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15.たったこれだけ?

「うわ、今日も暑そうだなー」

 夏の名残を十分に含んだ白い光。そろそろ真上から降り注ぐ時間帯。

 一度玄関の扉を開けてから、いったん部屋に戻る。

「これ、かぶっときな」

 玄関先でたたずむ彼女に、俺が普段使っているキャップをかぶせる。スポッと目まで覆ってしまって、一度手元に戻す。

「頭ちっちゃいなー。調整でどうにかなるかな」

 アジャスターを一番小さいところで止めて、もう一度彼女にかぶせる。

「なんとかいけそう」
「ありがとう......」
「外出るときはこれ使いな。日射病にならないように」

 視界の端で、彼女が微妙な顔つきをしたのが気にかかった。嫌だったんだろうか。外に出ろって言われてるみたいな気分になったのだろうか。そういうつもりでは、なかったんだけど......。

「気分悪くなったらすぐに言えよ」
「うん」

 彼女と一緒に病院へ向かう。足のこともあるから、ゆったりとした歩幅で。

 なんだか心配で、手を繋ごうか迷ったけど、俺たちの関係性では相応しくないと思ってやめておいた。彼女が変に勘違いして、あの家にいづらくなるのも嫌だし。

「日射病って......」
「うん」
「熱中症と違うの?」
「うーん、熱中症は総称って感じ。暑すぎて気分が悪くなったり、めまいや吐き気がしたりするじゃん。そういうの全部ひっくるめて熱中症」
「日射病は?」
「直射日光が原因で体がオーバーヒートするのが日射病。熱中症は、日の当たらない屋内でもなることがあるよ」
「なるほど。さすが救助隊員さん......」

 その会話は、何気ない会話だけど嬉しくて。

 なんでもないことで、会話のキャッチボールをする・できるということは、実は高度で尊いことなのだと思う。彼女といると、尚更そう思う。

***

「また1時間後くらいに、ここの受付のところに来るね」
「うん」
「外暑いから、ちゃんと中で待ってて。わかった?」
「うん」
「じゃあ、いってらっしゃい」

 彼女のことは、総合受付の前で見送った。

 本当は一緒に心療内科のところまで行こうかと思ったけど、健康情報というものはかなりハイレベルな個人情報だし、いったん彼女に委ねるのがいいと思った。あまりズカズカと入り込むのもーーまあ、入院したときは主治医から聞いていたけど。

 エレベーターの扉が閉じるまで、彼女をちゃんと見送る。階数のランプが動いて、ようやく少し緊張が解けた。

 とにかく、かかりつけ医がいなければ話にならない。これでどうにか医療に繋がったと思って。

(さて...... 近くのカフェで勉強でもするか)

 しばらく手につかなかった試験勉強、再開。

 少しずつでも良くなって、彼女が楽になれば──それは少し、楽観的すぎたかもしれない。

***

「......これだけ?」

 思わず口走ったのは、薬局の窓口でのことだった。

 彼女が日常的に服用しなければいけないものだから、俺も一緒に薬剤師の説明を聞くことにした。どんな副作用があるか、どれくらいの時間効くものなのか、もしもの時のために把握する義務があると思ったから。あと、俺がお金払うし。

 薬剤師がトレーに広げた薬の種類は、俺が想像したよりも遥かに少ないものだった。それで反射的に彼女を見て、そう言ってしまったのだった。

 彼女は何も答えなかった。薬剤師もその不穏な空気を少しばかり察知したけれど、「じゃあお薬の説明しますね」と、明るく割って入った。それで俺は内に生まれた不信感を、いったん横に置いておくしかなくなった。

「このお薬は、比較的副作用が少ないと言われていますけども、たまに吐き気がするという患者さんもいらっしゃいます」

 薬をたくさん飲めばいいというものではないのもわかっている。患者に合うであろうものを、必要な量だけ処方してくれているなら、多かろうが少なかろうが関係ない。

 それを差し引いても、トレーの上の薬の数は少なかった。種類も1種類しかない。治療を開始したばかりで、まずは一般的な薬を使ってみるということはあると思うけれど......。

「もし不安なことがあったら、すぐに服用をやめて、先生に相談してくださいね」
「はい」
「じゃあ今日のお会計は──」

 彼女はちゃんと、すべて先生に伝えたのだろうか?

 薬局を出たらもう12:30をまわっていた。朝ごはんが遅かったから、まだそんなにおなかはすいてないと思ったけど。

「暑いし、喉渇いたね」
「うーん......」
「なんかテイクアウトしよ」

 さっきカフェに行ったばかりだけど、俺の目の届くところにいるときは、何かと理由をつけて彼女を喜ばせることがしたかった。

 ベッドでうずくまったり、悪い夢を見て過呼吸になったり、そんな彼女を見ているのは心苦しくて、少しでも......。

 その一方で、不信感を抱くことも、その不信感をちゃんと話し合わないといけないと思うこともある。でも、何かの弾みに彼女を決定的に傷つけてしまったらと思うと、遠慮してしまいそうになることばかりで。

 そのバランスの取り方が難しくて、自分のやり方が正しいのかわからない。それを表に出さないようにするのは、もっと難しかった。

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