セフレは2流なのか

最近のメモです。思ったことの羅列です。

セフレが2番手とか都合いい相手みたいに書かれるのなんでや。互いにウィンウィンやったらそんでよくないか。なんで彼女になりたくてもできないデートしたくてもえっちしかして貰えないみたいな描き方なん。寂しさを紛らわすためだけで結局虚しいみたいな。性欲満たせてめんどくさいことはなしいいとこどりのはっぴーはっぴーみたいな関係やったら、コンテンツにならへんのか。

言語化能力が乏しいから行為にはしるのか、切るという。ということは、私は言語化能力が優れていないということなのかおい。確かになんで切るんか自分でもわからなんけども。知らん人とのセックスもなんでするんかわからんわ。それが自傷行為になってるってことはわかるけど、なんでそうなるんか自分でもわからん。わかるようで曖昧にしておきたい気もする。

セルフハームの何が悪い。圧倒的自己完結で誰も傷つけてなくていいやん。

1925年普通選挙法が男性のみに施行されたって歴史で学んだ時わたしは違和感が無かったんやろうか。なんで女性にも適用されへんかったのか、疑問を感じ、そんな事実があったんかぁと当たり前のように受容できたのが、今になって腹立たしい。

労働者とは、生産手段を自己所有しないために、自らを労働力商品として市場で売り払うほかないような存在である。P21 家父長制と資本制 上野

生産手段を所有する側になりたいなぁ。

人生は壮大な暇つぶしの割にイージーじゃない

呼吸は意識した時が1番つまづく。どうやって生きていこうか何も思考をはせない時が1番いいのに、かなりの頻度で、一分一秒どう生きようか考えるから不安になる時がある

声を荒らげずして主張を通せる人ってすごい

バイアスが重なって初めて個人的な楽しいとか面白いがでてくる?何もない状態だと感性がないので何にも引っかからない?そのバイアスの重なり方が育った環境や触れたものによって異なってくるから、人によって面白いと感じるものも異なるようになる?同じバイアスを生成すれば、同じものを面白いと感じる?

今日もなんで私の身体は目覚めて息をするのかなんて考えてもどうやら意味は無いらしいので、晩御飯の肉じゃがを楽しみにとか、友達とのお出かけのためとか、どうやら生きるってそういう小さな楽しみを自分で見つけて暮らすとかそういうことらしい。人生という壮大な暇つぶしに壮大な目標や意味はないらしい。

フェミニズムの読み物は当たり前のように、あなたは女性蔑視を内面化しているとか、男性中心主義の流れを組んだものの見方をしているとか、世界は男が支配しているなんて言うけれど、身近な例を出してもらわないと分からないし、彼女たちの主張が正しければその世界観を気づかないまでに内面化しているらしい。根拠を示してもらわないと、現代の若年女性には、その世界の見方が妥当かどうかわからない。

私なんぞにご支援いただける方がこの地球上におりましたら、もう控えめに言ってあげみざわエクスプローションします。