枯葉、PERFECT DAYS

「枯葉」も「PERFECT DAYS」も、都会の低賃金労働者が、淡々と生活を営む様子を描いた映画である。2本とも2023年の年末頃から上映していて、わたしは2024年に入ってから観た。これらの映画は、人生の合目的性、つまり、最終的になにか輝かしいゴールが待っているのだ、何かを達成するのだ、という人生観に基づいて作られたものではない。主人公たちは、上映時間の中で何かを完成させるわけでもなく、ただ人生を歩み、環境の変化を感じている。共通点は、主人公たちが寡黙だということ、デジタル・デトックスされた生活をしていることなどが上げられる。これらの点が、主人公たちをクールに見せている。

この2つの映画には、異なる点もたくさんある。「枯葉」は状況に対する閉塞感が漂っているのに対して、「PERFECT DAYS」は楽しそうだ。それどころか、主人公の平山は貧しい暮らしやトイレ掃除の仕事をすることを、自ら選択したことが示唆されている。元々は裕福な暮らしをしていたようなのだ。一方「枯葉」でスーパーの廃棄食品をこっそり持ち帰っていることがバレた主人公は、店長のような男からクビを言い渡され「労働者に不利な契約になっていますもんね」と噛みつく。お金がないので電気代が払えるか怪しいく、週払いで現金払いしてくれるが明らかに違法な取引をしている店で働くことになる。主人公と恋に落ちる男も、仕事中の飲酒がやめられない。「PERFECT DAYS」の平山が自らの職業に誇りを持ち、プロ意識が高いのとは対象的だ。男女関係の描かれ方も違う。「PERFECT DAYS」で、平山は自身の素敵なレコードの趣味を解す若い女の子にキスされるし、通っている店の女将は平山にだけ心を開いているかのようだ。ただし女将の元夫に「あいつを頼みます」といわれても、平山は「いや…そういうんじゃ……」と返す。平山は男女関係に責任を取らない。主体的にコミットしない。訪ねてくる姪も、あくまで一時的な滞在である。一方「枯葉」では、「あなたの事が好き、でもアル中はごめんよ」という女のセリフのあと、男はアルコールを断つ。結婚したいという。2人はパートナーとして結ばれるだろう。

貧しい暮らしの中で仕事にプロ意識を持つができず、しかし人間関係(主に恋愛)に主体的にコミットすることで閉塞感を打ち破る「枯葉」、プロ意識を持って仕事を行い、一人で充足して生きていく「PERFECT DAYS」。

私は「枯葉」の方が好きだった。それは、PERFECT DAYSで描かれる清貧をリアルなものだと思えないし、それが実際の低賃金労働者の苦しみを覆い隠すと思うからだ。

一方で、「枯葉」が好きなのは、それが少なくも現状の追認でないからだ。無力感や現状への不満を描いたあとに、希望を見せるからだ。
でも、舞台のフィンランドのリアリティは私の中に蓄積されていないから、なにを覆い隠すのかを理解していないというだけ、という可能性はある。PERFECT DAYSとは違って、そういう物語なんだとそのまま受け入れられるのかもしれない。

枯葉の劇中歌にハマっている。



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