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窓の向こう側の視点

このエッセイは、【写真展】 - 視点 - で展示される写真に込めた内容を、心の整理のために書いたものです。写真展では会場のQRコードからこの原稿をお読み頂けます。以下、本文↓

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この人生は短い。
けど、その意味が一つと決めるには
その人生は長すぎる。

窓の向こう側を眺めながらそう考える。


窓側は不便だ。
トイレに行きづらくなるので、長時間フライトでは通路側が最善な選択で、チェックインの際に航空会社の人は配慮をいつもしてくれる。だけど、窓の向こう側を我慢できずに、その窓側を指定しようとする自分がいる。

正しいかどうかは別として、私の内面にいる"我慢できない好奇心"と"眠っている若さ"だと思うようにしている。

繊細で敏感で傷つきやすいのに、好奇心に我慢できずに刺激を追い求める矛盾を私は解決できず、窓の向こう側にある"問い"に答えを出さずにはいられない。内面に抱える"不安"と"高揚"は、己の矛盾に対する"毒"と"薬"でありながら、問いに対する"光"と"陰"でもある。

問いは多いほど良いと思う。そして、問いの答えを探す行動を私たちは本来我慢できない。それが私たちの探究心であり、進化であり、本能である。それを過剰な本能として暴走させないために、己の身を守るために、不安は行動へ作用する。逆にその本能を蘇られるため、己の身を守るために、高揚は行動へ作用する。どちらも制御に必要な毒と薬と思う。

不安と高揚は、窓の向こう側にある問いには関係がない。関係があると思うのは、そこに問いがあると思うのは、それは自分の中の思考であって、問いに答えを出そうとするか否かは自分に対する"問い"である。不安が勝れば問いに蓋を閉じ、高揚が勝れば答えを探す。窓の向こう側は、客観的な事実が横たわっているだけでしかなく、太陽の下で新しいことは何もない。

自分の未来には、自分が向かった先には、光が差しているだろうか。それとも陰に覆われているだろうか。自分の未来への解釈で、自分に対する問いの答えによって、窓の向こう側にある問いへの答えは大きく変わる。不安が勝れば陰に覆われままで、高揚が勝れば光を求めて歩き出す。

昔、”10年遅れていると思う”と書いたことがある。

いつも"持ち時間が無い"と思っていた。周りの目線を気にして、自分を傷つけないように、間違いを犯さないように慎重に良い人を演じてきた気がする。体を壊しても自分を責めて、陰の中に自分を置くようにしていた。気が付けば老いて歳を重ね、その老いも自己責任になっていた。周りは都合の良い事しか言わないから、他人の無責任は時として自分の自己責任に変わって、その持ち時間が奪われる。


広い世界観で生きていれば良かったとよく思う。
留学しておけば良かったっと良く思う。
英語ができれば良かったと良く思う。
それを話す度に、若い友人がこう諭す。

「歳って関係ないんですよね。」

持ち時間が残っているかどうかは誰も分からない。
未来がどうなっているかも誰も分からない。
ただ、解釈が変わってきた事は良く分かる。

別の若い友人が呟いた。

「今日思ったその時が、人生で最も若い日」

人生の解釈は変えられると思う。
解釈を変えるには、世界観を変えないといけない。
ならば、生きる世界を変えてみようと思う。

タイに住んでいた時、アジアやアメリカへ仕事で行っていた時、言語の違う人々の解釈の違いに驚かされた。どうせ、人間は都合の良い事を求めて生きている。ならば、数多くの解釈を持って、都合の良い解釈を採用しよう。

その方が人生は楽になる。
人生の解釈において、高揚が勝れば光を求めて歩き出す。健康やお金などの必要な事を考えて学んで、その向上も図る事ができる。私たちに必要な自習が重要と気づく事もできる。

人生の中で出会う運命とは、本来であれば必然では無い。運命と感じれる深い感情と解釈があるかが重要で、それには自由が必要だと思う。
本来であれば、運命とは自由だ。
陰に覆われた自分は自由とは言えない。



だから、こう思う。


この人生は短い。
けど、その意味が一つと決めるには
その人生は長すぎる。

窓の向こう側を眺めながらそう考える。



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