今私が生きることは、針の穴を通すようなこと

「だからさ、環くんは”優秀な記者”になっちゃってたんだよ」

じわりじわりと汗が滲んだ。
デスクトップパソコンの前に座っている大学教授が、チラリとこちらを見る。
私はその教授の視線から逃げるように、本棚へと目を逸らした。「ジャーナリズム」の文字が目に入り、塞がった気持ちがさらに沈んでいくのを感じた。

転職して5ヶ月が経った。新しい会社では失敗をしながらだが、少しずつ成果も出てきて、やりたかったシェアハウスの運営に携われている。
なのに、である。
「なんとなく退屈」という状況が続いている。

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「シェアハウスの運営って意外と地味な仕事が多いけど大丈夫?」
入社時に言われた先輩の言葉がよぎる。
ただ、それについては明確に答えが出ている。
「全然大丈夫です。派手なことが好きなわけではないので」
事実、仕事をしていてその地味さには全く持って違和感を抱かない。

違和感があるのは「社会である程度自立している人に対して、より豊かにするサービスを提供している」という点なのである。
もし私がサービスを提供しなかったとしても、経済的に自立し自分なりに毎日を楽しく過ごしていける推進力のある人たちを、これ以上豊かにする意味ってなんなのだろうか。
私がやらなくてはいけないこと、アプローチをしなくてはいけない人が他にもっといるのではないか、と思う。

自分のことを「偉そうだな〜」と思うこともある。
私が今ここに書いている思いは、簡単に言ってしまえば「社会的弱者を救いたい」ということだ。
「お前は何様なんだよ」という声が飛んできてもしょうがないと思う。
それでも、心の中では「社会的弱者を救いたい」と思い続けている。

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私は東京都に男性として生まれ、両親や兄弟に恵まれ、近所に気の置けない仲間も住んでいた。両家の祖父母からも愛をもらい、すくすくと育ってきた。
どう考えても下駄を履かせてもらっている。

塾やスポーツ少年団に入ることもできたし、公立中学校の部活では男子の中で競技人口が少ないバレーボールをすることもできた。その環境で育ててもらえたから、健康で勉強もある程度できて、何不自由することなく高校や大学にもいくことができた。

社会人になってからも”大手企業”に入ることができ、地方を転々としながらも友達や恋人に恵まれ生きてくることができた。
ある程度欲しいものは手に入れることができるし、清潔で一定の広さがある家にだって住むことができている。
そして仕事をやめたって、自分のやりたい仕事が割とすぐに見つかり、失業手当を得ることもできた。

この恵まれた状況に対し、負い目さえ感じる。
のほほんと、ある程度幸せに生きているだけでいいのかと。
好きな仕事だからと言って、自分と似たように恵まれた人たちをより豊かにするようなことばかりしていていいのか。
現行の社会システムの中で幸せに生きていけるような人たちばかりに目を向けていていいのだろうか。

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あれほど苦しかった新聞記者時代。「社会的弱者を救いたい」と思って入社し、その気持ちは退職する時まで持っていたとは思う。

でも年々、その情熱が薄れていってしまったのも事実だ。

東京都渋谷区や世田谷区で同性パートナーシップ条例や制度ができた2015年に私は新聞社に入社した。社会的弱者=LGBTなど性的少数者の人たちを取材したいと思っていた私は、その報道に燃えていた。積極的に当事者にあい、記事をかき、発信していくことで理解を広げていきたいと思っていた。

ただ年数がたち、担当が変わり、自由な時間が減っていくと、本来の目的を忘れ、会社が求める記者像に飛びついてしまった。
理由は単純である。
そっちの方が「楽」だったからだ。

「環くんは本当優秀だね」
「こんな記事読んだことないわ。すごい」
「若いのにこのネタ拾ってくるのか、優秀だ」

自社、他社も含め、紙面を見た先輩からは何度も褒められた。
社会的弱者を救うことができなくても、自分が輝ける場所があると躍起になっていたと思う。

他人の評価が軸になっていた私は、なかなか成果が出づらく、社内で1、2番に自由な時間がなかった警察担当時代に、どんどんと潰れていくことになる。
周りからは「若いのにこの警察を担当しているなんてすごいよ」と褒められ、一時的に自尊心は満たされるものの、結局状況は何一つ変わらない。
自分の情熱を果たす仕事ややりたいことは、何一つできていないからである。

そして、私は退職の道を選んだのだ。
情熱を捨て、自分のやりたいことが別にあるのだと自己暗示をかけて、幕をおろしたのだ。

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冒頭の場面に戻る。

教授は、私から報告される日々の出来事にイライラを募らせていた。

「君さ、本気で世界を変えるんだって思って会社やめなくちゃダメだよ。違う?」
「世界を変える覚悟がないなら、今すぐ元の会社に戻れよ」
(※教授とは約10年の付き合いになるのでこのような言葉が飛び交っています)

教授をなんとか落ち着けて、会話の形だけ整えて部屋を後にした私は、頭が痛かった。
どんぶらこ、どんぶらこ、と流れた先には大きな岩があって、その岩に頭をぶつけてようやく目が覚めた気がした。


教授に言われたことが頭の中を駆け巡る。
「市井の人々には生活がある。全て政治につながらなくても、何かの形にならなくてもそこに社会運動がある。そういうことを忘れていないか?」

「報道機関は市井の活動の一部を報じているにすぎない。報道の外でも行われているたくさんの社会運動を考えないようになってはダメだろう」

「優秀な記者っていうのは、会社にとってということでしかないよね。君が報じることで、どんな世界を変えたいのか。それがあるはずだろう」


私の心はすでにわかってきてしまっている。
元の業界に戻り、社会的弱者(正確には「社会的少数者と自認する人たち」)を救うような報道がしたいのである。


もともといた場所を離れると見えてくるものがある。
その風景がここまで明確で、大きくて、自身を揺さぶってくるものだとは思わなかった。

困難はたくさんあるだろう。私はもう一度、流されながらも、望む将来に向かってどうにか方向を修正し続けていくのだろう。


折坂悠太/針の穴


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