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小説や、読書感想文などを投稿する予定です。 読んでくださった方、ありがとう。スキは励みになります。 最近はほとんど絶版となった、久米正男の本を集めています。サポートしていただけると資金になりますので、泣いて喜びます。

最近の記事

久米が描き続けてきた労働者

久米文学の主要テーマの一つが労働問題であった。特に大衆小説ではこの労働者をどう描くかという問題を丁寧に扱っている。今回は蛍草で労働者がどう扱われているかを考えてみたい。 蛍草に描かれた素朴なヒーロー蛍草で、愛よりも自らの誇りを選んで逞しく働く駒子の存在はすでに述べた。更にこの後、主人公がツツガムシ病の研究をする際にヒーローのように扱われるのが地元の名も無い老人なのだ。主人公の後藤は様々な挫折の後に成長。母と慕った老婆の命を奪った病気の治療法を求めてツツガムシ病の研究に取り掛

    • 久米正雄ーその人と文学ー蛍草を廻って

      久米正雄。明治24年に長野県で生まれる。8歳で教員だった父を亡くし、母の生まれ故郷の福島県へ。相当に優秀であったようで、一高(現在の東京大学)に無試験の推薦入試で合格。同級生には芥川龍之介、菊池寛、山本有三らなどがいた。早熟な文才の人物で、中学時代に書いた俳句で大人たちをざわつかせた。一高入学後も学生記者として新聞に寄稿文を連載、校内の機関紙に初めて書いた戯曲を載せればプロの演出家の目に留まって上演されるなどしている。卒業後は経済的な事情から主に新聞や雑誌に大衆小説を書いて人

      • 漱石山房との対話

        数回にわたって関口安義氏の評伝・松岡譲を検証してみた。この評伝が決して正確なものではないことがお分かりいただけたかと思う。私は現在(2020年8月)東京都新宿区の漱石山房で行われている松岡譲展の監修者が、この関口氏であることに深い危機感を覚えている。以前も少し触れたが、ここのブログですでに松岡への持ち上げ記事を書いている。それだけならまだご愛敬だが、松岡を持ち上げるために久米を悪者にしているのだ。私は電話で漱石山房に問い合わせ、ブログ内容が事実と違うという事を話した。正直、担

        • 関口安義著・評伝 松岡譲 の検証 4

          戦後の和解の欺瞞関口氏の評伝では、戦後の久米と松岡の和解について触れている。松岡が疎開していた長岡に、久米が訪ねて行く。表向きは食料調達だが、版権が切れる漱石全集を他の出版社から出したいという事について、松岡と相談するのが本来の目的であったという。(個人的にはこれも久米の口実で、松岡に会いたかったのではないかと思うが証拠となるものはない。)そうして長岡に滞在した久米の宿に、松岡の方から足を運び、親し気に話し、和解が生じたという。その後、2人で講演会や合同書画展、漱石文学賞の設

        久米が描き続けてきた労働者

          関口安義著 評伝・松岡譲 の検証3

          前回は『評伝・松岡譲』の的外れな久米批判について検証してみた。 今回は、久米に関する記述も含めて不自然だと思う点について指摘してゆこうと思う。 10年の忍耐の沈黙という欺瞞まず、松岡が結婚後10年の沈黙を誓ったという内容の記述。まずこれが守られていない。法城を護る人々は結婚後5年目程で書かれている。この発言を、久米に対するものだとする意見もあるようだ。何を言われても我慢、結婚後10年は忍耐を重ねたというものだ。しかし松岡は自著の中で長女が『あんな悪い人の子供と遊んではいけな

          関口安義著 評伝・松岡譲 の検証3

          関口安義著・評伝 松岡譲 の検証 2

          前回から引き続き、関口安義著の評伝・松岡譲から特に『久米叩き』と取れる点に関して検証してゆく。 4)破船に書かれた『炬燵の中で筆子が久米の手を握った』という描写は嘘である。について この圏に関して、筆子は絶対にやってないと言ったと言う。そして関口氏は『何かの拍子にちょっと手がふれあった程度なのだろう』と断言してしまう。エビデンスは『常識的に考えて』のみだ。ならば筆子が常識的な人物かを検証する必要がある。 しかしその前に、この件に対する関口氏の記述で不当と思われる点を指摘

          関口安義著・評伝 松岡譲 の検証 2

          関口安義著・評伝 松岡譲の検証 1

          久米正雄という作家は、いつまで破船事件の事を言われ続けるのだろう。 一年ほど前にふとしたきっかけでこの作家に出会い、通俗小説というにはあまりに美しい文章と人物像の描写にひかれてファンになった。そしてその後、破船事件を知り、松岡譲の事を知る。あまりに久米が悪者になっているのが気の毒で、調べて知った事を以前noteに書いた。そしてこの件については、これ以上追及したく無かった。 この問題を問えば、松岡譲という人物の人間性に触れなければならないし、それは誉め言葉にはならない。この人

          関口安義著・評伝 松岡譲の検証 1

          久米正雄『大凶日記』に見る悩み方のうまさ

          夏目漱石の長女(筆子)の夫である松岡譲。その作品である『憂鬱な愛人』が再販されるという。それは結構だが、紹介文を読むたびに久米が『破船』の中で松岡を悪者にしたという意見には辟易している。作中、松岡は杉浦の名で出てくるが、悪者扱いなど全くされていない。むしろ主人公の小野(久米自身の事だろう)が杉浦を友人としてどれだけ大切に思っているかが、しつこいほど書かれている。『破船』自体、小野こと久米が恩師の長女にどういう過程を経て恋心を育て、どう悩んだかという事が描かれている。そして物語

          久米正雄『大凶日記』に見る悩み方のうまさ

          宮沢賢治『貝の火』を読む

          宮沢賢治の代表作と言えば、多くの人が銀河鉄道の夜を上げるかと思います。もう少し詳しい人でよだかの星、注文の多い料理店などでしょうか。そういう意味では今回取り上げる『貝の火』と言う作品は、いささかマイナーかもしれません。しかし非常に示唆に富んだ作品ですので、ご紹介がてら、解説したいと思います。 物語の概要まず、この『貝の火』という物語について。主人公は兎の少年です。名前はホモイ。年齢設定ははっきりされていませんが、無邪気さや強く言う狐に流されるあたりから見て、10歳前後くらい

          宮沢賢治『貝の火』を読む

          久米正雄 破船事件を改めて問う

          福島県郡山市に、こおりやま文学の森資料館と言う場所があります。文字通り、郡山市出身の文学者たちを紹介するもの。その中でも特に力を入れて紹介しているのが大正時代の作家、久米正雄。この文学館をきっかけに久米正雄を知り、その文学と人生に惹かれるものを感じています。それは表現することで心の傷を昇華させてゆくという、文学への姿勢への共感と敬意なのでしょう。 ところでこの久米正雄。近代文学史に少し詳しい人ならば夏目漱石の門下生であった事大をご存知かと思います。さらに学時代の親友、松岡譲と

          久米正雄 破船事件を改めて問う

          宮沢賢治のアイスクリーム

          永訣の朝という、悲痛にして美しい詩。今回はその最後の方に出てくる食べ物のお話です。 『今日のうちに 遠くへ行ってしまう わたくしの妹よ』この、悲痛な言葉で始まる宮沢賢治の詩を愛読なさる方も多いかと思います。ご存知の通り、この詩は賢治さんの二つ下の妹が24歳という若さで結核で亡くなった日の出来事のスケッチ。 この詩の通り、妹トシさんは『あめゆじゅ とてちて けんじゃ』(あめゆきとってきてください という意味。けんじゃは、人に頼む時の方言だそうです)と兄に語り掛け、賢治さんは

          宮沢賢治のアイスクリーム

          高瀬露さん(3)~賢治が残した手紙の下書き

          宮沢賢治が晩年に手帳にこっそり残した詩編(というか日記代わりのメモ?)にある『聖女のさまして近づくもの』これは本当に高瀬露さんがモデルであったのでしょうか。賢治さんがある人物に残した手紙の下書きから、そのことを探ってみようと思います。 一通の手紙の下書きから見えて来るもの前回も書きましたが。この聖女のさましてという詩が書かれたのは、賢治さんが露さんと最後に会ってから6年も経っています。最後に手紙を交わしてからも3年ほど。私は初め、この疑問からこの詩編は露さんがモデルではない

          高瀬露さん(3)~賢治が残した手紙の下書き

          高瀬露さん(2)~宮沢賢治が残した詩の謎

          前回は賢治さんに一途に恋をした女性、高瀬露さんについてお話しました。今回はこの露さんがモデルとなっているのではないかと言われている詩について、考えてみようと思います。 不穏な言葉が並ぶ詩この詩には題名がつけられておらず、一般には最初の一行をとって「聖女のさまして近づくもの」と呼ばれています。短い詩なので引用してしまいましょう。 【聖女のさましてちかづけるもの】 聖女のさましてちかづけるもの/たくらみすべてならずとて/いまわが像釘うつとも/乞ひて弟子の礼とれる/いま名の故

          高瀬露さん(2)~宮沢賢治が残した詩の謎

          高瀬露さん(1)ー宮沢賢治に恋した女性

          37年の人生を独身で過ごし、女性関係では浮いた話もほとんどなかった宮沢賢治さんですが。精神的な意味での恋愛は幾つか体験しています。その中の一つ。これは、賢治さんにぞっこんに恋した女性のお話です。 賢治、30歳の決断賢治さんは大学卒業後、家業見習い、家出などを経て(笑)、今でいう農業高校の教師に就きました。やがてそこも数年で退職。30歳で一人暮らしを始めます。そして自分でも農業をし、自給自足の生活に入りました。農家の子供である生徒たちを通し、農家の苦労を目の当たりにしたことが

          高瀬露さん(1)ー宮沢賢治に恋した女性

          宮沢賢治入門にお勧め作品

          賢治作品の分かりにくさの理由宮沢賢治の作品に関して、「分かりにくい」という声をよく聞きます。 確かに(笑) 賢治作品の難しさには理由があり、賢治自身が「簡単にテーマを読み取られるような作品で満足していてはだめだ」と常に自分を戒めていたというのが、一番の理由だと思います。 また、賢治が熱心に信仰していた法華経では「真に大切な事は言葉では表せない」と語っているそうです。 賢治は法華経の教えを文学に込めようとしました。ですから言葉では表せないものがテーマである以上、分かりにくい

          宮沢賢治入門にお勧め作品

          宮沢賢治・同性愛者説に異議を唱えてみる

          今年2月に放映されたEテレ・宮沢賢治特集がまた再放送されたようですね。 見ていない方に説明させていただくと、「宮沢賢治は同性愛者だった。大学時代の親友・保阪嘉内に生涯恋焦がれて過ごした」という内容のもの。 突っ込みどころ満載過ぎて、逆にどっからつっこみゃいいか分かりゃしねぇ(笑) 「春と修羅」に収録された他の作品読んでねぇなまず、あの某国営放送では賢治が20代半ばに書いた『春と修羅』から引用がありましたが。『俺は1人の修羅なのだ』『このからだそらのみじんにちらばれ』などをも

          宮沢賢治・同性愛者説に異議を唱えてみる