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難病・障害と生きる

初めまして。ぽつぽと申します。

私の障害や難病、職歴、資格取得遍歴を書きました。

同じように病気や障害に苦しんでる人やそのご家族や支援者の方の参考になれば幸いです。

ありのままの気持ちや経験を率直に記載しているため、一部不快な表現があるかもしれませんが、ご理解の上お読み下さい。

それとこれはあくまでも私の経験です。皆さんそれぞれのペースで無理せず進んで下さい。

よろしくお願いします。


障害、難病について


①難病(神経線維腫症1型のステージ5)
先天性の染色体異常で発症します。そして私はこの難病のステージ5であり、「最も病状が進行し、日常生活に大きく支障がある状態」です。

小学3年生の時に初めての手術をしてから、多くの手術を経験してきました。術後は傷口が痛く、特に小学生の時は痛みで眠れなくなり、辛かったです。

入院中に「もう学校に戻れないかもしれない」と言われた時は、深いショックを受けました。

手術を繰り返し過ぎた為、皮膚の再生力が低下し、現在は手術を見合わせています。

※2025年1月ごろに再度手術が必要かもしれなくなってしまいました。

また私の場合は骨が変形してしまい、身体障害もあります。それにより膝や腰に痛みがあり、そのことから医師に「スポーツは控えた方が良い、もしやるなら水泳にしなさい」と言われました。

私はスポーツ(特に球技や走ること)が好きだったので、言葉にならない程のショックを受けました。

さらに全身に腫瘍ができてしまい、痛みがあります。腸や骨盤内に出来た腫瘍は、下血などの原因となります。それにより慢性的なめまいや疲労感があります。

またこの難病は、腫瘍が悪性化することがあるので、定期的に精密検査を行っています。

②見た目に関する問題について(いわゆる見た目問題)
難病は見た目に関する問題についても、深刻な影響を与えます。体中に無数の腫瘍が出でき、かつカフェオレ斑と呼ばれるシミが出来るからです。

腫瘍はどこにでも出来るうるというのが非常にやっかいです。顔など目立つ場所にも出来てしまうのです。

容易に想像できることだと思いますが、見た目に関する問題は自信を著しく喪失させ、生き方や考え方に多大な悪影響を与えます。

③発達障害(ASD、ADHD)併発
子供の頃は、場面緘黙症(選択性緘黙症)やチック症に悩みました。
 
学校のイベント(合唱コンなど)では突然固まってしまい何も出来なくなる事がありました。それを誰からも理解されず苦しみました。

また遅刻する、忘れ物をする、板書が出来ない等の症状があり、学生生活を送る上で多くの困難がありました。

特に板書が出来ないのは深刻で、現在でもメモを取ることが著しく苦手です。

周りの人から理解を得られない事が最も辛かったです。もっと早く発達障害の診断を受けていれば、自己理解・他者からの支援、双方の意味において、状況は変わっていたのではないかと思います。

ですから私は早めに診断を受け、専門家の援助を受けることをおすすめします。それは決して恥ずかしいことではない、ということを強調したと思います。

④統合失調症
私の場合は、監視されているという緊張感、誰かに追われる、馬鹿にする声が聞こえるなどの妄想や幻聴が症状です。追われていると思い、逃げ回って全く知らない駅にたどりついてしまったこともありました。

⑤気管支喘息
私の場合、特に寝る前に咳が止まらなくなくなることがしばしばあります。苦しくてよく眠れなかったりするので、体力が消耗します。

⑥その他の病気
その他にも、突発性難聴、顔面神経麻痺、過敏性腸症候群などになりました。

職歴

現在の職業
障害者雇用(4年目)

以前の職業一覧
介護職・介護支援専門員(11年)
スーパーマーケット店員(1年)
寿司職人(1年)
コンビニバイト(1年)
ゴルフ場バイト(2か月)
など

職業についてのエピソード
私はもとは料理人になりたいという夢があり、調理師専門学校を卒業し、ホテルで寿司職人として働き始めました。しかし難病が悪化してしまい退職をしました。 

その後、イタリア料理店や懐石料理店などでも働きましたが、やはり難病が悪化しました。

私の難病では体力的に料理人は無理なのだなと思い夢を諦めました。

その後、スーパーで働いたのちに、介護職員として11年働き、介護支援専門員になる事が出来ました。しかし精神病が悪化してしまい、精神科閉鎖病棟に入院することになり退職しました。

学生時代のアルバイトについて
学生時代はコンビニエンスストアやゴルフ場のアルバイトを経験しました。

私にとって仕事は、難病や障害の影響があり常に困難です。

就労移行支援事業所での経験

就労定着支援事業所での訓練内容
私は精神科閉鎖病棟を退院した後に、就労移行事業所に1年ほど通所しました。

私が通っていた就労移行支援事業所では、プログラムが細かく決められており、パソコン訓練、オフィス訓練、グループワークなどを行いました。それらは現在の職場でも役立っています。

また他の訓練生たちとの交流からも多くを学びました。何人かの訓練生とは友人となり、今でも定期的に会っています。

就労移行支援事業所で学んだ大切なことは、他者を信頼し、適切に頼ることは、恥ずかしいことではない、ということです。

困ったときは、適切に他者や社会に助けを求め力を貸してもらう、一方で自分の貢献できることで精一杯貢献していけば良いと思いました。それが共栄であり自立です。

ひとりで何でもこなそうとするのは自立ではなく孤立だと思っています。

障害者雇用の就職活動について
就職活動は半年で、5社目で就職が決まりました。

私はそれまではアルバイトや就職活動でなどの落ちたことがなかったので、障害者雇用の就職活動は難しく感じました。

最初書類選考で2回落ち、その後集団面接(企業実習のためのもの)に2回落ち、その後、障害者雇用の為の面接で採用されました。

個人的には一般雇用よりもはるかに難しく感じました。

ただ困難であったために、自己と向き合い、内面を言語化することが出来たと思います。

自分の障害や難病の特性を理解し、そるに対して合理的な配慮をいただければ、力を発揮し貢献できることを伝えることが大切だと思います。

私が面接で企業に対してアピールしたことは、就労移行支援事業所を1度も休まなかったこと、遅刻や早退も1度もしなかったこと及び仕事上の資格を継続的に取得してきたことです。

これらは偶然の産物ではなく、自分の障害や難病の特性の把握、自らの努力や工夫、そういったことで達成できたことなので、自信をもってアピールすることが出来ました。

就労定着支援こぼれ話
精神科閉鎖病棟入院や就労定着支援事業所通所を経て再就職が決まった時は、感慨深いものがありました。本当に支えてくれた方々のおかげだと深く感謝しました。

また初給料で祖母に服をプレゼントしました。祖母がとても喜んでくれたので、凄く嬉しかったです。その思い出は、私の宝物です。生涯忘れることはないでしょう。

障害者雇用でやりがいを感じる時
障害者雇用で働いていて、どのような業務であっても達成した時にはやりがいを感じます。

VBAやエクセルの関数など、勉強したことを業務で活かせた時や良いフィードバックをもらえたときは、特に嬉しいです。社内のチャットボットの導入にも携わりました。その他、スポット業務、雑務、会社の経費精算・支払い業務などをやっています。

もっと多くのことを任せてもらえるようになりたいです。そのために、いつでも心とスキルを準備しておきたいと思います。

大変嬉しいことに私の仕事ぶりに対してお褒めの言葉を頂けることも増えてきました。それだけでなく、立ち居振る舞いや品性、後輩への指導についても評価していただいています。

特に嬉しかったのは「あなたがチームに良い影響を与え、チームの力が格段に向上した」と言っていただいたことです。

これは後述しますが、私の目標とする、自己成長と他者の成長をアシストする、この2点が出来ていたことを意味します。

障害者年金を安易に受給しない
私は障害者年金を安易に受給しようとは思いません。出来る限り自分の力で頑張ってみて、どうしても駄目なら受給を検討します。将来に向けて、節約、貯金、個人年金、医療保険に加入するなどで備えています。

私の場合はどうしても健常者と比べれば健康を害するリスクが高いので、頑張って備えないといけないと子供の頃から思っていました。

自分のやるべきことを最大限やって、それでも困ったときに助けを求めたいです。

これから職場でどういう人材になりたいか
これから職場でどういう人物になりたいか考えました。いつくか挙げます。

1.自分自身のスキル向上

2.常に疑問を持ち改善する

3.他者の成長をアシストする

4.他者の経験から学ぶ

上記のなりたい人材になるための行動と思考
勉強するだけでなく他者を観察し、常識や経験を疑い、「考える」必要があります。

簡単な事ではありません。

なぜなら病気や難病と闘いながら安定して働き、日々勉強し、なおかつそれを実践で生かし、結果を鑑みて失敗や成功から学び、成長する。

そうして得た知見を他者にシェアし、他者の成長を促し、他者の成功や喜びを自分の喜びとする、といことです。

困難だからこそ、私はそれにチャレンジします。

障害者雇用の問題点
今回は一般的な問題点を挙げます。
①離職率が高い
②給与水準が低い
③地方求人が少ない

問題解決の為の3つの視点
自分の課題、他者の課題、社会の課題、3つの視点が考えられます。

課題を分離することで、為すべきことが明瞭になります。

分離と言っても混ざっていることもあるので、注意が必要です。

人生についての考察

困難の多い人生
これまで述べてきたように、私の人生には多くの困難がありました。

私の難病は片親が当事者の場合、子供に50%の確率で遺伝します。私はこのことから子供を持つことを諦めました。

私は幼い頃から子供が大好きで、親戚の子供の面倒を良く見ていました。皆から「将来は保父さんが向いてるね」と言われていました。

自分の子供を持てないショックは計り知れず、一時期は毎日泣きました。

これは死よりも辛いと感じることさえありました。

生きている意味を完全に見失い、何もかもやる気が出なくなり完全な無気力になりました。14歳~32歳くらいは特に無気力でした。

今はそれをようやく乗り越えつつあります。ただ悲しい気持ちが消えることはありません。

どうやって困難と向き合うか
私は、自分自身を直視することで、困難と向き合っています。例えば、健常者の方と比較してしまえば、出来ない事が沢山あり、悲観的になってしまします。

つまり自分を直視しなければ、他者や常識との比較で生きていくことになるでしょう。そして、私の場合では、それは確実に自分自身を苦しめることになる。

ですから、自分と向き合い、私にできること、やりたいことをやっていきたいと思います。

楽しいこともある
辛くても苦しくても、働いて、その賃金で趣味を楽しんでいます。友達や家族と素晴らしい時間を過ごすことが出来ています。

好きな事は、音楽鑑賞、オペラ鑑賞、バレエ鑑賞、読書、美術鑑賞、生け花、乗馬、旅行、一眼レフカメラ、機械式時計、料理、テニス、ピアノ演奏、カラオケ、散歩、猫や犬と遊ぶこと、お酒(ワインやビール)、コーヒー、などです。

クラシックコンサートには年間40回以上通っています!

また中高と自転車通学をしたので、自転車が大好きです。未だによく移動手段として使っています。使用頻度は低いですが、ジャイアントのロードバイクも所有しております。

最近は音楽、美術、文学、科学、医学、健康、ファション、ビジネススキル、など様々なことを学び、それを文章としてアウトプットすることもしています。それらの文章をAIに校閲、正誤判定させ、完成度を高める作業もしています。AIを活用しても、最終的には自分で考え判断していくように気を付けています。

私なりの利他活動
私は、様々な寄付活動をしています。募金箱があったら寄付をするようにしています。最近は各種ポイントを寄付する、という事も行っています。

特に障害や難病のある子どもたちを支援していきたいです

その他、地元の保護猫団体に定期的に物品を寄付しています。私は子供の頃、ボーイスカウトで様々なボランティア活動を行いました。そういった活動にやりがいを感じていました。

「他者貢献」というのが私の人生のテーマです。小さな事でも、出来ることを継続してやっていきます。

障害者・難病当事者だからこそできる事
我々今を生きる障害者・難病当事者が、精一杯生き、不当な差別に声をあげる事は、未来の障害や難病を持つ子供のために大切です。また気持ちを発信することも続けて行きたいです。

同時に自らの過ちを修正・改善することも必要です。

私の好きな言葉に糸賀一雄さんの「この子らを世の光に」と言うものがあります。私はこれを、”皆がそれぞれのあり方で世を照らす光になれる”と解釈しています。

みんなが輝ける世の中になると良いなと思って行動しています。

未来の子どもたちのためにも、しっかり生きていきたいです。

学ぶことは楽しい!
これから挑戦したいこともあります。例えば社会学、熱力学・統計力学、日本の伝統文化、声楽、ラテン語(以前ラテン語教室に通っていました)、生け花、など勉強してみたいです。

学ぶことは凄く楽しいですね。何かを始めるのに遅すぎるというも障害や難病が障壁になることもない思います。

資格取得一覧

資格取得を頑張ってます。今までに取った資格を表にまとめました。単純に数えて18個取得してました。次は基本情報技術者試験、宅地建物取引士、日本史検定、美術検定などにチャレンジしたいです。

あいさつ

読んで下さった皆様、本当にありがとうございました。皆様にとって、少しでも参考になれば、私としましては望外の喜びです。

それでは、皆様の健康と幸せを祈っております。

以上です。