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私は何をしても中途半端です。自慢できるものが一つもないのです。でも大丈夫、自慢する必要は無いのです。今日の写真は大根おろし鍋です。

実力のある人は自慢しません。自慢しなくても世間が認めてくれるのです。自慢する人は自分で自分の評価をしてその評価が間違っていないと認めて欲しいのです。自分で自分を評価してもそれは正しい評価ではありません。自己評価は、自己満足で終わるのです。

謙遜も自慢もせずに済ます方法は後ろ姿を見せる事です。

認められなくても他人を認めることに重点を置けば自慢することなく実力をつけることができるのです。羨ましいと思うのは他人と自分を比較するからです。

自分の背中を見せるとは実績です。実績を残すことだけを考えて作品を作り続けるのです。料理に手芸、文章に写真、作品は色々あるのです。

哲学的に思考すれば自慢は自己肯定感を上げるためにする事で自慢以外で自己肯定感をあげることができれば良いのです。では自己肯定感は上げなければいけないのでしょうか?

自己肯定の反対は自己否定です。自分の存在を否定しても存在しているから肯定も否定もできるのです。否定も肯定も心の中の問題でそれよりももっと大きな問題があるからそちらを解決しなければなりません。

それは今日の食事の問題です。食欲が無い時と食欲がある時の違いはなんでしょうか?食欲がなければ食事のことは考えません。食欲があればそれを満たすために食事のことを考えるのです。

食欲が無くて食事をしなければ人間は栄養不足で身体のバランスが崩れます。身体のバランスが崩れると心のバランスも崩れるのです。心のバランスと身体のバランスが崩れると行動も思い通りにできなくなるのです。

食欲があり過ぎて食べ過ぎると身体のバランスが崩れます。身体のバランスが崩れると心のバランスも崩れるのです。心のバランスと身体のバランスが崩れると行動も思い通りにできなくなるのです。

平均では無く、バランスです。バランスとは比較することで中間を見出すのです。比較する事をやめましょうと言いながら比較する事でしかできないこともあると認めるのです。わたしは、「比較しない」を改めて、「比較して良いものと悪いものがあると知りましょう」にします。

衣食住が生きていく最低限の必要アイテムです。衣類は、身体を守る物で、食事は、食材・調理・作法に分かれて身体を維持するのです。住居は心の中と同じで安全、安心、安定となるように設備がされているのです。

比較していけないものは、心の中のものです。自分よりも背が高いは良いのですが、自分よりも美しいは美しいが心の中のことですから比較してはいけないのです。比較しないで美しいと感じて納得するまでその美しいを感じ続けましょう。

感じなくなるのは刺激が無くなるからです。刺激に慣れてしまったからです。時間や場所が違って感じなくなるものといつでもどこでも感じるものを比較してはいけません。

料理を美味しいを基準に評価すると間違った結果になります。美味しい、不味いは時間と場所、その評価する人で変わってくるのです。いつもの味で自分が美味しいと感じればそれで良いのです。味が不安定で危険な結果になった食事を安心して食べることはできません。

量が多い、不衛生、食べた事のない食材が出てくるのは本当ならば食事では無く、見世物として見るだけで終わるべきものです。テレビやYouTubeなどで放送されるべきではないと思うのです。

地元の食材として普段から食べられているものを紹介するのは良いけれど、わけのわからないきのこ、深海魚、果物の中には毒が含まれていたりするのです。食品添加物の中には身体に害は無いと言われながら後に害があると判明したものもあるのです。アスベストは食事で摂取することはありませんが使用禁止になっているのですから食べ物の影響は大きいのです。

あの小さな薬の錠剤で身体に大きな変化を与えるのですよ。それを毎食時に摂取し続ける食材の中に含まれる余分な添加物の影響は計り知れません。

すぐに結果が出ることに関してはすぐに対応できますが、長い時間をかけて出てくる結果には長い時間をかけた対処方法でしか動けないのです。

中途半端で良いのです。長い時間をかけて今があるのです。やっと気づいたことに対処するには同じ時間をかけて対処するしか無いのです。戦争のない平和な世界は、戦争を経験して愚かだと気づいてどうすれば良いかをこれから時間をかけて対処するのです。

わたし一人の時間で解決できない問題だと思うから引き継ぎをしていくのです。語り継ぎ、伝え続ける、考える事をやめない。

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