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肩書きは、時にとてつもない重荷となる。

人はよく、自分に肩書きを持たせようとする。

職種の資格、活動におけるキャラ付け、インフルエンサーなど、今の時代は何かしら自分に役割のような肩書きを持つことが多くなってきている。

そんな肩書きだが、良い側面と悪い側面があることに気が付いた。

まずは良い側面。
これは単純に名刺が代わりになり得る、いわば自分の武器のように肩書きが存在価値を押し上げてくれるというもの。例えば僕の場合、サウナで働いているという肩書きと、自分のうつ病を発信している発信者という肩書きがある。自分をを手っ取り早く知ってもらうには、肩書きがあるとすぐに、ああ、こんな人なんだね!と分かってもらえるし、自分の肩書きに興味がある人と交流できたり、肩書きを活かした仕事ができる可能性だってある。

大半は、自分がしている仕事を肩書きにすることが多いだろう。

では、悪い側面。
これは、肩書きのせいで動けないことだと思った。
最近話していてすごく感じたのは、せっかく取得した資格は使わないともったいない、だとか、今の仕事は自分に合っていないんだけれど、役職などの肩書きを背負っているせいで他の選択肢が選べない、などの、自分が良かれと思ってきた肩書きが足枷となり、重荷になってしまっているパターン。

気持ちはすごく良く分かる。
新卒で入った会社は辞めるのが勿体無いという新卒という肩書きや、せっかく勉強をたくさんして取得した国家資格だから、自分に全く合ってなくても今までの時間を無駄にしたくないから続ける。めちゃくちゃ気持ち分かる。

僕がここで言いたいのは、肩書きが自分らしさを消してしまうのは良くない、ということ。
日本人特有のもったいない精神なのか、なかなか自分の肩書きを捨てるといったことをみんなしない。というか、僕もあの時うつになってなかったら新卒ブランドを捨てることなんてなかったと思うし、他人に対して大きな声をあげることはできない。

ただ、自分に何が適しているのかも分からないうちに様々な肩書きを背負うことにより、肩書きのために生きようとしてしまう。これはダメだと思う。

今までの時間が無駄になってしまうという気持ちもすごく分かるが、これからの時間を無駄にしてしまうという考えにはならないだろうか。

年齢にもよるが、圧倒的に死ぬまでの時間のほうが長い。

肩書きなんていつでも自分で選択できるもの。

今の環境が苦しくて辛いんだけど、でも自分にはこんな肩書きがあるから勿体無いし、周りにも迷惑が、、じゃない。

自分に一番迷惑をかけない選択をしよう。


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