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《古い先入観》が引き起こす《違和感》in USA  (再勉生活)

トルコ(大学でお茶入れ専門の若いイケメン男性目撃)と中国(エレベーターでボタン押し専門の不機嫌なおばちゃん目撃)で感じた《違和感》と、その原因がどうやら、私自身の《古い先入観》にあるらしいことを書きました(↓)。

記事を投稿後、そのような、特にジェンダーがらみの《違和感》は、かつて《再勉生活》の中で自ら経験していたことに思いいたりました。
30年前のアメリカで、既に(米国人にとっては)《フツー》だったことですが、まだ日本はここまで来ていないかな、と思います。見聞不足かもしれませんが。


私が所属した学科の建物にはひとり、専属の掃除人(janitor)がいました。30歳前後の白人男性で、背丈は170センチぐらいですが、胴回りがたぶん1.5メートルぐらいあり、非常に緩慢な動作で巨大なポリ容器を引きずりながら4階ある建物の各フロアをかなりきちんと清掃していました。
(ちなみに、4階は窓のない屋根裏部屋で、私のオフィスはそこにありました)

彼は、その巨体にもかかわらず、学生たちから「Tiny(小さな)」というニックネームで呼ばれていました。ある種の《反語》でしょうか。
彼自身が、
「Call me Tiny」
と言っていたので、自ら望んだニックネームでしょう。

トイレにいると、彼は廊下側からドアを2回ノックしながら、
「Cleaning!」
と声をかけた後、中に入ってきます。
日本で若い男性がこうした仕事に就くことは稀でしょうが、その時の私に、特段の《違和感》はありませんでした。

しかし、ある時、廊下を歩いていると、Tinyが女子トイレをノックして、
「Cleaning!」
と叫ぶ場面に出くわしました。
おお、と見ていると、さすがに男子トイレに入る時よりは若干長い時間待った上で中に入っていきました。

なるほど、日本で掃除のおばちゃんが男子トイレに入るのと同じだぜ、この国は完全なジェンダー平等なんだから、と自分に言い聞かせたものの、かなりの《違和感》は残りました。
しかし、それは間違いなく、それまでの人生で私が経験した中で固定化した、《古い先入観》によるものなのです。
でも日本の、例えば女子大生は、この《平等》を容認するだろうか?

もうひとつの光景です。
大学で鉱物学の授業を受けていた時、突然、火災報知器が鳴り響きました。何だ何だ避難訓練か、と外に出てみると、我々のいた建物の最上階(5階だったと思う)が燃えていました。
この建物には大学の自然博物館が入居しており、かなり古びたものでした。

間もなく消防車(巨大キャンパスのため、学内に消防署も警察もある)がやって来て消火作業を始めました。
我々野次馬は梯子はしご車からするすると段梯子が、その先端に人を乗せたまま宙高く伸び、やがて放水を始めるのを眺めていました。
ぼんやり見ていた私は、まもなく、梯子の先端で放水をしている消防士が30歳前後の華奢きゃしゃな体格の女性であることに気付きました。
(おいおい、彼女、大丈夫なのか?)
そう思った私の中には、間違いなく、
《女性がそんな危険な場所で仕事をするなんて》という、《古い先入観》があったのは間違いありません。

一般論として「両性の完全なる平等」には賛成であるものの、《効率》さらにいえば、《費用対効果》という意味ではどうなんだろうか、などと思う場面もありました。
しかし、あらゆる求人に際して、性別はもちろん、年齢による制限すら設けることは許されません。

そうしたら、まもなくパパ・ブッシュが「湾岸戦争」を始め、従軍した男性兵士たちの中から(当初、イラク軍の捕虜になった米軍女性兵士がいたため)、
「前線で戦闘する軍の中に女性兵士がいることの苦労(作戦遂行と自分の身を守るだけでなく、仲間の女性兵士まで敵の男性兵士から守らねばならないたいへんさ)を考えて欲しい!(→効率を無視した過剰な男女平等は止めて欲しい)」
と訴える声が高まりました。

《効率・効果》《平等》の両立は難しい。上記のジェンダー問題だけでなく、年齢、人種、障碍の有無など、より複雑で難しい問題があります。

結局は個別案件ごとに判断しなければなりませんが、原則である《完全平等》《効率効果》の間のどこで線引きするかは、《自己満足》の総量を含めた上での《最大多数の最大幸福》を考えざるを得ないのかもしれません。

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