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観察日記755

観察日記755
おはようございます。
「責任という虚構」をまとめていきます✋
(「責任とは何なのか?」「社会における責任の役割とは?」etc)

■集団的道徳責任
・集団と構成員を区別し、各自の責任とは別に集団自体に責任を考えるべきか?
 ・個々の人間ではなく集団自体が道徳責任の対象になりうるか?
 ・行為の道徳主体になりうるか?
・倫理学者
 ・近代的人間像に基づき、行為の責任根拠を自由意志に求める傾向が強い
 ・多くは道徳的意味での責任を集団が負う可能性を否定
 ・しかい、個人責任に限定すると被害者救済が充分になされない
 ・個人責任に還元できない概念として集団自体の責任を積極的に定立する論者もいる
  >ピーター・フレンチ
  ・起業を集合的人格と認め、企業がなす行為の道徳責任を問えると主張
  ・個人責任を問題にする場合に当該個人の意思に行為を帰属させるように、企業にも集合意志を認め行為の責任を問うべき
  ・集合意志は役員会や内規など内部決定機関により生み出される
  ・各構成員の意志に還元できない
  ・個人責任とは別に企業自体の集合責任を定立する必要がある
   ・政府という政策決定機関を持つ国家にも援用
  >マーガレット・ギルバート
  ・すべての集団行為に対して個人責任とは別に集合責任を考える
  ・複数の個人が一つの行為を一緒に行う際の集合的主体を認める
 ・彼らは意志が行為を生むという近代的主体像を踏襲
 ・責任を因果関係で理解する枠組み自体は変わらない
  >グレゴリー・メレマ
  ・ある事態、出来事が時間軸上で繰り返し生ずるとき、それらをひとまとめにして捉え、この事態・出来事群に対して道徳責任を問う
  ◇病人の前を数人の通行人が無視して通り過ぎ、数分後に病人が死に至った
  ・どの通行人が悪いとは同定できない
  ・各人を個別に捉えるならば誰も非難できない
  ・通行人たちをひとまとめにして、この行為群に対して道徳責任を問うことはできる
 ・この発想は興味深いが、因果律で責任を把握するのは同じ
・集団自体が負う道徳責任の定立にそもそも意義があるのか?
 ・構成員とは別に集団が責任を負うなら、集団責任は構成員に移転しえない
  ・構成員全体と集団自体とが別の存在としてとらえられるから
  ・集団が構成員に還元されるなら、集団自体の責任を措定する必要はない
  ・集団の中で各構成員がとる個別行為の責任だけを問えばよい
 ・集団自体と構成員全体との間に断絶を認め、構成員の個人責任とは別に集団自体の責任を定立
  ・その論理からして集団自体の責任を構成員は負えない
(第5章-2)

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