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五月、「ここは自分の居場所じゃない」と思ったときに

今から7年前の五月。
社会人1年目。地方に赴任してすぐに開かれた、新人歓迎会でのことだ。
たくさんの先輩や偉い人が、転勤してきた新人をもてなす会だった。

苦行だった。
大学時代、サークルをちゃんと続けず、嫌いな人や大人数の場を徹底的に避け続けてきたツケが回ってきた。
そんなことを思いながら、僕は貸し切られた居酒屋で凍りついていた。

気の利いたことは一つも言えず、貼り付けた笑顔しかできない自分が情けない。話そうと思ってもドキドキしてしまって、何を言ったら良いか分からなくなって黙ってしまう。ならば飲むしかないと、ひたすらアルコールを流し込み続けるしか無かった。

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僕は当時、大人数での飲み会が苦手だった。
ちなみに今もそんなに得意ではなくて、だけど社会人として多少こなすことができるようになった、そんなレベルである。

大人数の飲み会では、自然といくつか島ができる。
その島と島の間でどちらの会話にも入れず、気付けば1人で飲んでいるようなことがよくあった。この現象をオードリーの若林さんがエッセイで書いているのを初めて読んだ時は「これ僕もです!」と同じ気持ちを味わっていた人がいることに嬉しくなって、でもそれを経験するのは少数派であることにも読み進めるうちに気付いて悲しくなった。
飲み会の人数は4人、いや3人が限界かもしれない。

それに、小さい頃から経験してきた裏切り行為の数々で、初対面の人には「いつ騙されるかわからないから信用してはならぬ」という前提の懐疑的なコミュニケーションを取る姿勢が身体に染み込んでしまっていた。
同時に、昔から肩書きや役職を持った権力を前にすると、過度なリスペクトから言葉を失ってしまう臆病者でもある。
だから「歓迎会」と名の付くイベントは、みんながようこそと手を広げてくれている二度とない好意的な場にもかかわらず、僕にとっては解散後の帰り道で1人になった瞬間叫び出したくなるような、自己肯定感がゼロになる最悪なイベントだった。

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ちなみにこの時、同じタイミングで同じ場所に転勤した正社員の同期が、僕以外に3人いた。
その3人は、性格はバラバラだったけれど、それぞれ人に好かれる個性があり、度胸もあり、飲み会での立ち回りが絶妙にうまかった。その場を中心になって回していたくらいだ。
コミュニケーション能力が高く、世渡り上手なサラリーマンが多いこの会社にも、入るべくして入ったんだと思う。後々、みんなそれぞれに悩みを抱えていることが分かったけれど、がむしゃらな自分探しの延長で滑り込み内定をもらった僕とは違い、奴らはスマートだった。

赴任前の研修中に指導された「飲み会における新人とは」の教えを早速実践している他の同期に感心しながら、逆にできていないことを自覚してバカ真面目に落ち込んで静けさを放っていた僕の前の席に「ここ空いてる?」と座ったのが、窪田である。

窪田は僕にとって同期に当たるんだけど、前述した3人の同期の中には含まれない。
理由は、彼が契約社員だったからだ。
正社員の僕らと違って研修がなく、一足早く働き始めていたこともあって、窪田は扱われ方が違った。
気を遣った先輩たちが、僕たちが初めて窪田と対面した日に「同期なんだから仲良くしろよ」と言ってきたけど、ピンとこなかった。歳も3つくらい上だった。

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僕は自分の会話力の無さから居心地悪さを感じていたけれど、”正社員”の同期の歓迎会という場所は、窪田にとっても居心地が悪かったのではないかと思う。
枝豆をつまみながら窪田は僕に問いかけてきた。

「太は、大学時代何やってたん?」

音楽が好きで、バンドが好きで、ライブハウスによく行っていて。
そんな話をポツリポツリとすると、「オレもやで」と窪田は言った。
聴いている音楽は少しずつ違ったけれど、共通の話題があったことに安心し、この歓迎会に来てやっとちゃんとした会話ができた。

窪田はコテコテの大阪人で話がとても面白くて、こっちが沈黙してもずっと喋り続ける奴だった。
他の人とも話さないと、と内心焦ったけれど、窪田がよく喋るのでまあ良いかと思って、結局大半の時間を2人だけで話し続けた。

飲み会は進み、お開きのタイミングになる。
最後に新人が1人ずつ(窪田を除いて)、面白おかしくスピーチをしないといけない流れになる。
同期の3人が一通り笑いを引き起こし、最後に僕の番が回ってきた。
苦笑しながら、少しだけ嘘を交えて自虐的なことを言って微妙な笑いを引き出して、なんとか僕はその場を凌いだ。
本心では思ってもいないのに自分を下げた笑いしか取れないことに後味の悪さを感じ、これから先この場所でやっていけるのかと不安になりながらも、その日の帰り道は窪田と好きが一致していた銀杏BOYZを聴きながら帰った。

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新人歓迎会を終えてしばらく経っても、僕はなかなか職場に馴染めなかった。歓迎会で話した人と改めて会社であっても「あんまり話さない変わった子ね」という空気を相手が出しているのを感じて、より一層僕は言葉を失った。

それに何より、配属前に希望していた企画系の仕事ではなく、想定していなかった総務の仕事を担当している状況に、かなり堪えていた。
正社員の同期3人が希望していた部署に配属されて、「新人なのに優秀」と言われているのも耳に入って、気持ちは落ちる一方だった。
こんなことやるために地方に来たんじゃないのに。
毎日、そんなことを考えていた。

一方で、窪田との仲はどんどん深まった。
週の半分以上は、2人で飲みに行った。休日も会った。
中華料理屋や、チキン南蛮が抜群に美味しい居酒屋で、職場の愚痴や好きな音楽の話を延々とした。お店を追い出されても話し足りず、真夜中に窪田の家の前でタバコを吸いながらよく話した。
窪田は別の部署に配属されていたけれど、同じように希望していた仕事ができていなくて、境遇が一致していた2人は冴えない毎日をなんとか納得させるかのように、とめどなく話し続けた。

ただ、他の同期たちが仕事で活躍しているだけではなくて、先輩や上司、外の人と頻繁に飲みに行っているのを目にすると、心がざわついた。
自分だけ前に進めずに、窪田と傷の舐め合いをしているだけではないかと。

焦りつつも、自分の性格や仕事内容を、すぐに変えることはできないこともわかっていた。3人の同期たちのようにはできないことも。
それに、先輩から大切な言葉をもらえたこともあって、まずは目の前のことからだと、向き合い始めた(この話は詳しくはこちら)。
花壇の整理をする、切れかけた蛍光灯を変える、壊れた電話機を取り換える、健康診断の案内を間違えずに出す、先輩のPCの設定を手伝う、立替精算の伝票をチェックする、、、
企画書には一切触れない日々に、こんなはずじゃなかった、と思いながらも、与えられた仕事をとにかく真面目にやった。
大体いつも定時から2,3時間過ぎてから仕事が終わって、会社を出ると窪田が先に飲んでいる居酒屋に向かう日々がしばらくは続いた。

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そんな積み重ねを経た、1年目の終わり頃からだろうか。僕は、会社に馴染めてきたという感覚が持ててきた。
仕事を重ねていくうちに、口下手だけど仕事はちゃんとやることを認めてもらえたのかもしれない。
上の人や、他の部署の人から、飲み会に誘われることも増えてきた。
そして、そういう場に行っても、新人歓迎会の時みたいにうまく喋れずに凹んで帰る、ということが段々と減った。

特に、窪田の部署の先輩とはとても仲が良くなった。
窪田は前の日あったこととかを誰にでもベラベラ話す奴なので、2人で飲みながら話した内容を部署内で撒き散らしていた。
そのおかげで、僕に興味を持ってくれた人が少しずつ声を掛けてくれるようになって、気付けば2人での飲み会の回数は減って、いろんな人と飲みにいくようになった。

仕事を真面目にやったこと、それはもちろんなんだけど、窪田と2人で過ごした時間が、結果として僕の会社での立ち位置を作ってくれたんだと思う。
それから社会人3年目の終わりまで僕はその会社に在籍したけれど、今振り返っても楽しい時間ばかりを過ごすことができた。

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進学、就職、転職。
この4月からスタートを切った人がたくさんいると思う。
新しい場所で勉強や仕事を始めたとき、3人の同期のようにすぐにペースを掴める人はたくさんいる。
ただ一方で、僕のように1年経ってやっと、という人もたくさんいる。
それはつまり、今いる場所を「自分の場所」だと思えるようになるスピード、馴染むスピードは人によって全然違うということだ。

意外と、そのことに気付けていない人は、多いと思う。
だから、横を見て、上を見て、周りの人が言ってくることを聞いて、他の人のやり方が正解だと思って、自分はなぜできないんだと、落ち込み過ぎないで欲しい。僕は初めて転職した際にそれで失敗したし、今の会社に入ってからも同じような理由で辞めていく後輩を何人も見てきて、ちゃんとそのことを伝えることができなかったことを、とても後悔している。
周りに何を言われようと、自分のペースで良いんだ。

そして、僕にとっての窪田のように、先が見えずに困ってしまった時、そばで寄り添ってくれる、手を差し伸べてくれるような存在は、きっとどこかにいる。
まずは誰かを見つけて、勇気を持って、自分の胸の内を話してみて欲しい。思っていたのと違うこともあると思うけど。
僕の視界が開けたのは、話しかけてきた窪田に、恐る恐る本音で話をしてみたことがきっかけだ。

ただ、そうやって何度もトライしてみても、色んなことに手を出しても、助けてくれる人が見つからないときには、その場所は学校であろうと職場であろうと捨ててしまっても良いと思う。
助けてくれる人がいない場所は、不健全だ。
縋り付く必要もない。

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僕は、これから先、自分がいる場所では、真っ暗闇にいる人のことを、そのままにはしたくないと強く思っている。
窪田が意図的だったかどうかは置いておいて、彼のような存在でありたい。

そして、もし、この文章が4月で憂鬱になってしまった人に届いて、少しでも心を楽にすることができたら、それは嬉しいことだ。


もしも君が泣くならば / 銀杏BOYZ

<太・プロフィール> Twitterアカウント:@YFTheater
▽東京生まれ東京育ち。
▽小学校から高校まで公立育ち、サッカーをしながら平凡に過ごす。
▽文学好きの両親の影響で小説を読み漁り、大学時代はライブハウスや映画館で多くの時間を過ごす。
▽新卒で地方勤務、ベンチャー企業への転職失敗を経て、今は広告制作会社勤務。
▽週末に横浜F・マリノスの試合を観に行くことが生きがい。

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