HSP自己テスト ⑬ 「何かで不快」

みなさん、こんばんは。綺羅です。

今日もnoteをご覧いただき、ありがとうございます。


冬の晴れは、紅葉や葉の緑が、一段とみずみずしく見えることに「日本の四季ってやっぱりいいな」と思った午前中でした。

今まで味わうことを忘れていた「四季の移ろい」をめいいっぱい味わおうと思います。


私にとって、一つひとつの項目を、自分で思い巡らすといろいろと発見がある、

エレイン・アーロン博士著「ささいなことにもすぐ『動揺』してしまうあなたへ。」のチェック項目を基準にした、実体験について

の日です。

いろいろなところから、さまざまな知識をいただけるのは、ありがたいことです。

ですが、そこからその知識を組み合わせて、自分なりの「生きづらさ」に向き合う方法が見つけられた時には、自分自身にも「方法を見つけてくれてありがたい」と思っています。


では、本日も参ります。



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はじめに


最初にお断りさせていただきます。


この記事に書く、敏感さ、思考・考え方、感じる事は、すべて、一個人の感覚、体験や価値観、考え方に基づいています。

なので「あるHSP当事者の敏感さ」について「参考」として、ご覧ください。


また、各項目によって、「感じ方や刺激の察知度合いは、人それぞれ」という前提で、話を進めていきますので、

「こういう状態でないと、この項目には当てはまらないんじゃないか?」

「ちょっと気になるくらいなのに、この項目に当てはまると言っていいのか?」

「自分に、特定のレッテルを貼るみたいで、嫌だ。」

と、感じられる方や、持論を変えたくない方もいらっしゃるかと思います。

ですが、ここでの主張は変えませんので、閲覧の際は、「ご自身の判断」において、よろしくお願いいたします。


ある人が「悩んでいる、困っている」と感じている「敏感さ」が、テスト「項目」に、あてはまるか、あてはまらないかを、判断するための記事ではありません。

「判断基準」として「HSP自己テスト」をお知りになりたい場合は、申し訳ないですが、他のクリエイター様でお探しください。



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人が何かで不快な思いをしている時、どうすれば快適になるかすぐに気づく(たとえば電灯の明るさを調整したり、席を替えるなど)


「自分は快適だけれど、相手も快適な環境を整えたい」と考えるHSPの人が多いのではないでしょうか。

心身のバランスがとれている状態のHSPの人は、本当に細やかな点にまで気を配ってくださる方が多いです。

HSP同士で交流していても、その心遣いに感動し、なかにはそのさりげない細やかさを見て

「自分ももうちょっと頑張ってみようかな」

「私もこんな人間になりたい」

と感じて、心の傷が癒える感覚を得た人もいらっしゃると思います。

特に「不快の度合い」は関係なく、HSPでなくとも、そうした心遣いに癒されたり、励まされたりする人は多いと思います。

ですが、同時に気を付けておきたいと考え部分もあります。


この

「自分も相手も快適だと感じる空間を作りたい」

という思いが行き過ぎると、例え、自分の心身の状態を崩してでも、

「”相手が”快適に感じること」に重点を置いてしまい、その環境を整えることが目的になる

ことがあります。


自分が普段、外の環境から来る「生きづらさ」に対して、何らかの方法で対処しているところにも、「他人が何かで不快である状態」を察したり、気付いてしまいます。

「他人が何かについて不快であること」が分かったり感じ取ってしまうと、HSPの人にとって、今まで心地よかった空間は、一気に不穏な空気に包まれます。

自分自身の居心地の良さはそっちのけになってしまい、

「”その人が”快適に過ごせるためにはどうすればいいか」ということを、環境の面から、気持ちの面から、解消できる方法を探し始めてしまう

のです。

「その人が快適に感じられる環境」を追求した結果、

「自分には常に緊張して疲れてしまう環境になっていた」こともあり得るのです。


個人的な所感ですが、こうした状態に陥るのには、

・他者との境界線が曖昧である状態

・自分の言動が「他人軸」であること

だと考えています。

他者との境界線が曖昧だったり、自分の言動が「他人の基準」にそっていると、自分の望みなのか他人の望みなのかが、わからなくなってきます。

心身共に追い詰められている状態で、HSPの人は、自分が不快な環境に置かれていても、

「他者の感覚に染められた、自分の感覚」に気付きにくく、例え心地よくない環境でも「心地いい」と刷り込まれるのではないか

と考えます。

その「心地いい」という感覚も、無意識のうちに馴染んでくる感覚です。


実際、そんな自分を変えようと行動してみると、

周囲の人や環境による「私=こんな人」というイメージづけが強いからか、反発されることもある

ので、

「自分の繊細さに向き合えって言われても、簡単に向き合えないよ!」と感じている人もいる

のが、実態なのではないかと思っています。



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実生活から、考えてみる


私自身がどちらかというと、他者との境界線がうまく引けず、「少しでも人の役に立てないと存在価値などない」と思い込んでいたので、どんなに自分の調子が狂おうと、体調がくずれようと、

「こんなことでしかないと役に立てないし、役立たずなんだからここで役に立たないといけない」

と、本気で信じていました。

極端な言い方をすれば、「人のためになるならば、自分は傷付けられても構わない」と言っているようなものです。


・煙草のにおいを「大丈夫です」と言ってみたり

・自分の手元の仕事がいっぱいなのに「手が空いているので手伝います」と言ってみたり

・自分は寒いけれど、友人は暑いと言っているから寒いのを我慢して同じ部屋に居続けたり

・SNSのアカウントを教えたくないけれど、同僚の機嫌を損ねたくないから仕方なく教える

etc・・・

今から思うと、とても危険な状態だと思います。

こういうことからも、以前の私の考え方は、「人が何かで不快な思いをしている時、どうすれば快適になるかすぐに気づく」ことが、行き過ぎた例だと考えています。


自分がそうしたいからそうしているのですが、そうは言っても、自分の心身の状態を顧みず、

相手が感じる快適さに基準を置くというのは、心身のバランスを崩すリスクが大き過ぎます。

相手が自分自身ではない限り、他の人はどこまでも”他の人”です。

「快適さを感じる環境」を推測しそうした環境に整えられたとしても、そうしたことによって「自分が不快に感じる環境」を作り上げてしまっては、元も子もありません。


「自分は、ここまでなら大丈夫。」「これ以上の変化は無理だ。」と言い切れる範囲で、「人が感じる不快をなんとかできないか」という努力をすれば自分も相手も守れる状態ではないかと思います。

快不快の感じ方は、親子間でさえ明確に分かるものではありません。

本当に理想的な範囲で、自分の快適さを探せるのは自分だけです。

人間は1人で生きているわけではないので、誰かと何かにおいて協力する場面では、譲歩することも必要になってきますが、

そういったことが許せる最大限の範囲で、自分の快適な環境が見つけられることが理想だと考えています。



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自分の「快適」は、人からもらえるものではない


自分が「快適だ」と思っていた環境は、実は相手にとって「不快だ」と思っていることは、世の中では数え切れないほどに事例があると思われます。

その中でも「その環境が不快だけれども、一緒にいる」ということもありますよね。

あるいは「その環境が不快だと分かっているけれど、一緒にいるしかない」と考えられることもあると思います。

そういうお話を、家族や友人、恋人同士間でされることはありますでしょうか。


私は、いとことそういう話をすることがありました。

いとこが遊びに行った先で体調を崩したのですが、しんどかっただろうに、いつまでも私について回るのです。

「体調が悪いなら、もう帰って休んだ方がいいよ。私がヒヤヒヤする。改札口までは送るから・・・」

こういう私に対して、いとこが言ったことは、

「うん、本当に大丈夫。体調が悪いけれど、歩けないほどじゃないし。綺羅ちゃんのお買い物について行っているほうが、いろいろと珍しいものや楽しいものが見られるから、気が紛れるし、楽しくなるの!本当に無理そうだったらちゃんと自分で休むから、ついて行っていいでしょ?」

というものでした。

いとこは体調が悪いままの「不快」な状態で帰るよりも、少しでも気分が晴れるような買い物を見て「快適」に過ごしたいのかもしれないと思い、「調子が悪くなったらすぐに言うこと」を条件に、一緒に行きました。


人には、心身の調子が少々崩れても「ここにいたい」「一緒にいたい」と思える環境や人がいるのだと思います。

その快適さは、自分で取りに行っていいのだと思いますし、また、無理に取りに行かなくてもいいと思われます。

覚えて置くこととしては、自分の快適は、相手も快適とは限らないことです。

ならばせめて、自分と「快適」の感覚が合う環境、人に対して、「この環境、この人と関われるなら、ちょっと頑張ってみようかな」と思えたならば、少しでも生きやすくなるのではないかと思います。

何に重点を置くかは、その人の感じる所や好きなものによって、千差万別だと思われます。

その中から、自分の「快適さ」を探すのは、とても骨の折れる作業でしょう。


それでも私は、自分の求める「快適さ」は捨てたくありません。

その「快適さ」は、自分の「生きる糧」になるからです。


誰もが、自分の「快適さ」を極めた先で、生きやすくなる世が来て欲しいと、思っています。



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トップ画像は ぽぴぃ氏様 からお借りしました!

ありがとうございました。


みなさんからのスキに、いろいろ諦めないで、生きててよかったなと思えます!

この記事にお時間をいただき、ありがとうございました。


それでは、今日はここまでです。

みなさん、いい週末をお過ごしください。



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