『最後の物たちの国で』読書感想文

本書は、『シティ・オブ・グラス』などの作品で有名なポール・オースターによる、ディストピア小説である。私が一番好きなのは、以下の部分だ。

剃刀はちょっとした贅沢品です。彼の顔を滑らかにするか、私の脚を滑らかにするか、そのどちらかに限定するしかありません。脚が圧倒的勝利を収めました。

『最後の物たちの国で』p.138
ポール・オースター、柴田元幸訳、白水社、1999年。

『最後の物たちの国で』はディストピア小説でありながらも、モノの供給は途絶えていない。高価で手に入れるのが難しい物もあり、どのようなルートで供給されているのかは不明だが、たしかにモノはあり、主人公とその恋人は、主人公の脚を滑らかにすることに剃刀の意義を見出す。

この作品には、他のポール・オースター作品にも見られるモチーフがたくさん出てくる。運命の出会いのような男女の恋、親のような存在の死、思いがけない遺産の相続、飢え、本の読み聞かせなど。異なるのは、舞台がニューヨークではなく、どこなのかわからない場所であることだ。また、オースター作品の主人公たちは偶然や運命のような出来事から物語に巻き込まれるように小説が始まることが多いが、『最後の物たちの国で』の主人公アンナは、行方不明になった兄を探すために自らこの滅びゆく国へ行くことを決める。  

また、主人公が他人のライフストーリーの聞き手になるというエピソードもオースター作品によく出てくるが、自分にとって大切な人のライフストーリーを聞く他の主人公たちと違い、アンナは「自分の物語を語りたがる」他人の話をたくさん聞かされ、みな同じようなものだと感じ、うんざりしてしまう。

この作品は、オースターの他の作品と同じく、「語り得なさ」と人間の自己理解や相互理解の困難さがテーマになっている。舞台がディストピアであることで、これらはますます強調された。アンナは「飛行機」の存在を忘れてしまった人に出会い、衝撃を受けるが、飛行機とはなにかを知らない人に、飛行機の話はできないのだと断定する。自分も同じようになにかを忘れてしまっているのであろうというと思い、一人一人がそれぞれ別々のものを忘れて行くことで共通理解の領域が減っていき、他人と意志を交わすのがますます難しくなるだろうと感じている。
しかし、アンナは、滅びゆく国にたどり着く前から、物それ自体を記憶しておくことが困難であったことを覚えている。アンナは幼い頃汽車の窓からの風景に夢中で、それを頭の中にしまおうとしたが、まばゆい、美しいかすみだけが残り、空や水の記憶はない。 

それらはいつも、私が手にするまえから、もうすでになくなっていたのです。

同上、p.107

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