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心動かされたことを追いかける。考える。語り合う。それが平和をつくる一歩だと思うから-指田和『ヒロシマ消えたかぞくのあしあと』刊行インタビュー

先月刊行された『ヒロシマ 消えたかぞくのあしあと』(指田和・著)は、
2019年夏に出た絵本『ヒロシマ 消えたかぞく』の続編ともいえるノンフィクションです。

 『ヒロシマ 消えたかぞく』は、悲惨な戦争を幸せな家族写真から伝えた新しい形の絵本として話題を呼びました。刊行後は大きな反響を呼び、昔も今も変わらない家族の風景に、「戦争をはじめて自分事としてとらえられた」という声も多く寄せられました。

 新作『ヒロシマ 消えたかぞくのあしあと』は、原爆で全滅した鈴木六郎一家の1500枚以上の家族写真を1冊の写真絵本にまとめあげるまでの作者の葛藤、決意、そして亡くなった家族、生き残った家族、今を生きる家族などとの出会いから、戦争、平和、いのちについて問い続け、未来に向けて動き出す著者・指田和の活動記録です。

課題図書にもなった絵本の刊行から3年。著者の指田和さんに、続編をノンフィクンという形で書きたいと思った、その理由を聞いてみました。

麦わら帽子をかぶった指田和さん

指田和(さしだかず)  1967年埼玉県生まれ。出版社で子どもの雑誌、家庭雑誌などの編集を経た後、フリーとなる。いのちや自然に関するテーマにひかれ、取材し作品にしている。おもな絵本に『ヒロシマのピアノ』(絵・坪谷令子)、『あの日をわすれない はるかのひまわり』(絵・鈴木びんこ)、『はしれ、上へ! つなみてんでんこ』(絵・伊藤秀男)、『あしたがすき』(絵・阿部恭子)、『ぼんやきゅう』(絵・長谷川義史)、『ヒロシマ 消えたかぞく』(写真・鈴木六郎/第10回広島本大賞・特別賞/第66回青少年読書感想文全国コンクール課題図書)などがある。日本児童文学者協会会員。

●指田和 (以下:指)
●聞き手 ポプラ社編集部小堺加奈子 (以下:小)

見本を手に、「長かった!」(取材当時:2022年7月中旬)ーーーーー

:ようやく見本になりましたね。

:長かったですね! 2019年に絵本を出したときも、2016年の初夏から取り掛かっていたので、あしかけ6年でこの2冊が出たことになりますね。本当は去年出す予定が、自分のなかでしっくりこないところもあり1年延びて。でも延びたことで、世の中の動きもあったし、それによって感じたことや、伝えなきゃと思うことも自分の中ではっきりしてきて。ようやくできてよかったです。

絵本と新刊ノンフィクションを手にする指田和さん。その顔には安堵の表情が…!?

:続編をノンフィクションという形で書こうと思われたきっかけを、教えてください。

:絵本を作るときに、鈴木恒昭さん(絵本に出てくる全滅した鈴木六郎さん一家の親戚)に何度もお話を聞いたり、一家の家があった場所周辺や小学校、関連する場所を歩いたり、お墓参りをしたりして絵本ができたけれど、そこには書ききれないエピソードもたくさんあって。刊行後にいろんな問い合わせもいただいたので、それにも応えたかったし、新しい出会いもあり、「書きたい!」と思ったんです。
今度はノンフィクション読み物にすることで、詳細も含めてもっとしっかり、中高生も大人の人も読める内容にできるかなと。

新刊では、絵本ができるまでの指田さんの葛藤も赤裸々につづられている


:絵本は子ども向けでしたが、いざ刊行してみると大人からのお便りが圧倒的に多かったですね。

:ご高齢の方からの反響が多くて最初は驚いたけれど、手紙を読むとすぐに納得しましたね。表紙の女の子や家族を、自分自身の子ども時代や家族のことに重ね合わせて読んでくださった方が多くて。写真が訴える力の大きさも感じました。

新刊『ヒロシマ 消えたかぞくのあしあと』より。本のラストには絵本に載せきれなかった鈴木六郎さん一家のアルバム写真を収録している

:絵本の刊行後、広島で新たな出会いもありましたね。

:絵本が出てほぼ1か月後に、広島で今回の本でも紹介している奥本博さん(絵本に登場する鈴木一家のすぐ近くに住んでいた)に出会うことになり。奥本さんは両親やみきょうだい三人を原爆でなくされているんですね。絵本がつなげてくれた縁でしたね。自分はどんな本を作るときも、ご縁だったり、気持ちが大きく動かされたりすることをテーマにしているので、奥本さんと出会うことで、鈴木六郎さん一家のことをさらに深く知る流れが続くんだなと、感じました。

後日、奥本博さんに見本を届ける指田さん (2022年8月3日撮影 ※撮影時のみマスクを外しています)

「心をいつも真っ白なスポンジにしておく」ーーーーー

:広島に行かれる度に、指田さんから「小堺さん! 広島でこんな出会いがあってね!」と興奮したお電話をいただいていましたよね。よく覚えています。取材にあたり、大事にしていることはありますか?

:私はね、自分の気持ちを、いつも真っ白なスポンジみたいにしておくんです。本を作るとき、わかっていることを書くという方法もあるけれど、ノンフィクションは本人が感じて、考えが変わっていったり、失敗したり、それを見せるものだと思っているので。「自分の本気度」を書かなければと思いました。精一杯やっていると、いつも情報が入ってきたり、助け舟が入ったりするんですよね。

:心をスポンジのようにしておくって、どうやったらできるんでしょう。

:心を平らに、まっさらにしておく。素直に。それは私にとっては農作業の時間でもあるのだけど。きれいだな、とおもったら、きれいと思う。違和感があったら、それはなんだろうと思ったり。喜怒哀楽があったら、それを自分の中で押し殺さない。

以前、あるカメラマンに言われたことがあるんです。ファインダーを向けたとき、「しっかり感じろ」と。何かを感じたからそこにカメラを向けたわけで。漠然とではなく色なのか形なのか、何が自分の中で気になったのか、何に心動かされたのか、しっかり確認しながら撮ると作品も違ってくる、と言われたんですよね。

「人がこうだから、こうしなきゃ」ではなく、「自分はこうだから、こうしています」と。自分の声に耳を傾けることを常に意識していますね。道にきれいな石があったとして、思わずしゃがんでその石を拾ってしまう。でも家に持って帰ったら、普通の石だった、なんてことあるでしょ? あれ、なんでそれを自分がきれいだと思ったんだろう? と。人から見たら何でもないような石でも、「上から見たとき、キラキラしててきれいだと思ったんだ」という風に。その感覚をためておく、というか。

:そういうの、ありますあります。自分の声に耳を傾けるって、子どものころの方ができていたのかもしれない。いろんな情報にふりまわされ、自分の声が聞き取りにくくなっているというか。

:実はわたし、子どものころ、いわゆる「いい子」だったんです。元々はのびのびした性格だったと思うのですが、学校の規則になじめないとか、友だちづきあいでうまくいかないことなどが重なって、中学校にあがったくらいかな、人の目を異常に気にするようになり、自分で決めることがわからなくなってしまったんですよね。大人になっても戸惑った時期があって、心が自分のものでないような、グラグラしていた時期がありました。でも本の仕事に携わって、雑誌で「いいもの、面白いものがあるから、読者により魅力が伝わるように紹介する」という訓練をしていたら、変わったんです。それって自分が「面白い! いいなあ!」と率直に感じたからその思いが乗った記事になるわけで。その時その時をクリアにしておこうと。

:気づかないうちに、自分の考えがなくても不自由なく生きていけてしまう怖さ、たしかにあります。

:広島平和記念資料館で鈴木六郎さんの写真を見た時、自分の中で「ああ!」と感じた。温度が伝わってきそうなくらいあったかい家族の様子、仕草。それを奪った原爆。あれが、やはり本作りにつながりました。2冊目のこの本も、大変は大変だったけれど、他の人に伝えたい、見てほしいというブレない部分がありました。そういう私の本気度を、今の子どもたちにも感じてほしいんですよね。ヒロシマや原爆のことを書いてはいるけれど、私自身の、動いているひとりの人間の熱を感じてほしい。そういう大人がいる、ということを。ベースにはそういう思いがあります。

指田さんの取材ノート

:新刊には、絵本ができるまでの葛藤もすべて書かれていますね。

子どものころは、出来上がったものが100%だと思っていて。でもどんなものだって試行錯誤を経て出来上がっているんですよね。それからね、本を通して子どもたちと交流できるのもすごくうれしいんです。去年、講演会の後、小学生から「絵本の読み聞かせが始まる前の、話している時間が長かった」と言われて。(笑)その場で「わかりました、良いアドバイスありがとう! 次から気をつけます!」ってお返事して早速直しました。
そういうのが嬉しいんですよね。本を通じて、人と繋がれるのが自分の生き方だと思っています。こういうスタイルでこれからもやっていきたいなと。

:正直な子どもの感想!(笑)嬉しいですね。

何でもないような風景こそ、取材の醍醐味ーーーーー

:取材や講演でいろいろな場所に行かれる指田さんですが、印象に残るエピソードなどありましたら、教えてください。

:去年の8月6日。原爆が落ちた場所の近くの橋で「灯篭(とうろう)流し」があり、私も見ていたんです。そしたら自転車で立ち止まった親子がいて「そうめんながし?」「そうめんじゃなくて、とうろうながしだよ」という会話が聞こえて。3歳くらいの男の子に、お母さんがわかりやすい言葉で「おじいちゃんたちが原爆で亡くなったんだよ。線香あげたりするよね。こういうこと、ないようにしたいね」という話をしていて、その風景がとても和やかでいいなあと思って。「夕ご飯だね、帰ろうか」と言って親子は夕暮れの中、自転車でスーッとその場を立ち去ったんですけれど、やはり現場に行くと、そういう何でもないような風景に出会えるんです。若いお父さんお母さんが、一生懸命子どもに伝えようとしているんだな、ということも感じられ、いい時間でした。

:光景が目に浮かぶようです。新刊のあとがきに、学生さんから「なぜネットで調べられることを、わざわざ確かめにいくんですか」という質問を受けたことも書かれていますよね。

行ってその場の空気を感じないとわからないことが必ずあるので。取材しても、必ず写真を撮れるわけじゃないし、証拠はすべては残せないけれど、作家の前にひとりの人間だと思っているので、生きている自分の心に刻み付けて、そこからすべてが始まると思っています。

戦争で亡くなった多くの犠牲者も、その前に「ひとりの人間だった」という指田さん


声なき声に耳を傾ける、「自分の問題」にするーーーーー

:世界に目を向けると、戦争もあります。今この本を出すことで、伝えたいことはありますか。

:ロシアのウクライナ侵攻のニュースがこの春からあり、たまたま今の日本では砲弾が飛び交うことはないけれど、生きている地球の上で、こういうことが起こってしまった。でもウクライナだけではないよね。今はいろんな映像やニュースになって私たちの目に届きます。昨日まであった普通の生活が突然奪われ、いのちが断たれてしまう、その残酷さ(震災もそうだけど)は絶対にあってはならない。そのために私たちは話ができたり、相手を思ったりできるはずなのだから、努力しなければならないと感じています。

私は、戦争を語るとき、「どう死んだか」ではなく、「どう生きていたか」を伝えるべきではないかと思っています。それが、戦争や原爆の無情さやひどさを伝えることになると思うし、亡くなった人は、原爆で死んだことを伝えるために生きてきたわけではないのだから。

私自身は作家だけれど、作家の前にひとりの人間なので、そこを忘れずに感じながら動いていきたい。国や政治も、もともと人があってこそ。もともと大事なのは、人、いのち、生きるという視点に立ったひとりの人間として、物事を見つめていくこと。それを忘れないためにも、現地に行って、その人たちの生の声、声にできない声を聞き続けていく必要があるし、そうしていきたいです。そうすることで「自分の問題」になるから。

それから、本を読んで感じたことはすぐに結論づけなくていい、違和感を持ち続けてもいい、その考えのどこにドキッとしたのか、いいと思ったのか、そこを大事にしてほしいです。流されないって、大事なこと。向き合うってすごく大変だけど、向き合わないのが、問題解決から一番遠ざかると思っているから。この本を読んでくれる人が、こんどは「自分の問題」として考えてくれるきっかけになるといいなと思います。

ものを書いているひとりの人間が世の中を変えることはできないけれど、私たちができることとしたら、相手のことを知って、話をしてみようとすること、「種まき」かなと思っていて。それはこれからも、本を通して伝えていきたいと思っています。

:指田さんの思い、しっかりと伝わりました。今日はありがとうございました。

2021年8月6日の広島の空(指田和・撮影)

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指田さんに原稿の進み具合を聞こうと電話すると、「すいませーん! 畑に出てましたー!」ということもしばしば。農家に生まれ、毎日土をいじり、太陽の恵みや自然にふれているからこそ、いのちが突然断たれることの不条理さが許せない、と話してくださったことがありました。取材先のおじいちゃんから「指田さんはぬくい(温かい)人じゃね」と言われているのを見たこともあります。それはきっと、指田さんが「作家のまえにひとりの人間である」こと、そして「自分の声にすなおに耳を傾け、現場で相手の声なき声に耳を傾ける」その姿勢や人柄あってこそなのだと感じました。

私たちの身の回りで、そして世界で起きているさまざまなことを、今こそ「自分の問題」としてとらえる必要性を感じています。指田和というひとりの大人の本気度を本書より感じていただければ嬉しいです。

                        (文/小堺加奈子)



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