18.半減期と初めての添い寝。
「こんなことしたら、もう薬、処方できないよ?」
「はい、申し訳ありません......」
こんな形で、初めて彼女の主治医に会うとは思わなかった。
主治医の言葉は高圧的にも感じたけれど、正論であると同時に、これはそれほどに重いことなのだと知っている。
用法・用量を守らずに服薬するということ──何かが違えば命を落としかねない行為。俺もそれがわかっていたから、何も言えなかった。
「しかも、診察でちゃんと報告したり相談したりもしてないね。なんかそんな気がしてたけど」
初診でもらった薬の少なさ、そのときに覚えた不信感は的中していた。彼女は前に入院していたことも言ってなかったし、不眠症状や不安感についてもまともに話していなくて、「ちょっと気分が落ち込む」程度で終わらしていたという。
「胃洗浄までは必要ないけど、ちょっと半減期が長い薬だし、脱水症状っぽくてかなり免疫落ちてるようだから、一晩だけ入院しますか」
「はい......」
「彼女のこと、ちゃんと考えたほうがいいよ」
俺の力ではやっぱり、ここまでなのだろうか。
***
病室にたどり着いた彼女は、まだ顔色も悪くて、倦怠感が強いようだった。
仰向けの彼女の頬にかかった髪を、優しく横によける。それに気づいたのか、うっすらと目を開けて俺のほうを見た。
「今日はお泊まりだって」
「ん......」
「安心してゆっくり休みな。もう大丈夫だから」
一安心してそう伝えると、彼女の目尻からまた細い涙の筋が流れた。親指で涙をぬぐっても、どんどん流れてくる。
「ああ、財布とスマホしか持ってきてない...... あとで入院の荷物と一緒にティッシュも持ってくるから、今は泣きやんで」
彼女に安心してほしくて俺が微笑むごとに、彼女の涙が流れる。
「体のなかの薬が半分以下に減るまで、ちょっと長い薬なんだって。だからあと何時間かは気持ち悪いかもしれないけど、ちゃんと大丈夫になるから」
「うん......」
「その代わり、しっかり水分とらないとね。何も飲みたくなくても、頑張ろう」
彼女がしてきた行動を含め、他人が極端な選択をする意味がずっとわからなかった。たぶんこれからも、俺が本当に理解できるようになることはないんじゃないかと思う。
だけど、なんでこんなことしたんだって言うのは簡単で。もちろんそれは彼女の意思なんだけど、一方で本当の意思はきっと、別のところにあるような気がして。
どうすれば、俺はそこにたどり着くことができるんだろうか──そこを覗いても、いいのかな。
***
苦しそうな彼女を置いていけなくて、半減期まであと2〜3時間だし、しばらく病室にとどまることにした。あとで入院セットを取りに帰っても、面会時間が終わるまでには間に合うと思って。
背中にあたる日光がぽかぽかして、ようやく落ち着くことができた。その瞬間、勤務明けの疲れもドッときて、うとうとし始めた。
そういえば昨日、結構ハードだったもんなぁ。夜間救急めっちゃあったし、通報した人もクセあったし、いつもはなんやかんや8割くらい軽症の人だけど、昨日は残りの2割も多かったし...... まぁそれが俺の仕事だけど......。
「......うわっ」
かくん、と体が椅子から落ちそうになって一瞬ビビった。寝てた。めっちゃ恥ずかしい。
と思って彼女のほうを見たら、ばっちり見られていたことに気づく。
恥ずかしい、すげぇ嫌だって思ったけど、彼女が微かに笑ってくれたのが不幸中の幸いだった。そういえば俺、彼女が笑ったところあんまり見たことなかったんだな。
椅子に座り直して彼女を見つめると、細い手がふとんから出てくる。その手を力なく伸ばして、俺はその意図がわからなかったけど迷わずギュッとつかんだ。
「どうした?」
「こっちで寝たら......」
「えっ」
そう言って、俺がいるほうをあけてくれた。
常識的にどうなんだとか、まがりなりにも公務員の俺がとか、そういうことももちろん考えたけれど、彼女がこれまで頑なに閉ざしていた扉を開けて、少なくともオートロックのエントランスのところくらいまでは招き入れてくれた気がして...... 嬉しかったような、感動したような。
添い寝のように見えて、微妙な距離をあけて。それでもお互い向かい合っていて。
綺麗な瞳に魅入る。でもこんな綺麗な瞳は、どんな汚いもの、困難なことを映してきたんだろう。
「お仕事、大変だった?」
「うん、ちょっとだけね」
「そっか、お疲れ様......」
「さっきより話せてる」
「うん」
「少しラク? まだ気持ち悪い?」
「うん...... 吐きたいけど、吐けないな」
「何も食べてなかったから、吐けるものがないんだよ」
「そうだね...」
「苦しいんだから、もうあんなにたくさん飲んだらダメだよ」
彼女は小さく頷く。
本当ははっきりと「うん」って言ってほしいのに、そうしないのは、彼女にはまだ不安があるからなんじゃないかと思う。そうしなくても大丈夫という自信とか、もう終わったことだという認識とか、足りないものがきっと多いんだと。
それでも、わずかにでも頷いたのは。
「ジョングクくん...... ごめんね」
ちゃんと申し訳なく思ってるし、自分がしていることは正しいことではないって、頭ではわかっているからで。
また涙が一筋流れて、俺は彼女を緩く抱きしめた。
気分が悪くなったらすぐ起こして、と伝えて、穏やかで柔らかい病室で、ゆっくり目を閉じた。
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