友人であり、右腕であり、師匠
皆さん、こんばんは。綺羅です。
今日もnoteをご覧いただき、ありがとうございます。
最近ちらほらと記事を読んでくださる方が増えて、嬉しく思うと同時に、自分の文章表現力に、より磨きをかけていきたいと思っています。
皆さんも、素敵な記事を書くために、日々努力されているのだなぁと思うと、立ち止まっている時間が惜しくなってきます。
私も、自分の好きなことに関して、更に極めていこうと思います。
本当に、いつもありがとうございます。
昨日、近所のスーパーマーケットが入っている商業施設に行ったのですが、外出自粛の中、頑張って営業を続けていてくださった本屋までも、
「当面の間、休業させていただきます」
という、張り紙がありました。
本屋に行くという楽しみを取り上げられたとはいえ、店員さんの健康状態を考えれば、そんなことは言えません。
むしろ、ギリギリの期間まで開店してくださっていて、少しでも本に触れて癒しの時間をいただけていたことは、本当に感謝でいっぱいです。
きっと私だけではなく、本を愛する人は、世間の、今の状態が落ち着いたら、本屋に行きたいと考えていらっしゃるのではないでしょうか?
全国の書店員さん、難しい中でお店を開けてくださって、本当にありがとうございます!
皆さんは、本を読むのは、お好きですか?
私は、本を読むのも見るのも、大好きです。
食べ物よりも本、ゲームよりも本、飲み会よりも本!!というくらいに、本が好きで仕方ありません。
あと、私は「本」を「物」としては捉えていません。
本は、人生の友人であり、右腕であり、師匠だからです。
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友人である本
私は悩みを抱えた時に、人に相談をすることがありますが、同時に、友人である本にも相談します。
過去に私は、
「私、どうしても、朝起きられない。目覚ましかけてるんだけど、鳴っているのも分からない。・・・どうしたらいいんだろう?」
と、悩んでいたことがあります。
最初、友人に相談したら「目覚まし2個おいて、5~10分の間隔で鳴るようにしてみたら?」とアドバイスを貰ったのですが、その方法は既に実験済みだったので「やってみたけど、ダメだった。他の方法ないかな?」と返したきり、会話が途切れてしまいました。
寝不足解消とか、睡眠についての本を読んで、寝覚めの良い方法を取り組んでも、全くしっくり来なかったのです。
困りつつも「方法がないから、仕方が無いよね・・・。」と思いつつ、ある本を読んでいた時のことでした。
私は、その文章に釘付けになると同時に、あまりにも衝撃を受けたので、思わず、声を出してその文章を読みました。
「人間のつとめを果たすために私は起きるのだ。」自分がそのために生まれ、そのためにこの世にきた役目をしに行くのを、まだぶつぶついっているのか。
神谷美恵子訳『マルクス・アウレーリウス「自省録」』(岩波書店,2007年,P71)
これを読んで分かったのです。
私は、
「朝起きる方法を知りたかったのではなく、朝起きる意味を知りたかった」
のです。
方法を教えてくれる人は多いけれど、意味を教えてくれる人は、そういません。
それからこの本は、私の友人になります。
なんと言っても、「皇帝」たる人が、同じ目線に立って悩みを聞いてくれるのですから。
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右腕である本
また私は、生き方について「自分軸で生きる」とは、どういうことなのか、模索している状態でもあります。
他人の気持ちや機嫌に振り回されて、自分のことを疎かにしてしまい、何もできなくなってしまう時があります。
「しっかりして自分を保たなきゃ!」と、思えば思うほど、自分を優先させる方法が分からなくなってしまうのです。
何かいい考え方はないのか、藁にも縋る思いで本をめくると、その言葉は記してありました。
正気に返って自己を取りもどせ。目を醒まして、君を悩ましていたのは夢であったのに気づき、夢の中のものを見ていたように、現実のものをながめよ。
神谷美恵子訳『マルクス・アウレーリウス「自省録」』(岩波書店,2007年,P105)
・・・確かに、今「相手の目が!人の目が!!」って気にしてる自分の目を、醒まさせた方がいいのかもしれない。
マルクス・アウレーリウスにも
「君の心の主は君なのだから、しっかりしろ。」
と、厳しくも優しいアドバイスを受けているような気持ちになりました。
マルクス・アウレーリウスは、古代のローマ帝国を治めた「五賢帝」の一人なので、実際は皇帝という立場の方です。
ですが、私は「皇帝」としてのアウレーリウスを尊敬していると同時に、私の生き方を支えてくれる「右腕」としても信頼しています。
私の人生の決定権は、私にしかありません。
その助言を「皇帝」であり「右腕」の存在からもらえることは、ありがたいことだと、思っています。
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師匠である本
「まだまだ先のことでしょ。」と考えている方もいらっしゃると思いますが、私は、人間が死ぬ時とか、死はなぜ生なのかを考えていることが多いです。
言葉としての「死」は認識できるのですが、実際「死」というものに直面した時、平常心を保っていられるのだろうか、と考えることがあるのです。
そこで、マルクス・アウレーリウスはこう、教えてくれました。
死は誕生と同様に自然の神秘である。
神谷美恵子訳『マルクス・アウレーリウス「自省録」』(岩波書店,2007年,P52)
自分が生まれたことも「自然」ならば、死も「自然」なのか。
「死」に恐怖を感じることがあります。
ですが、それは「自然」なことです。
自然を相手に、人間はなす術がありません。
それは、天気にも同じことが言えます。
雨が降れば傘をさして濡れないようにしますし、寒ければコートを着て暖かくしています。
「死」も同じように考えるのならば、その時を生きる私が、精一杯に「死」と向き合えば、少しは怖くなくなるだろうか・・・と、思います。
師匠、ありがとうございます!
少しですが「死」に対する、得体の知れない不安が拭えたと感じています。
ですが、まだいまいち馴染みのないものには変わりありませんので、他の考え方も十分に知って、心構えを作っていけたらいいなと、思っています。
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私の道しるべ
「よくそんな悠長に考えていられるよな!!明日生きていけるかどうか、分からない人だっているんだぞ!!」
と、思われる人もいらっしゃるでしょう。
その通りだと思います。
だからこそ、私は、このような考え事を考えられる環境に、いさせて貰えているので、真剣に思考して、生きたいのです。
許される環境に、自分を甘やかさず、考え実行することを辞めないでいたいのです。
私にとって、物事の大小は関係なく、考え実行することは、生きることと同じだからです。
本は、自分がどう生きていきたいか、分からなくなった時や迷った時に、黙って手を差し伸べてくれます。
その助言は、時には友人のように優しく、時には右腕のように厳しく、時には弟子を諭す師匠のように、私を導いてくれます。
「君は、何に迷って、困っているのかな?よければ、話してみてくれないかな?」
そう語りかけられた時、私はまた一歩、世界に向かって踏み出すことができるのです。
何だか急に本を触りたくなってきました。
いつもお世話になっているお礼も込めて、カバーを丁寧に拭いてこようと思います✨
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トップ画像は yuki ota様 からお借りしました。
ありがとうございました!
それでは、今日はここまでです。
皆さん、いい読書を!
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