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観察日記751

観察日記751
おはようございます。
「責任という虚構」をまとめていきます✋
(「責任とは何なのか?」「社会における責任の役割とは?」etc)

■刑罰の根拠
・刑罰の本質は?
 ・古典学派(カント・ヘーゲルなど)
  ・非決定論の立場から犯罪行為を自由意志の所産と考える
  ・刑罰の根拠を応報に求める
  ・「眼には眼を、歯には歯を」の同害報復原理が正義の基礎
  ・応報それ自体が正義であり、刑罰によって罪を清算する説
 ・近代学派(ロンブローゾ・フェッリなど)
  ・自由意志を否定または軽視
  ・決定論的発想
  ・犯罪行為を各人の先天的素質、社会環境の産物として理解
  ・刑罰の目的は、犯罪者が将来再び犯罪を繰り返さないための予防措置
  ・刑罰を正当化する根拠を犯罪行為からの社会防衛の求める
  ・社会秩序維持の手段としてのみ刑罰の存在意義を認める
・どちらの立場もそれぞれ論理的困難を抱える
 ・殺人犯が罰せられるのはなぜか?
  ・古典学派
   ・悪いことをすれば報いを受けるのが当然(応報刑論)
   ・殴られたから殴り返す、殺された被害者に代わって国家が犯人を処刑することで正義が実現されると何故言えるのか?
   ・人間の自然な本能として復讐を是認するだけなら、原始社会の復讐と変わらない
   ・応報を正当化する根拠はどこにあるのか?
   ・プラトン的実在論やヘーゲル全体論は人間を超越する〈外部〉によって刑罰を正当化する
   ・カントのように、虚構の物語を否認し、道徳を定言命法として措定しても、その根拠・源泉は明らかにならない
   ・それどころかカント自身の意に反して、道徳の無根拠性がかえって如実になる
  ・近代学派
   ・犯罪抑止を目的
   ・将来犯す罪に照準を定める
   ・未来の行為を予測するために過去の犯罪経験を参考にはしても、論理上、刑罰が関心を持つのは実際に犯した行為ではなく、将来起こりうる行為
   ・重罪を犯し将来再犯の可能性が明らかな常習犯であっても、威嚇や苦痛を通して犯罪予防が望めないならば、罰を科す意味を失う
   ・この論理からすると、改善余地のない常習犯を苦しめることは野蛮だけでなく、社会コストの観点から無駄
   ・凶悪犯罪者であっても再犯可能性がなければ刑罰を科す根拠が消える
・応報復讐論も犯罪抑止論もそれぞれ内部矛盾がある
 ・そこで両者の統合をはかり、現在の刑法には応報主義と予防目的主義とが妥協的に存在
 ・このような解決は、規範的考察として有効性をもっても、責任や刑罰の根拠に関する我々の問いには答えない
(第4章-12)

常識に疑問を投げかけまくられているので、なかなかに混乱するところだと思います。

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