見出し画像

陸上競技が好きになったきっかけ

こんにちは、ひろです。

皆さま、お久しぶりです。2022年が始まり、1か月が経ちましたが、皆さまはいかがお過ごしでしょうか?

私は残された学生生活があと3か月となり、自分自身にやり残したことが無いか?を常に模索しながら毎日を過ごしております(今までと変わりませんが)

さて、1月2・3日の箱根駅伝が無事終了し、私自身もその大会の終了と共に、中学生の頃からの陸上競技人生に幕を下ろすという形になりました。ちょうど1か月遅れとはなりますが、これからの記事は、その箱根駅伝、それまでの過程を振り返っての率直な思いについて綴らせていただきます。

大きな誤算。

まず、私は専修大学の陸上部から派遣していただき、関東学生陸上競技連盟(通称:関東学連)の常任幹事として、これまで箱根駅伝を始めたとした、陸上競技大会の大会運営に関わる仕事をし続けてきました。(その仕事内容や個人情報に当たる部分についてはお話できません)

それを前提として、今一度、陸上競技を始めたころから振り返っていこうと思います。

まず、私は中学1年生の頃に母親から「死んでも運動部に入れ」と言われ、渋々陸上部の長距離ブロックに入部しました。当時は外部のテニススクールに通っており、テニスをメインに活動していこうと考えていました。そのため、「テニスの妨げにならない動きであること」・「練習が楽であること」・「テニス向上につながるトレーニングになること」を考えて部活動を探していた結果行きついたような形です。当時の自分は何を勘違いしていたのか、陸上部長距離ブロックの練習はただテキトーにジョギングをするだけだろうと思っていましたが、それが大誤算でした(笑)

練習は死ぬほどペースが速いし、ウォーミングアップすらついていけない、練習後の整理体操中には屈伸で膝を曲げられないくらい筋肉痛になっていました。

ですが、不思議な事に「辞めたい」と思う事がありませんでした。その理由は、大きく2つ考えられます。

1つ目は、長距離ブロックの先輩が神のように優しい、かつ、自分自身の道しるべになっていた事。2つ目は、練習をすればするほど昨日までできなかった事ができるようになったりタイムとして目に見えるのが嬉しかった事です。

練習が楽だと思っていた自分に突き付けられた誤算が、逆に自分を夢中に変えてしまうという誤算を生みました!人生は何が起こるか本当にわかりません。

神のような先輩方から学んだこと

自分の中学の先輩には、正直感謝してもしきれません。自分の中での「見習うべき先輩像」はこの時点で確立されました。

自分の中学の先輩のすごく尊敬できるところは、一言で言うと「人を馬鹿にしないこと」です。

自分が入部した当初は、1500mで6分台という物凄い鈍足でした。そりゃウォーミングアップについていけるわけがありません。自分の中学のウォーミングアップは1キロ4分ペースで2~3キロ走ります。入学当初の中学1年生にとっては、このアップについていけるかという部分が最初の登竜門のようなものです。

先輩方も元々は運動神経が無かったり、合唱部上がりだったりと、いわゆるアスリート育ちの人じゃなかったそうです。そのため、アップにすらついてこれない僕たちの気持ちをくみ取ってくれて、毎日きつくなったら背中を押してくれたり、ファイト!と声をかけ続けてくれました。普通は「こいつはどうせムリだ」と見切りをつけても当然であるときにも、応援をしてくれない日は1日もありませんでした。今だから推測するに、先輩達自身もそういう何もできない状態の頃からできるようになるまでのステップアップ過程を踏んでいるからこそ、僕たち後輩へそういう働きかけができていたのだろうと思います。

どれだけ練習が辛くても「辞めたい」と思わなかったのは、「たとえ今の時点でできなくても、できるようになろうとしている人を決して馬鹿にしない」でいてくれた先輩方のおかげだと本気で思っています。その真の意味での優しさに触れた事で、「人間的にも選手として先輩方のようになりたい」と思いながら中学時代は練習に励めていたと思いますし、大学生になった今でも「現状ではなく、姿勢」に着目して自分自身や周りの人と向き合う事ができています。

「昨日までできなかった事ができるようになる」が目に見える

もちろん先輩方の存在という外発的動機付けだけでは、ここまで陸上は続けてこれなかったと思います。

陸上競技、特に長距離の魅力は、「努力した事がはっきりと自分自身に返ってくる」ことではないかと考えています。

先述した通り、中学1年生の頃は、外部のテニススクールでの活動をメインにしていました。そのテニスとの違いで切り取ってみると明らかな陸上競技の魅力です。(テニスが努力が報われないスポーツという意味では決してありません)

当時、スクール内での精鋭のアスリートコースに所属しており、周りのメンバーは県内でもトップクラスの選手ばかりでした。そのコースにギリギリ滑り込みのような形で入れてもらった自分にとって、周りの選手は雲の上のような存在であり、「試合をしても勝てない」と自信が持てていなかったのだと思っています。テニスは相手がいるスポーツなので、その相手に勝てるようになるまでの過程は非常に見えにくいスポーツだと思っています。たとえ自分が練習の中で成長していても、相手に負け続けていればその成長度に気づきづらいような感覚が自分の中にありました。(※あくまでも主観の意見です、テニスでの成長過程の捉え方は沢山あると思います)

それに比べ、長距離の成長過程の可視化は非常にシンプルでした。「チーム内で何人までしか大会に出られない」というような競争は多少はあるものの、いくら頑張っても他人の走りを自分がコントロールする事はできません。「単純に自分自身が練習を重ね、速く走れるようになった結果が、タイムとして、数字として表れる」そのため、「相手という存在によって自分の成長過程が薄れて見える」というような事がありませんでした。

この、「自分自身に没頭できる事」が陸上長距離の一番の楽しさではないかと今冷静に振り返って感じています。


このように、誤算から始まった出会いと発見こそが、10年間も僕の心を燃やし続けた一番の要因だと思っています。(もちろん、10年の過程の中で紆余曲折は沢山ありますが)



この中学1年生の時点では、まだ箱根駅伝の存在も知らず、テニスをメインに活動しておりあくまでも陸上は自分自身楽しいものにとどまっていました。次回は、「駅伝に没頭し、本気で志すようになった」頃のお話ができればと思います。

それでは本日もご一読いただきありがとうございました。2022年もどうぞよろしくお願いいたします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?