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観察日記754

観察日記754
おはようございます。
「責任という虚構」をまとめていきます✋
(「責任とは何なのか?」「社会における責任の役割とは?」etc)

第5章 責任の正体
・近代個人主義が普及し、個人と集団を同一視する形での集団責任は否定される傾向にある
・集団行為における各個人の責任をどう定めるのか?
 ・組織、集団自体の責任と構成員の個人責任は同じなのか?
 ・第二次世界大戦中に日本兵がした行為に対して、当時生まれていなかった日本人が負う責任とは何を意味するのか?
 ・集団同一性と構成員の間にはどのような関係があるのか?
 ・集団の行動は構成員の制御化にあるのか?
 ・もし制御できなければ、集団犯罪の責任をどうして構成員が負うのか?
■集団責任の認知構造
・他者や周囲の情報環境から強い影響を受けて人間は判断、行為する
・集団行動の責任を構成員全体あるいは一部に問う慣習は、どのような根拠に基づくのか?
・集団行動は構成員の意識、行為に還元できないと多くの論者が主張
 ・『集団意識の状態は各個人の意識状態とは性質を異にする。それは違う種類の表象だ。集団精神は各個人の総合ではない。集団精神は固有の法則に従う。』(デュルケーム)
・個人が集まって集団ができる
・しかし、集団の行動は当事者の意志や制御を超える
 ・人々の相互作用から生じるベクトルは各人の意志の総和を超えて、誰も予想しなかった大きさの振幅を見せる場合がある
 ・ソ連崩壊、ベルリンの壁の消滅 etc.
・集団暴動が起きる
 ・犠牲者がでれば、実際に暴力を振るった者たちは責任を問われ、処罰される
 ・しかし、集団行動が当事者の制御を超えて自律運動するならば、その結果を彼らに帰属できない
・集団を構成する個人間の関係が堅固であればあるほど、集団行動から自らに制御できない状況として‘構成員自身’に感じられる(ハインツ・フォン・フェルスター)
 ・構成員同士が堅く結び付けられれば、自分の思う行動が取れない
 ・世間のしきたりや集団の掟が強固であればあるほど各人の選択余地は少なくなる
・集団内の人々ではなく、集団を“外から観察する者”の視点で考える
・集団でおこなわれる性犯罪やリンチは互いが模倣、影響しあって行動が激化しやすい
・集団の外にいる人間の視点(集団犯罪を糾弾する社会)にとって、集団を構成する人間の相互作用が強ければ強いほど、一枚岩の意志により集団が動かされているかのごとく映る
 ・集団内の人間自身による理解と、集団外から見る分析は‘必然的に’異なる
 ・人々の相互作用が強く、集団が有機システムとして構成されればされるほど、
  ・外部の人間にとっては集団行動が予測しやすくなる
  ・当事者はますます集団行動を制御できなくなる
・人々が取る行動の集積にすぎないにもかかわらず、集団行動は当事者から遊離する
 ・自律運動する集団が逆にその構成員を操る
・集団内に生ずる感覚も集団外に現れる感覚も客観的な情報根拠に支えられている
 ・どちらかだけが正しい認識で他方が錯覚なのではない
 ・集団犯罪の実行者が抱く感覚と、非難する社会の認識は構造的に異なる
(第5章-1)

トイレットペーパーやマスクの買い占めも同じような集団行動原理なんだろうと思います。

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