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久米正雄『大凶日記』に見る悩み方のうまさ

夏目漱石の長女(筆子)の夫である松岡譲。その作品である『憂鬱な愛人』が再販されるという。それは結構だが、紹介文を読むたびに久米が『破船』の中で松岡を悪者にしたという意見には辟易している。作中、松岡は杉浦の名で出てくるが、悪者扱いなど全くされていない。むしろ主人公の小野(久米自身の事だろう)が杉浦を友人としてどれだけ大切に思っているかが、しつこいほど書かれている。『破船』自体、小野こと久米が恩師の長女にどういう過程を経て恋心を育て、どう悩んだかという事が描かれている。そして物語は婚約解消を言い渡されるところで終わる。その後、松岡(作中では杉浦)が筆子(作中では冬子)と結婚した話は出てこない。そうでありながら、憂鬱な愛人の紹介では『久米が破船で松岡を悪者として書いたから、世間が久米に同情して松岡が苦しんだ。』という事になってしまっている。それこそ、新聞(新潟日報 2020年7月19日付)にまでそう書かれているのだから驚かされる。そして新聞で久米が悪者にされるというのは、まるで破船が書かれる前の繰り返しのようだ。この件については後に述べる。

https://www.niigata-nippo.co.jp/news/local/20200719556422.html?utm_source=twitter&utm_medium=social&utm_campaign=twitter_more

新潟日報による憂鬱な愛人の紹介記事へのリンク。久米が破船で松岡を悪者にしたと明記されている。

婚約破棄後の久米の心の動き

久米と筆子の婚約破棄の問題については、以前記事にも書いた。

https://note.com/ogla_meg_0707/n/n60341ca8c462

男の純情を良いように利用された形だ。自分の言いなりになる娘婿が欲しかった鏡子未亡人から難癖をつけられ、婚約破棄を言い渡される。それも親友である松岡の前で。その上、人間性まで批難される。そして数日後、その松岡と筆子が婚約することを知るー

久米としては、どうして一言話してくれなかったのだろう、いつから裏切られていたのだろうかと苦しむのは当然だ。久米の親友、芥川龍之介もこの件については憤慨しており、当時の婚約者で後に妻となる塚本文にやり場のない怒りと、久米が今回の心の傷から東京を去るかもしれない寂しさを書き送っている(手紙362)

しかし久米は、案外早く心の傷から立ち直った。一時は福島の実家に帰るも、自分の居場所は東京だと悟る。それは、久米を心底心配した芥川、菊池、土屋文明らの存在が大きかったことだろう。やがて菊池寛の勧めで大衆小説と称される『蛍草』を連載。実家から一人暮らしの母を呼び寄せて安定した日々を過ごす。―松岡譲と夏目筆子の結婚式当日までは。

文豪のご令嬢の結婚という事で、夏目筆子と松岡譲の結婚は新聞でも大きく取り上げられた。久米はその記事を目にして多少の心の揺れを感じる。が、この時点ではもうかなり感情に整理をつけており、嫉妬も感じなかった。しかし、さらなる試練と裏切りが久米を襲う。

新聞に書かれた中傷記事

久米が読んだ新聞は生涯の親友だった菊池寛(のちに事業家として有名になるが、この当時は新聞記者であった)が書いたものだったそうで、公平で立派なレポートだ、などと感心さえしている。しかし、他の新聞に、自分を中傷する内容の記事が出ていることを知ってしまう。事実とも全く違うものだ。芥川、菊池寛をはじめとした久米の友人たちもこの記事には憤慨。芥川の妻に至っては、その記事を切り刻んで捨てるほどであった。

なお、『新・日本文壇史』を著した川西政明氏はこの新聞記事は松岡が新聞記者に指示して書かせたものだという。

当然、久米も苦しむ。いつか本当のことを書いて発表しようとも思う。この時、久米は弱者側だ。まだ駆け出しの作家であり、相手側は文豪の遺族。『軍門に下った捕虜をなぶり殺しにする気』だとさえ感じた。そしていつか事件の真相を書く決意をする。破船を書く決意のきっかけの一つは、この時に出来上がる。繰り返すがこの時点では久米は弱者側だ。真相を書く決意も悲壮であった『棺を蓋うに先立って自ら屍を洗う覚悟をもって書く』とまで書いている。恋を失い、親友に二重の裏切りに合った青年作家の悲しみは深い。

しかし、ここでさらに続く言葉に注目したい。

ああ迄慌てた弁解の必要を感じる所を見ると、誰かの心に罪悪感無くして何であろう。彼らとても苦しんでいるのだ。

久米はここまで裏切られながらも、自分を裏切った相手方の気持ちを、その苦悩を想像している。そう思って自分を慰めるより外はあるまい。と続くにせよ、この態度は立派だ。同時に、久米は悩み方が上手い。新聞の中傷記事を読んだ時も上手に苦しんでいる。

なる程僕の行動は醜かったかもしれない。しかしああまで醜くは無かったはずだ。』久米が自分の行動のどの点を醜い感じたのがどの点かは不明だ。(失恋直後に書いた数編の短編をさすのだろうか?この点は後程考察したい。)ただ、ここでも自分を振り返り、反省し、さらに事実と照らし合わせて自分が受けた仕打ちが正当かどうかと問いかけている

久米のこういう態度を見ると、非常に近代的な自我の人物であったのではないかと思う。鏡子夫人の言葉に流されずに『絶対に小説を書きたい』と主張したのも同様だ。本当にやりたい事を持ち、他者の言葉に流されない。傷ついても、人の気持ちを想像する余裕を持ち、反省するべき点は反省する

久米という人物は、決して聖人君子ではなかったし、この時代の文士にありがちな破天荒なエピソードもない。しかし人格的には非常に安定し、向上心を持った人物であったことがうかがえる。

悩みが作家として成長させた

良くある久米の紹介に『失恋の経験が蛍草を書かせた』『一連の失恋物で人気を博した』とあるが、私はこの説は取らない。蛍草にこの破船問題と被る要素はほとんど見つからなかった。物語が動くトリガーとなる、親友との三角関係くらいだろう。その後に久米が書き続けた長編小説は、硬派な社会派ものから、大正時代のファムファタルを描き出したもの。自分らしい生き方に目覚めて玉の輿を蹴ってしまうヒロインを描いたものなど多岐にわたる。そのどれもが、久米特有の緩急ある文章で読者をひきつける。久米の文章は時に美しく、時にユーモラスで、時に映像的だ。めりはりのある物語をしっかりと描写し、読者をひきつけ続けてた。多くの作品は発表後すぐに舞台や映画となる。押しも押されぬ流行作家となった。しかも、長編の傍らで『余技として』短編の私小説や純文学(こちらも相当な精度だ)書いたのだ。この凄まじい創作意欲と才能の引き出しは、賞賛に値するものだろう。久米がこれほどの精度で仕事をした背景には、もちろん本人の資質によるところが大きい。もともと、学生時代から俳句では麒麟児と評され、初めて書いた戯曲がプロの目に留まって上演されるほどの才能だった。その背景には、悲しみ、苦しみから逃げずに向き合い、そのすべてを自らの精神の血肉にしてしまう貪欲さがあったことは否めない。

この失恋事件が無くても、久米はやはり人気作家になっただろうし、蛍草は書かれていただろう。(この点は後に考察する)私はこの失恋事件が久米の作家人生に影響を及ぼしたとは思えない。ただ、先ほど述べた、苦悩から逃げずに対峙する姿勢。そして自分を傷つけた相手の気持ちさえ想像する豊かな心を、この件で強めた事は確かだろう。そういう意味でこの失恋事件は、久米の作家人生の一助くらいにはなったのかもしれない。

その後の久米と松岡

松岡を紹介するときによく見る言質に『久米は破船を書いて世間の同情を集め、松岡が悪者にされた』とあるがそれは間違いだ。世間は破船が書かれる以前から、久米に同情していた。それは久米の随筆『良友悪友』で久米がはっきり書いている。失恋など初めは恥ずかしかったが、世間は意外と自分に同情的だった、と。蛍草の人気に伴い、精神的な安定も得たのだろう。この時期はすでに失恋を『自分の一枚看板』とまでユーモラスに語る余裕を持っている。

破船を書く以前から、世間が久米に同情したのは、例の新聞記事が逆効果であったのだろうか。芥川、菊池寛といった社会的信用の大きい人物と親友であったためか。久米自身の人間性なのか。その辺りはもう少し調査の必要があるかと思う。ともかく、久米が世間の同情を集めたのは破船とは無関係だ。

一方、松岡は孤立する。芥川の書簡などを見ても、久米が東京に戻ってくるのを境に、ご無沙汰している、の言葉が多くみられる。芥川にとっては松岡は敬愛する恩師の親族なので縁を切ることは無かったが、一定の距離を取っていたのがうかがえる。また芥川が松岡と会った時は、必ず久米に報告していた。それが芥川にとっての久米への友情の形でもあったのだろう。芥川が自死の際、久米に手記と遺稿を託した話はあまりに有名だ。松岡にはメモ一つ残すことは無かった。

菊池寛もやがて小説家に転身、更に実業家へと。立ち上げた出版社からの雑誌に芥川と久米も協力。こちらも、松岡が呼ばれることは無かった。(この場合、松岡の文士としての実力が問題だったというのもあったかもしれないが)また、菊池が自分側から見たこの問題『友と友との間』を書いた事、その中で久米をあまりよく書かなかったことは有名だ。が、それでもこの2人の友情が壊れることは無かったのは大変興味深い。その後も2人でそろいの麻雀セットを買うなど親しい付き合いが続く。菊地は戦後、戦意高揚の文章を書かせた罪という事で公職追放の憂き目を見る。その菊池が亡くなった時、葬儀委員を務めたのは久米だ。

この三人は人気作家として大正時代の文壇を圧巻し、同時にプライベートでも非常に親しい付き合いを続けていた。が、その中に松岡が入る事は無かった。親友の婚約者と黙って付き合った上、新聞に中傷記事を書かせた。これは友情の形としては最悪だ。他の友人からも距離を置かれてしまう。作家としても芽が出ず、経済的にも苦しかったようだ。

そして、松岡は自らの不幸、不運をすべて久米のせいにする。松岡の長女は友人の親から『あんな悪い人の子供と遊ぶな』と言われたそうだ。それを久米の破船のせいだと思い込んで一生を終えている。しかし果たしてそうだろうか。かつての友の、中傷記事を書かせた人物という目で見られてはいなかったか。あるいは松岡自身の普段の言動に何も問題がなかったと言えたか。久米は筆子との婚約期間に、ひどい中傷が並んだ怪文書を匿名で送られるという嫌がらせを受けている。この件で芥川は松岡を真っ先に疑った。以前にも、芥川の筆跡をまねた怒りの手紙を久米に送り、久米を慌てさせたことがあったのだ。こういう、タチの悪いイタズラをするところがあったらしい。

何にせよ、松岡が父としてすることはその親と話し合う事であった。しかしすべてを久米のせいにし、憎悪を募らせる寂しい人生を送っている。ちなみに、久米の方は新聞に書かれた中傷記事でさえ、あっさりと忘れてしまう。数年後にはまた友人に戻りたいと公言。どうして知ったかは不明だが、その時期、松岡は久米を殺してやりたいほど憎んでいたのだが。それを知っていて、それでも松岡への友愛の情を抱き続けた。人間として、どちらの方が情緒的に成熟しているかは読者の判断に任せる。

ただ、久米が破船で松岡を悪者に仕立て上げたという誤解は、いい加減にしてもらいたいものだ。新聞社なら、少しは調べてから記事を書いたらいかがだろうか。


参考文献 久米正雄『大凶日記』『良友悪友』『墓参』『破船』(本の友社・久米正雄全集 13巻、8巻、9巻、5巻)

芥川龍之介全集第十巻(岩波書店)

新・日本文壇史 川西政明著(岩波書店)

夏目漱石の印税帳 松岡譲著(新潮社)

新潮日本文学アルバム 菊池寛(新潮社)

小谷野敦氏の詳細年表(http://akoyano.la.coocan.jp/kumemasao.html)









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