企業価値評価:Ohlson[1995]モデル(2)
前回は残余利益モデル(RIM)に線形情報ダイナミクス(LID)を仮定したOhlson[1995]モデルを導出し、MM命題との整合性やDCFモデルとの等価性を議論した。今回は前回議論しきれなかったNPVが正となる投資機会の存在が株価に与える影響、またOhlson[1995]モデルの中核となるLIDの経済的意味について議論する。前回はこちら。
NPV>0の投資機会の存在
前回導出したOhlson[1995]モデル、
において仮定されていた、線形情報ダイナミクス(LID)、
と回帰係数の条件:$${0≤\omega_{11}<1, 0≤\gamma<1}$$から明らかなように、長期的に残余利益は0に収束するため、$${\lim\limits_{\tau→∞}E_t[\tilde P_{t+\tau}]=E_t[\tilde b_{t+\tau}]}$$である。
また前回の議論にて、Ohlson[1995]モデルと等価なDCFモデル導出の際に仮定したキャッシュ・フローベースのLID、
においては、$${0≤\omega_{11}<1, 0<\omega_{12}, 1≤\omega_{22}<1+r}$$と仮定された。この「平均的な投資収益率の期待値が$${1+r}$$を超えない」との仮定は競争的な市場の性格とも整合する。
一方、現実にはそうならないケースも存在する。例えば前回議論においては減価償却の速度とキャッシュフローの逓減速度を一致させたが、保守的な会計手続きの導入により前者が後者を上回る場合、資本簿価の測定にバイアスがかかるため、株価が資本に一致することはない。但し企業による事業投資の規模が拡大しない場合、資本測定のバイアスはいずれなくなり、その時点で株価は資本の大きさに一致する。
より重要な問題は、NPVが正の投資機会の存在をどのように考えるかであり、仮にそのような投資が継続的に実施されるならば、追加的に生み出される残余利益が、株価に一定のプレミアムを付与し続けるはずである。導出したキャッシュ・フローベースのLIDモデルから、
$${P_t=fa_t+\displaystyle\sum\limits_{\tau=1}^∞ \dfrac{E_t[\tilde c_{t+\tau}]}{(1+r)^{\tau}}}$$
$${=fa_t+\dfrac{1}{1+r-\omega_{11}}(\omega_{11}cr_t+\omega_{12}ci_t)+\dfrac{\{\omega_{11}+\omega_{12}-(1+r)\}\omega_{22}}{(1+r-\omega_{11})(1+r-\omega_{22})}ci_t}$$
であるが、$${NPV>0}$$とすれば、
$${\dfrac{\omega_{12}}{1+r-\omega_{11}}-1>0 ⇔ \omega_{11}+\omega_{12}>1+r}$$
より、
$${\Psi\equiv\dfrac{\omega_{11}+\omega_{12}-(1+r)}{(1+r-\omega_{11})(1+r-\omega_{22})}>0}$$
となる。$${\omega_{22}ci_t=E_t[\tilde {ci}_{t+1}]}$$より、将来の投資金額を資本化した大きさの一部$${\Psi\omega_{22}ci_t}$$だけ株価を上昇することが分かる。従って、
$${fa_t+\dfrac{1}{1+r-\omega_{11}}(\omega_{11}cr_t+\omega_{12}ci_t)+\dfrac{\{\omega_{11}+\omega_{12}-(1+r)\}\omega_{22}}{(1+r-\omega_{11})(1+r-\omega_{22})}ci_t}$$
$${=fa_t+\dfrac{\omega_{11}}{1+r-\omega_{11}}cr_t+\dfrac{\omega_{11}\omega_{22}-(1+r)\omega_{22}+(1+r)\omega_{12}}{(1+r-\omega_{11})(1+r-\omega_{22})}ci_t}$$
$${=fa_t+\dfrac{\omega_{11}}{1+r-\omega_{11}}\{cr_t-(1+r-\omega_{11})oa_{t-1}\}+\omega_{11}oa_{t-1}+ci_t+\Bigg\{\dfrac{\omega_{11}\omega_{22}-(1+r)\omega_{22}+(1+r)\omega_{12}}{(1+r-\omega_{11})(1+r-\omega_{22})}-1\Bigg\}ci_t}$$
$${=b_t+\dfrac{\omega_{11}}{1+r-\omega_{11}}x_t^a+\Psi(1+r)ci_t}$$
となり、$${\Psi(1+r)ci_t}$$だけ株価が上昇する(ここの式変形の詳細は、前回の議論を参照)。また、$${\tau}$$年後の株価は、
$${E_t[\tilde P_{t+\tau}]=E_t[\tilde b_{t+\tau}]+\dfrac{\omega_{11}}{1+r-\omega_{11}}E_t[\tilde{cr}_{t+\tau}-(1+r-\omega_{11})\tilde{oa}_{t+\tau-1}]+\Psi(1+r)E_t[\tilde{ci}_{t+\tau}]}$$
$${=E_t[\tilde b_{t+\tau}]+\dfrac{\omega_{11}}{1+r-\omega_{11}}\bigg\{\omega_{11}^{\tau}cr_t+\dfrac{\omega_{22}^{\tau}-\omega_{11}^{\tau}}{\omega_{22}-\omega_{11}}\omega_{12}ci_t\\-(1+r-\omega_{11})\bigg(\omega_{11}^{\tau}oa_{t-1}+\dfrac{\omega_{22}^{\tau}-\omega_{11}^{\tau}}{\omega_{22}-\omega_{11}}ci_t\bigg)\bigg\}\\+\dfrac{\omega_{11}+\omega_{12}-(1+r)}{(1+r-\omega_{11})(1+r-\omega_{22})}(1+r)\omega_{22}^{\tau}ci_t}$$
となる。$${T→∞}$$の時、$${\omega_{11}^{\tau}→0}$$である点に注意して、
$${\lim\limits_{\tau→∞}E_t[\tilde P_{t+\tau}]=\lim\limits_{\tau→∞}E_t[\tilde b_{t+\tau}]\\+\dfrac{\omega_{11}}{1+r-\omega_{11}}\bigg\{\dfrac{\omega_{22}^{\tau}}{\omega_{22}-\omega_{11}}\omega_{12}ci_t-(1+r-\omega_{11})\dfrac{\omega_{22}^{\tau}}{\omega_{22}-\omega_{11}}ci_t\bigg\}\\+\dfrac{\omega_{11}+\omega_{12}-(1+r)}{(1+r-\omega_{11})(1+r-\omega_{22})}(1+r)\omega_{22}^{\tau}ci_t}$$
$${=E_t[\tilde b_{t+\tau}]+\dfrac{\omega_{11}+\omega_{12}-(1+r)}{1+r-\omega_{11}}\bigg(\dfrac{\omega_{11}}{\omega_{22}-\omega_{11}}+\dfrac{1+r}{1+r-\omega_{22}}\bigg)\omega_{22}^{\tau}ci_t}$$
$${=E_t[\tilde b_{t+\tau}]+Z}$$
となり、$${0≤\omega_{22}<1+r}$$、また$${NPV>0}$$の時$${\omega_{11}+\omega_{22}>1+r}$$より$${Z>0}$$である。$${NPV<0}$$となる投資は実行されないため、$${\lim\limits_{\tau→∞}E_t[\tilde P_{t+\tau}]=E_t[\tilde b_{t+\tau}]+\text{max}\{0, Z\}}$$である。
なおこのような投資機会を厳密に取り扱おうとすれば、事業成否に係る確率を明示する必要があるが、いずれにしろ規模拡大の投資機会が企業価値評価に追加され、投資機会の存在が株価と資本の差異を維持する要因になる。
線形情報ダイナミクス(LID)の妥当性
ここまでに議論された株価と現在の会計情報との関係は、LIDのような線形性の仮定に大きく依存している。モデルを懐疑的に見るなら、会計情報が何故線形の自己回帰過程に即して変化するのかに着目して良いであろう。企業のライフサイクルを考慮すれば、利益や現金収支が漸減するという仮定は自然にも映るが、以下ではその妥当性について考察する。
いま、Ohlson[1995]モデルに立ち入って、1期先の残余利益を
$${E_t[\tilde x_{t+1}^a]=f(x_t, b_t, d_t)}$$
のように、現在の利益・資本及び配当の関数と仮定する。上式は残余利益を形成するあらゆる源泉を考慮している点でLIDよりも網羅的であり、自己回帰係数を仮定していない点で一般性が保証されている。資本も配当も将来利益を生み出す要素である点で三者は独立ではないため、以降では三者間の関係を規定する必要がある。
まず、$${x_t}$$及び$${b_t}$$と$${d_t}$$の関係は、前回のMM命題との整合性に関する議論の通り、以下で明らかである。
$${\dfrac{\partial x_t}{\partial d_t}=0}$$:当期の配当は当期利益の確定後に支払われるため、配当は当期利益には影響を与えない
$${\dfrac{\partial b_t}{\partial d_t}=-1}$$:上式とクリーン・サープラス関係(CSR):$${b_t=b_{t-1}+x_t-d_t}$$より明らか
一方注意を要するのは$${d_t}$$と将来利益$${E_t[\tilde x_{t+\tau}]}$$の関係であり、それが判明すればCSRから将来の資本簿価も自ずから明らかとなる。上記の関係とMM命題と整合的な関係:$${\dfrac{\partial P_t}{\partial d_t}=-1}$$、及び残余利益モデル(RIM)と残余利益の配当無関連性から、
が導かれる。1単位の配当を増加させれば、その額に株主資本コストを乗じた分だけ次期利益は減少し、その意味で株価に中立的である。この特徴は、投資プロジェクトの正味現在価値がゼロ(つまり企業の投資プロジェクトの期待収益率が株主資本コスト$${r}$$に等しい)であることと整合的である。
また、次期利益とその次の期の2期間の合計利益(2期先までの利益と1期後の配当が生み出す利子の合計)に配当が与える影響を考えると、当期の配当を増加させると、株主資本コストによる2期間複利から1を控除した額だけ減少する。この点からも、$${NPV=0}$$の仮定と整合的である。さしあたり、所有と経営の分離に伴う利害対立がないと考えれば、これらの関係に疑問を差し挟む余地はない。これに抵触するあらゆる仮定は、資本の自由な移動を約束した市場の完備性を損ねるためである。
いま、LIDの代わりに上記の将来利益と配当の関係を前提とし、$${E_t[\tilde x_{t+1}^a]=f(x_t, b_t, d_t)}$$を、
$${E_t[\tilde x_{t+1}]=\delta_1 x_t+\delta_2 b_t+\delta_3 d_t}$$
のような線形モデルで書き換える。$${E_t[\tilde x_{t+1}^a]=E_t[\tilde x_{t+1}]-rd_t}$$より、この前提は$${E_t[\tilde x_{t+1}^a]=f(x_t, b_t, d_t)}$$と矛盾しない。この時、将来利益と配当の関係から、
$${\dfrac{\partial}{\partial d_t}E_t[\tilde x_{t+1}]=-\delta_2+\delta_3=-r}$$
$${E_t[\tilde x_{t+2}+\tilde x_{t+1}+r\tilde d_{t+1}]=E_t[\delta_1(\delta_1x_t+\delta_2b_t+\delta_3d_t)+\delta_2b_t+(\delta_3-\delta_2+r)\tilde d_{t+1}]=-\{(1+r)^2-1\}}$$
より、辺々を配当$${d_t}$$で偏微分して、
$${-\{(1+r)^2-1\}=(\delta_1+\delta_2+1)(-\delta_2+\delta_3)-\delta_2}$$
ここで、$${\omega \equiv \dfrac{\delta_1}{1+r}}$$と置くと、
$${\delta_1=\omega (1+r)}$$、$${\delta_2=r(1-\omega)}$$、$${\delta_3=-\omega r}$$となるため、
$${E_t[\tilde x_{t+1}]=\omega (1+r)x_t+r(1-\omega)b_t-\omega rd_t}$$
と、係数を一つ定めさえすれば、当期の利益・資本・配当を用いて次期利益を予測することが可能となる。ここから次期の残余利益は、
$${E_t[\tilde x_{t+1}^a]=E_t[\tilde x_{t+1}]-rb_t=\omega (1+r)x_t-\omega r(b_t+d_t)=\omega \tilde x_t+\omega r(b_t+d_t-x_t)=\omega \tilde x_t^a}$$
となり、Ohlson[1995]モデルで仮定した残余利益の線形性を満たす。このように残余利益の自己回帰過程は、配当の株価中立性によりその妥当性を担保される。
まとめ:Ohlson[1995]モデルの特徴
以上より、Ohlson[1995]モデルは、「その他の情報」の影響を除けば以下の前提により閉じた形で展開される。
要約すると、Ohlson[1995]モデルは、次の特徴を持つ企業価値評価モデルであることが確認できる。
$${\lim\limits_{\tau→∞}E_t[\tilde P_{t+\tau}]=E_t[\tilde b_{t+\tau}]}$$、つまり残余利益の長期漸近値がゼロに収束し、資本と企業価値が等しくなる「普遍的会計」を仮定している
当期の企業価値は当期の資本・残余利益・「その他の情報」の線形結合で表現される
企業の投資プロジェクトは正味現在価値がゼロと仮定されており、この仮定から係数自由度が1である次期利益予測モデルを導くことができる
「投資家は同額の配当とキャピタルゲインについて無差別である」というMM命題の仮定に従っている
前回の議論から、RIMと全く等価なDCFベースのLIDモデルを導出可能なことから、理論的にはRIMが将来予想に伴う不確実性を軽減する決定的な要因とはならず、その意義は前々回に議論した実務的な優位性(ターミナル・バリューの影響度、推定の容易さ、予測情報の精度)に一定依拠する必要があった。
また、類似企業の比較において、ある企業の株価にプレミアムが付与されている場合、その企業には正味現在価値が正となる投資プロジェクトの存在が期待されており、その存在により$${\Psi(1+r)ci_t}$$だけ株価上昇に寄与した。残余利益もしくはキャッシュ・フローに線形性を仮定することで、正の投資機会が株価に及ぼす影響を分離して記述することに成功した。
さらにその線形性の仮定の妥当性についても、配当と株価を巡るMM命題から導かれ、経済的な内実を持つことが明らかにされた。
このように、Ohlson[1995]モデルが企業価値評価に与える経済的含意や示唆は大きい。現実的にはNPVが正の投資機会は存在し、MM命題が実証的に成立するかについても大いに議論の余地があるが、上記のような理想的な仮定の下で形成されるベンチマーク株価として、Ohlson[1995]モデルをベースにした理論株価と実際の株価の乖離を議論する意義は大きいと考える。
Ohlson[1995]モデルの提案後、このモデルは様々な形での発展を見ることになる。具体的には、Ohlson[1995]モデルで仮定された「その他の情報」に追加的な仮定を設定し推定可能性を高めたOhlson[2001]モデル、企業活動を営業活動と財務活動に分離して捉えたFeltham-Ohlson[1995]モデル、プリンシパル・エージェント問題に議論を拡張したOhlson[1999]モデル、LIDに代わり非線形の時系列関係を仮定したBiddle[2001]モデルなどである。
次回以降は、これらの発展形モデルについて理解を深めていく。
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