女が寝ている側で、デスクについてパソコンを立ち上げる。Goo
物音で目が覚めた。 仕事柄、意識がはっきりするまではすぐだった。認識したのは、その物音が激しい呼吸音だということ。 気づいた瞬間にベッドに上がり、彼女の名前を呼ぶ。壁に手をついて、苦しそうに肩で息をするその体は、今にも倒れそうだった。 「こっち見て」 二の腕あたりをつかんでこっちを向かせる。頬には涙の跡が何筋もあり、目には今にも溢れてしまいそうなほど、次の涙が溜まっていた。 過呼吸とパニック症状。俺の声が届いているのかもわからなかった。 不安定に激しく