『オラクル・ナイト』読書感想文?

ポール・オースター作品を次々と読み進めている。年代順に読んでいこうと思ったけれど、1980年代の作品を読破したあと、なんとなく21世紀に入ってから出版された本作を読んでみた。

作家である主人公は、物語を作る。妻を残し失踪する男についての物語。その男が読む小説の原稿に記された物語内物語(私からみれば物語内物語内物語だ)。また、主人公は妻の行動と態度の謎を埋めるために、妻と友人が不倫する物語をつくる。これらは、全て一冊の青いノートに主人公によって書かれることになる。

誰しもが誰かの全てを理解することは不可能で、自分の中で物語を作ることで人を理解しているのだということには同意する。私は最近、半年以上前に私を振った彼氏は、浮気していたのだという物語を作り上げ、それを他の人に話すようにしている。

私が気に入らなかったのは、物語内物語として、失踪する男の視点から描いた物語が出てきたことだ。オースター作品では、人が失踪する。語り手/主人公はたいてい探す側の人間であり、対象に追いつこうと思っても追いつけず、失踪した理由は明らかにならない。しかしこの物語内物語では、失踪するきっかけや、失踪した主人公に連絡が取れない理由(大抵はタイミングが悪かった、というだけだ)が明白に描かれる。
私がオースター作品に惹かれるのは「他人という真実にはどうやっても到達できない」ということを描いているからなのだが、この到達できなさが、「運命の数奇さ」によって説明されてしまった感じが気に入らなかった。

結局、主人公の下へ「手紙は届いて」しまう。この手紙が届くという表現を、わたしは精神分析的な意味で使っている。起こってしまったことは前から運命づけられていたと証明するような出来事が起こってしまい、物語は終わる。
なぜ手紙は届くのか、ジジェクが著者『汝の症候を楽しめ』で解説してくれていたのに理解できなかったので、もう一度読み直してみたい。

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