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「できない」と言えるようになった僕らの”のびしろ”

お昼ご飯を食べるためにつけ麺を茹でながらスマホを開くと、環からLINEが入っていた。
このnoteで、二人で週替わりに更新しているエッセイについてだ。

「ごめん、明日ってお願いすることできないかな?仕事のゴタゴタがまだ続いてて、かけなさそう…」

今週は環のエッセイを更新する番だった。
ただ、仕事で精神的に相当参っているらしい。
僕は頭の中にこれからやらないといけない仕事を整理した上で、なんとかなるかなあと思って、「書いてみる!」と返事をした。

最近、僕も環も、どうもピンと来ていない。
LINEのやり取りのトーンも、結構イマイチだ。

二人とも、仕事面で悩んでいる。
今の会社、今の仕事内容、これから30〜40年続くキャリア。
どれも本当にこのままで良いのかという疑念が付き纏っている。

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仕事だけが人生ではない。
だけど、仕事も人生。
だから悩むのである。
二人とも、プライベートを充実させればOK、と割り切れるタイプではない。
どうしても、仕事をしている時間も満たされたいという思いが湧いてくる。

ただし、あらゆるものはコントロールしようとすればするほど、ストレスが発生するのだ。
歳を取るにつれて、なんとかしようとすればするほど、悩みが生じることがわかってきた。
そのことに気づいてからは、ストレスを回避できるかに、労力を割いている気すらしてくる。

僕と環の年齢は、クリープハイプの曲名を借りると「二十九、三十」である。
もう若手と言われることは減ってきて、中堅に突入した。
転職していることもあって、新卒の時のような、上司や先輩の温かな視線や助けは感じられない。
自分たちでなんとかしないといけない場面が増える。
中途採用の社員に求められることなんて、そんなもんだ。

僕たちは二人とも性格的に、仕事は真面目に一生懸命やるので、「若いのにしっかりしているね」とか言われながら若手時代を過ごしてきた。
言われなくてもできないといけない、他人様に迷惑をかけてはいけない、という考えも、相対的に見ると結構強く持っている。
それは良いことであるように見えるけれど、必要以上に無理もしてしまっている。

結果、環は盲腸になったし、僕は蕁麻疹を多発するようになった。
全力でやって、自分がどうにかしないとと思い込んで、自分を追い詰める。
メンタルや身体を悪くしてしまうのは本末転倒だ。
僕らの悪い癖だと思う。

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環はさておき、僕は本当にポンコツだと思う。
自意識の強さで、自分を苦しめる技術はむしろ天才的である。
このnoteでも何度も「光が見えた!!」的なエッセイを書いては、しばらくすると「はー、まじ仕事だるくてさあ」ってエッセイを書いている笑
頻繁に読んでくれている方からしたら、「この太って男、またごちゃごちゃ言って病んでてウケる。こないだはもう迷わないとか言ってたのに」とか思っているに違いない。
自分を苦しめる上に、だいぶうだうだしている。

そう、基本的に僕のレベルは、この程度なのだ。
ちゃんとやろうとして、できてるんだかできていないんだかわからなくて、ちゃんとできなくなってしまうような奴だ。

そんなことを思うようになったのは、この1年くらいかな。
何でもできないといけないと肩肘張って、プライドばかり膨らませて、周りと比較して優秀であろうと20代前半を飛ばしてきたけれど、
自分が結構なポンコツだということに、20代後半が終わるこのタイミングではっきりと気づいた。

いや、気づいたは違うかな。
ポンコツだということを、ようやく「認めた」というのが正しいな。
できないのに無理をしていたのはプライドが高かったからで、それが剥がれ落ちたのだ。

これは、大きな前進である。
なぜそれが前進なのかと言うと、最近、僕は仕事でできるようになったことがあるからだ。

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僕は「できません」と言えるようになった。

お客さんから、上司から、「こういうのってできる?」と聞かれる。
仕事の成果をあげたくて、褒められたくて、「できる」と思われたかった僕は、できてもできなかったとしても「できる」と答えていた。

「できる」と答えて、あとはなんとか徹夜とかして帳尻を合わせれば良い。
なんとかできる根拠のない自信もあって、そうしていた。
優秀な自分でいるためには、できないといけないという思いもあった。
実際、できないっぽいのが結果、できるに変わったことも何回かあったから、そうしていた。

ただ、それで大切なことを失うことも多々あった。
2週間くらい毎日1,2時間しか睡眠できないような状況に追い詰められてしまって、ご飯を食べる暇がなくなったり、
自分の「できる」を実現するために巻き込んだ方との関係を失ってしまったりもした。
失ってしまった人間関係を思い出すと、今も胸が痛む。

そんなことが続いた結果、蕁麻疹が出るようになって、今の僕は「できないっす」と言うようになった。

最初は勇気がいった。

ただ言うようになってからわかった。
「できない」と答えても、別に支障がないのだ。

「断っちゃまずかったかな」とか罪悪感を感じるのはわずかな時間で、他にも仕事はあるし、それ以外にも考えることはたくさんあって忘れていく。
長く付き合っているお客さんの相談を一回断ってみても後日別の相談が来たし、
社内のプロジェクトも「お前が今できないならいいや」という話になった。

仕事は、社会は、地球は、僕が「できない」と言ったところで、余裕で回っていく。

むしろ、無理して「できる」と言い張って頑張って炎上してしまった仕事のお客さんは音沙汰なくなってしまっている。
頑張った結果、相手がそこまで求めていなかった、なんてこともあった。

一体、今まで僕は、誰のために「できる」とマウントを取ってきたんだろう?

ちなみに「できないっす」は、そのままの言葉で伝える訳ではない。
相手によって手を替え品を替えだ。

例えば、無茶を言うお客さんが理不尽に怒った時に、ひたすら悲しそうな顔をしていると、相手がトーンダウンする。
怒りに怒りで返すと噴火するけど、相手が辛そうにしていると、自責の念が湧いてくるらしい(?)。

これはまあ最終手段だとして、できない理由を見つけ出すのも上手くなってきた。
「あ、これできなくはないけど無茶だ」と判断した物事や人に出会った瞬間に、逃げ切るための言い訳が頭の中を飛び交うようになってきた。

そう考えると、「できる」と言わずに自分を守る術を学び、ちょっとずつ僕はスマートになってきている。
一生懸命さが全てだと思って、電光石火でなんとかしようとして自爆していたポンコツも、やっと生き方を覚えてきたのかもしれない。

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先月、同世代のミュージシャン・Creepy Nutsが、新曲「のびしろ」を出した。

「サボり方とか 甘え方とか
 逃げ方とか 言い訳のし方とか
 やっと覚えてきた 身につけて来た 柔らかい頭
 カッコのつけ方 調子のこき方 腹の据え方 良いとしのこき方
 脂の乗りに乗った 濁った目した だらしない身体
 嫌われ方や 慕われ方や 叱り方とか 綺麗なぶつかり方
 もっと覚えたい事が山のようにある」

ラッパーでリリックを書いているR-指定は、僕と環と同い年で、30歳になったばかり。
有名で成功してきた彼らでさえも、同じようなことを思っていることは、なんだか安心感を覚える。

曲は、サビでひたすらこう繰り返す。

「伸びしろしか無いわ」


20代の僕は「できる」ことが全てだと思っていた。
だから、頻繁に顔を出す「できない」自分が嫌でなんでも「できる」ようになろうとしたし、「できない」人を見ていると、すごくイライラしていた。

でも、別に「できない」で、良いんだよな。
のびしろ、とCreepy Nutsに言われて、そうだよなあ、と思う。


「日々重くなる足取りで
 自分の歩幅で闊歩してる
 カマすとこカマす
 まかすとこまかす
 割と適当な段取りで」
「身の程を知るほどに
 胸を張りいつも通り
 でも時にしたって良い背伸び
 やっと「大人気ない」が出来る年」


息苦しくなるくらいに自分を追い詰めてきたけれど、これからは深呼吸しながら、
なんとかやっていける気もする。
これまで以上、楽しく生きていける気もする。

今はクソダサくて、子どもの時に思っていた大人より遥かに頼りないけれども。
「まかすことまかす」とか、「身の程を知るほどに胸を張りいつも通り」とか、ちょっとずつ生き方を覚えてきたから。
ひょっとすると30代の僕は、結構かっちょいい大人になっちゃうかもしれない。
それから先も、歳をとればとるほどに。
進むスピードは遅くて不器用かもしれないけれど。
のびしろがあるって、「できない」って、楽しみがあるってことじゃん。

「やっと分かってきたかも
 このポンコツの操縦の仕方を
 19の時の「ついに来たか」より
 もっと清々しい気持ち」


今回はエッセイを書くことを環が「できない」と言ってくれたし、逆に僕が「できねえ」って言ったこともあった。
そうすることで、二人で決めた約束がちゃんと守れている。
noteにこうして文章を、ちゃんと書き続けている。66週も連続で。
やっぱり、僕たちはちょっとだけ生きるのが上手くなっている。

環、俺たちにはのびしろしかないよ。


のびしろ / Creepy Nuts


<太・プロフィール> Twitterアカウント:@YFTheater
▽東京生まれ東京育ち。
▽小学校から高校まで公立育ち、サッカーをしながら平凡に過ごす。
▽文学好きの両親の影響で小説を読み漁り、大学時代はライブハウスや映画館で多くの時間を過ごす。
▽新卒で地方勤務、ベンチャー企業への転職失敗を経て、今は広告制作会社勤務。
▽週末に横浜F・マリノスの試合を観に行くことが生きがい。

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