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24.当たり前のことみたいに。

 病院は、朝から活気が溢れている。
 世間より時間の軸が、少し前倒しで動いている感じ。

 廊下を抜けて病室に入る。
 寝不足の目には眩しすぎる白い光を目の前に、カーテンを揺らした。

「おはよう」

 声をかけて中に入るけれど、返事はなかった。彼女は目を閉じ、いつもみたいに静かに眠っていたから。

 いつものクセで、首に指を当てて、彼女の頚動脈を感じる。生きているとわかると安心するから。

 その度に俺は、彼女に生きていてほしいんだと思う。

「あら、おはようございます。早いですね〜」
「おはようございます」

 朝の回診か、看護師さんがやってきた。

「彼女、朝ごはんは食べましたか」
「いいえ。あまり眠れなかったみたいで、お薬飲んだんですよ。それで朝方にようやく寝たので」
「そうですか......」

 退院時間まであと1時間半くらいだけど、大丈夫かな。もし難しそうだったら早めに相談しよう。

 ほどなくして看護師が出ていって、俺は彼女の寝顔を見つめた。皮膚の薄い頬にふれて、軽く数回なでてみる。

「また寝れなかったのか...... 苦しくなかった?」

 怖い夢を見たり、過呼吸になったり。きっとつらかったんじゃないかなと思うと、切ない気持ちになる。

 彼女は頭を軽く揺らした。くすぐったかったのかな、と思って手を引っ込めた瞬間に、彼女が薄く目を開ける。

「おはよう」
「グク......」
「頭ぼーっとすると思うから、もうちょっとそのままでいな」

 どんな睡眠導入剤をどれくらい飲んだのかわからないけれど、起き抜けは少しぼんやりするものだと思って。だけど彼女は、何かを話そうと唇を動かす。

「ん? 何?」

 優しく尋ねて、彼女に近寄る。小さな声でも聞こえやすいように。

「......と、おもった」
「え?」
「こないかとおもった......」

 俺ももう、ここに来る資格はないんじゃないかと思ったよ。すごくショックだったし、俺には手に負えないことなんじゃないかって思ったよ。

 でも、この話をするのはずっと先にしよう。本当はあのときって俺たちが笑えるようになってから。

「来ないわけないだろ(笑)」

 突拍子もないことを言われた時のようなリアクション。わざとらしくても、そんなふうにして伝えたかった。俺たちはあの家に一緒に帰るだろ?って、当たり前のことみたいに言いたかった。

 掛け布団の上に出た白い手をそっと握る。

「手、冷たいなぁ。ねーさん、末端冷え症ってやつ?」

 そう問うと彼女がふっと笑った。「なつかしい」と言って。

 高校のとき、放課後の教室で向かい合った瞬間とは違う。綺麗に巻いた髪や、甘く絡まりそうな香水で武装した、年齢不相応な大人っぽさはもう彼女にない。だからあのときみたいに“ねーさん”って感じじゃないけれど。

 俺とまた、くだらないこととか話して笑おう。そのときちゃんとそばにいてよ──どこか遠い場所じゃなくて。

 もう一度彼女は目を閉じた。
 薬が抜けて、意識がすっきりするまで、俺は彼女の指を温めていた。

***

 退院の手続きを済ませて、病室へ戻る。あと15分くらいで出なくちゃいけない時間だ。

 昨日はテーブルに突っ伏したまま寝てしまって、気づけば朝だった。シャワーを浴びて空のペットボトルを捨てて、昨日の夜買ったあの本を、本棚ではなく引き出しにしまった。

 帰ったら昼寝しよう。今日はまだ、もうちょっとかかるけど。

 カーテンを開ける前に声をかける。「入っていい?」と言ったら、中から「大丈夫」と声がした。中に入ると、彼女がパジャマから黒いワンピースに着替えてベッドに座っていた。俺も隣に座る。

「体調は? ふらふらする?」
「ううん。大丈夫」
「そっか。よかった」

 そこからの沈黙は数秒、いや、数十秒あったかもしれない。でも、今日を逃したらと思うと。明日は俺、仕事に行かなきゃいけないし。

「このあと、病院に行こうと思うんだ」
「え? 病院、ここだよ」
「ここじゃなくて、別のとこ」
「......なんで?」
「前に入院してたところの先生、すごく親身になってくれたから、あの先生にちょっと会ってきて...... ちゃんと長い目で見てサポートしてくれそうな先生がいるところ、ないかなって」

 彼女はうつむいた。

 窓からの日差しが、黒いワンピースの裾と白いふくらはぎを照らしていた。

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