映画『TAR/ター』感想 (リディア無罪説)

TOHOシネマズ池袋でTARを観てきた。
あのラストについては、監督が明確に一つの解釈を提示してくれており、とても納得できるものだった。

私にとってあのシーンは、主人公が21世紀の優れた指揮者であり、優れた作曲家であることの、とてもシンプルな帰結として描いたものです。ドイツで指揮することができなくなったとしたら、彼女はどこか他の国で指揮することになるでしょうし、死んだ白人の古典音楽家のカノンを演奏することができなくなったとしたら、同時代のより活気のある音楽の分野に飛び込むことになっても不思議ではありません。あのシーンで重要なのは、彼女がいまなおタクトを振っているということです。

https://moviewalker.jp/news/article/1134644/p2


このnoteで書きたいのは、私はこの映画を「主人公がSNSとメディアによってセクハラ・パワハラの加害者に仕立て上げられてしまった」というストーリーだと思っていたのだが、あまりそういう読みをしている人がいなくて驚いた、ということだ。ツイッターなどで前評判をみていたこともあり、最初は父権権力を手に入れたカリスマ女性指揮者が若い女性を搾取する話なのだと思っていた。そこから一転して「SNSによって加害者に仕立て上げられてしまった」のだと解釈を変えたのは、主人公のリディア・ターがパートナーのシャロンに「あなたはあの噂を信じるの?」と聞いたシーンにおいてである。あの噂、とは、リディアの教え子クリスタが自殺したのは、クリスタがリディアからの性的な誘いを断ったため、リディアがクリスタのキャリアを邪魔したのだということだ。ケイト・ブランシェットが実際にどのような意図であのシーンを演じたのかは分からないが、私はあそこのケイト・ブランシェットの演技をみて、「あれ、この人本当に自分はセクハラ・パワハラをしていないと思ってるんじゃないか?」と思った。
実際にリディアは、クリスタの精神が不安定であり、指揮者として雇うのはおすすめしない、とのメールを何通も送っていることが映画の中で明らかになる。ただ、リディアが言うように、クリスタの精神が本当に不安定であり、リディアへの嫌がらせをしていたという可能性は否定できない。おそらく、最初の方に出てくる差出人不明不明の本のプレゼントはクリスタからのものだろう。クリスタの偏執性を表していると言えなくはない。わたしは、冒頭の寝ているリディアについてのチャットはフランチェスカとクリスタによるものだと思っている。

また、ロシア人のチェリスト、オルガへの贔屓は、本当にリディアの性的な欲望によるものだろうか。単に、才能あるプレイヤーを伝統とルールを重んじる楽団の中でふさわしい地位に上げたいというモチベーションでオーディションを開催したとも考えられる。

そして、秘書業務をやっているフランチェスカを副指揮者にあてがうために前任を解雇しようとした、というのも、あくまで前任のセバスチャンによるセリフであり、これはおよそプロフェッショナル同士の間で交わされているとは思えない、非常にリディアへの敬意を欠いた発言である。フランチェスカは実際には副指揮者の座を得ることができなかった。

そう考えると、リディアの講義の映像が悪意ある形で編集され、SNSで流されてしまうというエピソードは、示唆的に思える。SNSに流されたであろう映像は、リディアが性別やナショナリティによる差別を行う人なのだと印象付けるためのものだった。しかし、これは明らかに事実とは異なった悪意ある編集によるものなのである。これ以外のリディアによるセクハラ・パワハラについても、この件のように受け取る側による歪曲によって作られたのだとも解釈できる。

観客は、リディアの「権力者のレズビアン」という属性から、明確に描かれている訳ではない若い女性へのセクハラ、パワハラを読み取ってはいないだろうか (ただし、明らかにそのような読みをねらって作られた映画だとも言えるだろうが。リディアにはたしかに「有害な男らしさ」を連想させる要素がたくさんある)。実際、リディアが映画の中で陥っている状況はそのようなものである。

リディアが本当にセクハラ・パワハラをしたのかは映画の中では曖昧であり、おそらくどちらとも解釈できるような余白を残しているのだと思う。リディアにお気に入りがいるのは確かだが、リディアがその人たちを「不当に贔屓している」と感じるのは、彼女が権力をもつレズビアンの女性だからではないだろうか。リディアがオルガをソリストとして抜擢し、フランチェスカを副指揮者として抜擢しなかったのは、単に彼女たちの才能をそれぞれ評価したというふうには考えられないだろうか。カリスマ指揮者であるはずの彼女の選択が疑われ、欲望に歪曲されていると言われるのは、彼女が女性で権力者でレズビアンだからではないだろうか。

もちろん、権力をもったレズビアンがその権力を行使してセクハラ・パワハラをし、それが明るみになったことで失墜する映画だと読むことも可能だとは思う。だが私はあえて、無実のリディアがSNSとメディアによって加害者に仕立て上げられてしまった、という説を推しておきたい。

余談だが、最初のスタッフロールですでにMonster Hunterの文字が出てきており、モンハン……?と思っていたら、まさかの最後に出てきてとてもびっくりしました!

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