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『幻影の書』読書メモ
オースター作品を読むのは8ヶ月ぶりらしい。『幻影の書』でオースターは、物語を物語として語る勇気を獲得しているように見える。小説の中にはいくつもの大小軽重の物語がでてくるが、これらの物語一つ一つについて、これは真実らしい、これはデタラメだ、という評価をすることが可能になっている。『幻影の書』は、物語が真実性を獲得するためにの条件を課す。それは、見たものが、体験したことが、書けることが、真実であるとい
もっとみる事務職員による『事務に踊る人々』読書感想文
阿部公彦の『事務に踊る人々』でその存在を忘去されているのは、事務職員である。とでもいいたくなる。阿部先生は、事務が立脚するところの「規則」や「制度」に、いつも一人で立ち向かっている訳ではないだろう。特に東京大学内で事務手続きを進める場合、事務職員にメールや書類を出すことで、手続きを進めているはずである。事務職員、つまり事務を生業にする人々は、『事務に踊る人々』に書かれている以上の、実務的な苦しみと
もっとみる枯葉、PERFECT DAYS
「枯葉」も「PERFECT DAYS」も、都会の低賃金労働者が、淡々と生活を営む様子を描いた映画である。2本とも2023年の年末頃から上映していて、わたしは2024年に入ってから観た。これらの映画は、人生の合目的性、つまり、最終的になにか輝かしいゴールが待っているのだ、何かを達成するのだ、という人生観に基づいて作られたものではない。主人公たちは、上映時間の中で何かを完成させるわけでもなく、ただ人生
もっとみるPERFECT DAYSが描く“何気ない幸福”が罪悪感を軽減させる
全ての人生が愛おしい、と思わせる映画の何が危険なのか、PERFECT DAYSを見れば分かる。
この映画は、明らかに社会的に弱い立場にあるトイレ清掃員を、規則正しい生活を送り、足るを知る幸せな人として描き、またホームレスをファンタジー的な存在として描く。東京に住む/訪れる中間層以上の人たちがトイレ清掃員やホームレスを見るときに抱く、罪悪感を軽減させることに成功しているのではないか。
あの人たち
2023年、旅行とか本とか映画とか
旅行3月に博多・別府、5月に日光、8月にローマ・アッシジ、10月に瀬戸内海の直島・犬島、12月に熱海と四万温泉へ行った。
8月に足利市美術館で行われた「顕神の夢展」を見るために足利までいったのも、旅行に含めてもいいかもしれない。駅から出るとすぐに大きな川があって、強く吹く風と共に青い草の匂いがしていた。日傘が吹っ飛ばされそうだった。顕神の夢展の不穏なメインビジュアルのポスターが街のあちこちに貼
『リヴァイアサン』読書感想文
オースター作品から2カ月離れていたが、また読んでみた。
オースターの初期の傑作であるニューヨーク三部作と、その後の『ムーンパレス』『オラクル・ナイト』『リヴァイアサン』などの作品は、同じようなモチーフを繰り返し用いながらも、明らかに提示の仕方が違う。
『リヴァイアサン』ではニューヨーク三部作や他の作品と同じく、語り手の親友の突然の失踪、探偵が尾行するのは自分の依頼主である、といったモチーフが登
アナキスト柔軟体操とさぼり
仕事の業務時間中のさぼりを、資本主義、管理社会、その他もろもろへの抵抗として肯定するためにはどうしたらいいだろうか。今のところ、以下の3つのアイディアがあり、今回は①について考えてみた。
①さぼり=アナキスト柔軟体操であると位置づける。
②さぼりをバートルビー、I would prefer not toの文脈で考える。
③さぼりをブルシット・ジョブからの逃避として捉える。
アナキストであり
ブルシット・ジョブとさぼり
仕事の業務時間中のさぼりを、資本主義、管理社会、その他もろもろへの抵抗として肯定するためにはどうしたらいいだろうか、と最近考えている。今のところ、以下の3つのアイディアがあるので、一つ一つ検証していきたい。
①さぼり=アナキスト柔軟体操であると位置づける。
②さぼりをバートルビー、I would prefer not toの文脈で考える。
③さぼりをブルシット・ジョブからの逃避として捉える。
透明人間とはなにか?唐組考察
唐組「透明人間」の花園神社公演を見てから、ずっと「透明人間」とは何なのかを考えている。劇の中で「透明人間」は、3つの具体的な姿をもって描かれていると思う。
①辻の父
荒井高子『唐十郎のせりふ』で指摘されていたように、辻にとっての「透明人間」とは第二次世界大戦を経験した辻の父であろう。辻は父の物語を引き継ぎ、全国各地でモモと呼ばれる風俗嬢を足抜けさせていく。この例から観れば、透明人間とは、その場
映画『TAR/ター』感想 (リディア無罪説)
TOHOシネマズ池袋でTARを観てきた。
あのラストについては、監督が明確に一つの解釈を提示してくれており、とても納得できるものだった。
このnoteで書きたいのは、私はこの映画を「主人公がSNSとメディアによってセクハラ・パワハラの加害者に仕立て上げられてしまった」というストーリーだと思っていたのだが、あまりそういう読みをしている人がいなくて驚いた、ということだ。ツイッターなどで前評判をみてい
唐組『透明人間』観劇メモ@新宿花園神社
唐組の春公演『透明人間』を新宿の花園神社で観てきた。始めて唐組の公演を観たのは2019年の『ジャガーの眼』なので、もう4年ほど劇団を追っていることになる。全部は観られていない代わりに、他のいくつかの劇団で唐作品を観てきたが、特に好きだったのは唐組『ビニールの城』、唐ゼミ☆『唐版・風の又三郎』だ。
最近の唐組は1幕と2幕の間の休憩で場面転換をせずに劇を通して一つの場所で物語が展開することが多いが、
『オラクル・ナイト』読書感想文?
ポール・オースター作品を次々と読み進めている。年代順に読んでいこうと思ったけれど、1980年代の作品を読破したあと、なんとなく21世紀に入ってから出版された本作を読んでみた。
作家である主人公は、物語を作る。妻を残し失踪する男についての物語。その男が読む小説の原稿に記された物語内物語(私からみれば物語内物語内物語だ)。また、主人公は妻の行動と態度の謎を埋めるために、妻と友人が不倫する物語をつくる
『最後の物たちの国で』読書感想文
本書は、『シティ・オブ・グラス』などの作品で有名なポール・オースターによる、ディストピア小説である。私が一番好きなのは、以下の部分だ。
『最後の物たちの国で』はディストピア小説でありながらも、モノの供給は途絶えていない。高価で手に入れるのが難しい物もあり、どのようなルートで供給されているのかは不明だが、たしかにモノはあり、主人公とその恋人は、主人公の脚を滑らかにすることに剃刀の意義を見出す。
フランス革命中の非キリスト教化運動について
以下は、私が大学2年生のときに大学の授業の期末レポートとして提出したものである。文章の稚拙さと議論の一貫性のなさが否めないが、記念として載せておきたい。
序論
このレポートは、「フランス革命中に起こった非キリスト教化運動とはいったいなんだったのか」というリサーチクエスチョンに応答している。このクエスチョンをさらに3つの問いに分割し、以下の1~3章でひとつずつ検討していく。第1章では、まず、独占