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13.責任感と不安の狭間で。

 ベッドの端っこのほうでうずくまっている彼女は、買い出しに出る前と同じ体勢。普通は寝息に合わせて体が動いたりするものなのに、彼女の眠っている姿は、まるで死んだように静かで、俺は少し怖くて、寂しくなった。

 そんな気持ちを振り切って、冷蔵庫に向かう。いつも買う食材に加えて、ゼリー飲料やプリン。続けて、乾物の麺類や、インスタントの雑炊やおかゆを棚に入れる。食欲がなくても、何か少し食べなきゃいけないときのために。

 彼女が寝ている側で、デスクについてパソコンを立ち上げる。Google検索画面から、ここの住所と「精神科」というワードで検索をかける。

 とりあえず、病院には通わせないと。今の状況はあまりにも危険だ。

(ここからアクセスがいいところだと、総合病院の心療内科か...... 普段、全然関わりがない診療科目だから、よくわかんないなぁ...)

 探し始めて早々、小さくため息をつく。

 足のこともあるし、他科とも連携してもらえる利点も踏まえると、総合病院がいいのかもしれない。もし何かあったら入院もできるしーーそんなことできるだけさせたくないけれど。

 公式ホームページに飛んで、念のため心療内科の紹介ページを見る。当たり障りのないことしか書いていなくて、何の判断材料にもならないのは予想通りだった。

 アクセスのページを印刷する。その間に、診療時間も確認して、印刷した紙にメモする。彼女が持っていけるように。

「......ジョングクくん」
「起きた? てか、起こしたか。ごめん」

 彼女はぼーっとした表情のまま、首を横に振った。

 昨日よりは顔色がいいことに安心しながら、ベッドに腰掛ける。

「気分は?」
「うん......」
「ちょっと落ち着いたら、何か食べよう。何食べたい?」
「......」
「好きなものとかある?」

 聞いてから買い物に行くんだった、と思ったけれど、彼女はその質問に答えなかった。食べたいものが特にないのかもしれない。

***

 インスタントの雑炊をゆっくり口に運ぶ彼女。視線は、テレビのよくわからないグルメリポート。

 気づけばもう夕方だった。

 何もせずにもうすぐ1日が終わろうとする虚無感と、彼女がちゃんとごはんを食べていることの安堵。ちゃんと彼女の面倒を見なければという責任感と、自分が知らない世界への不安。いろんな感情の狭間で、変にふわふわしていた。

「ジョングクくんは、何か食べたの?」
「うん、昼過ぎに食べたよ」
「そっか」
「俺のこと、くん付けで呼んでたっけ?」
「そうだったと思う」
「俺はちょっと仲良くなったつもりだったんだけど...」
「でもクラスでは一番ジョングクくんが仲良かったよ」

 俺で、あのくらいで、一番仲良かったというのも。

 週1回、放課後で委員会の資料を作るとき以外、まともに話したことはなかったような気がする。あとは、昇降口ですれ違ったときの挨拶くらい。

「シーブリーズのジョングクくん」
「よく覚えてるね」
「もう使ってないの?」
「さすがに使わないだろ(笑)」
「そうだよね」

 あんな何気ない会話を、どうして。
 俺たちが普通に勉強して、部活して、遊んだりしている間、彼女はどこで誰といて、何をして、何を思っていたんだろうな。

「あれからもう、何年も経ったもんね......」

 彼女はテレビを観ているようで、もっと遠いどこかを見ているようだった。何を思い出しているのか気になったけど、俺には聞く権利がないような気がした。

***

 その日は寒い冬の1日。
 たぶん年明けで、卒業まで1ヵ月くらいのタイミングだったと思う。

 後輩が部活に向かう様子を眺めながら、友だちを待っていた昇降口でのこと。屋内の影は冷え切ってきて、日当たりのいい自転車置き場に移動しようか悩んでいたときだった。

 階段を下りてくる音がして、振り向くと彼女がいた。バーバリーのマフラーに顔を埋めて、ブレザーに手を突っ込んで、颯爽と歩く姿。

「ジョングクくん」
「おう。元気?」
「......うん、元気」

 彼女と同じ委員会だったのは2学期の間だけで、3学期になってからはほとんど話す機会がなかった。

 本当は俺、もう少し話したかったんだと思う。知らないままのことが、まだたくさんあったから。

「進路、どうすんの?」
「ああ、進路ねぇ」
「県外行くの?」

 彼女の横顔に問う。すると、彼女はまるで天気の話をするように答えたのだった。

「......遠くに行きたいねぇ」

 単純な俺は、彼女が行きたい学校が遠くにあるのか、なんて思ったり。

 次の質問を投げかける前に、彼女はまた颯爽と歩き始めた。バイバイ、という澄んだ声に倣って、俺もバイバイと答えるだけだった。

 それが彼女と交わした、最後の会話だった。

 彼女は、もしかしたら、そのときから......。

***

 彼女が雑炊を半分ほど食べたころ。 

「ここ、明日行きな」

 さっきプリントした紙を取り出して、彼女の目の前に置く。彼女はスプーンを持つ手を止めて、じっと見つめた。

「足のことも心配だし本当は一緒に行きたいけど、俺仕事だからさ。でも、早めに先生に診てもらったほうがいいと思うし。行けそう?」
「......うん」

 でも、その「うん」は肯定じゃなくて、曖昧な相づち。それはわかっていたけれど。

「午後のほうが空いてると思うから、朝はゆっくりしてから行きな」
「うん」
「もし何か欲しいものあったら、この通りのここに大きいスーパーがあって...」

 一通りこの近辺の説明をしたけれど、彼女は心ここにあらずのようで、俺はその心の掴み方もわからなかった。

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