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久米が描き続けてきた労働者
久米文学の主要テーマの一つが労働問題であった。特に大衆小説ではこの労働者をどう描くかという問題を丁寧に扱っている。今回は蛍草で労働者がどう扱われているかを考えてみたい。
蛍草に描かれた素朴なヒーロー蛍草で、愛よりも自らの誇りを選んで逞しく働く駒子の存在はすでに述べた。更にこの後、主人公がツツガムシ病の研究をする際にヒーローのように扱われるのが地元の名も無い老人なのだ。主人公の後藤は様々な挫折の後
久米正雄ーその人と文学ー蛍草を廻って
久米正雄。明治24年に長野県で生まれる。8歳で教員だった父を亡くし、母の生まれ故郷の福島県へ。相当に優秀であったようで、一高(現在の東京大学)に無試験の推薦入試で合格。同級生には芥川龍之介、菊池寛、山本有三らなどがいた。早熟な文才の人物で、中学時代に書いた俳句で大人たちをざわつかせた。一高入学後も学生記者として新聞に寄稿文を連載、校内の機関紙に初めて書いた戯曲を載せればプロの演出家の目に留まって上
もっとみる久米正雄 破船事件を改めて問う
福島県郡山市に、こおりやま文学の森資料館と言う場所があります。文字通り、郡山市出身の文学者たちを紹介するもの。その中でも特に力を入れて紹介しているのが大正時代の作家、久米正雄。この文学館をきっかけに久米正雄を知り、その文学と人生に惹かれるものを感じています。それは表現することで心の傷を昇華させてゆくという、文学への姿勢への共感と敬意なのでしょう。
ところでこの久米正雄。近代文学史に少し詳しい人なら
宮沢賢治のアイスクリーム
永訣の朝という、悲痛にして美しい詩。今回はその最後の方に出てくる食べ物のお話です。
『今日のうちに 遠くへ行ってしまう わたくしの妹よ』この、悲痛な言葉で始まる宮沢賢治の詩を愛読なさる方も多いかと思います。ご存知の通り、この詩は賢治さんの二つ下の妹が24歳という若さで結核で亡くなった日の出来事のスケッチ。
この詩の通り、妹トシさんは『あめゆじゅ とてちて けんじゃ』(あめゆきとってきてください
高瀬露さん(3)~賢治が残した手紙の下書き
宮沢賢治が晩年に手帳にこっそり残した詩編(というか日記代わりのメモ?)にある『聖女のさまして近づくもの』これは本当に高瀬露さんがモデルであったのでしょうか。賢治さんがある人物に残した手紙の下書きから、そのことを探ってみようと思います。
一通の手紙の下書きから見えて来るもの前回も書きましたが。この聖女のさましてという詩が書かれたのは、賢治さんが露さんと最後に会ってから6年も経っています。最後に手紙
高瀬露さん(2)~宮沢賢治が残した詩の謎
前回は賢治さんに一途に恋をした女性、高瀬露さんについてお話しました。今回はこの露さんがモデルとなっているのではないかと言われている詩について、考えてみようと思います。
不穏な言葉が並ぶ詩この詩には題名がつけられておらず、一般には最初の一行をとって「聖女のさまして近づくもの」と呼ばれています。短い詩なので引用してしまいましょう。
【聖女のさましてちかづけるもの】
聖女のさましてちかづけるもの/
高瀬露さん(1)ー宮沢賢治に恋した女性
37年の人生を独身で過ごし、女性関係では浮いた話もほとんどなかった宮沢賢治さんですが。精神的な意味での恋愛は幾つか体験しています。その中の一つ。これは、賢治さんにぞっこんに恋した女性のお話です。
賢治、30歳の決断賢治さんは大学卒業後、家業見習い、家出などを経て(笑)、今でいう農業高校の教師に就きました。やがてそこも数年で退職。30歳で一人暮らしを始めます。そして自分でも農業をし、自給自足の生活
宮沢賢治入門にお勧め作品
賢治作品の分かりにくさの理由宮沢賢治の作品に関して、「分かりにくい」という声をよく聞きます。
確かに(笑)
賢治作品の難しさには理由があり、賢治自身が「簡単にテーマを読み取られるような作品で満足していてはだめだ」と常に自分を戒めていたというのが、一番の理由だと思います。
また、賢治が熱心に信仰していた法華経では「真に大切な事は言葉では表せない」と語っているそうです。
賢治は法華経の教えを文学に
宮沢賢治・同性愛者説に異議を唱えてみる
今年2月に放映されたEテレ・宮沢賢治特集がまた再放送されたようですね。
見ていない方に説明させていただくと、「宮沢賢治は同性愛者だった。大学時代の親友・保阪嘉内に生涯恋焦がれて過ごした」という内容のもの。
突っ込みどころ満載過ぎて、逆にどっからつっこみゃいいか分かりゃしねぇ(笑)
「春と修羅」に収録された他の作品読んでねぇなまず、あの某国営放送では賢治が20代半ばに書いた『春と修羅』から引用があ