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ソ連旅

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#ご当地グルメ

観光旅行をしていたら、ソ連がこわれた

観光旅行をしていたら、ソ連がこわれた

かつて、ソ連という世界一面積の広い国がありました。ザンネンながら30年前の1991年にこの世から消えてなくなりました。ソ連の遺産はだいたいロシアが受け継いだのですが、たとえばクリミア半島をめぐってウクライナと争いがおきたりしています。

ゴルバチョフさんがソ連共産党のトップになってから、ソ連は変わりました。東西冷戦が終わり、世界も変わりました。1989年にベルリンの壁が崩壊してから、ワクワクが止ま

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グルジアは美味しい?【ソ連最後の夏⑧】

グルジアは美味しい?【ソ連最後の夏⑧】

ソ連最後の夏に訪れたグルジア(ジョージア)は、社会主義的なシステムと独創的な民族の文化が入り混じった国でした。そこで食べたり飲んだりした話です。

面白い味ですね食レポをする人に聞いたのですが、出された料理が口に合わない場合「面白い味ですね」と感想を言うんだそうです。私にとって人生初のグルジア料理は、「面白い味」でした。とにかく予想した味と異なるのです。

ポタージュかな?と思った白いシチューっぽ

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観光旅行をしていたら、ソ連がこわれた②ハバロフスク

観光旅行をしていたら、ソ連がこわれた②ハバロフスク

1991年の夏。ロシア極東のハバロフスクから私たちの「素晴らしきソ連旅行」は始まりました。新潟から飛行機でたったの2時間。そこで、社会主義国家の洗礼を受けることになるのです。

ロシアの「夜明け」ホテルファーストコンタクトは、小さな男の子。空港を出てすぐに駆け寄ってきました。「マイ・プレゼント」と言って、手のひらに乗せているのは、偉大なる指導者レーニンのバッチ。マッチ売りならぬバッチ売りの少年です

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観光旅行をしていたら、ソ連がこわれた③ハバロフスク

観光旅行をしていたら、ソ連がこわれた③ハバロフスク

旧ソ連時代、飛行機は広い国内を旅する「足」でした。国内のネットワークを一手に引き受けていたのが国営のアエロフロート。パイロットは軍出身で航空技術は超一流と評判です。しかし…ライバルのいない国営企業の悪いクセが出た模様です。

飛行機が飛びません18時発タシケント行きの便に乗るため、私たちはハバロフスクの空港にいました。時間を過ぎてもチェックインをする様子がないので、のんびりおしゃべりをしていました

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観光旅行をしていたら、ソ連がこわれた④タシケント

ウズベキスタンの首都タシケント。「石の町」という意味で、かつてシルクロード貿易の中継都市でした。ソ連時代は、連邦の中でも4番目に大きな都市で、地下鉄も建設されるほどです。夏は気温が40度にもなるというので、到着前は暑さにおびえていましたが、からっと晴れて、朝は気持ちがいいくらいでした。

タシケントのバザール古くから貿易の中継地だけあって、大きなバザールがあります。さらに、ソ連は都市に物資が集中し

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