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久米が描き続けてきた労働者

久米文学の主要テーマの一つが労働問題であった。特に大衆小説ではこの労働者をどう描くかという問題を丁寧に扱っている。今回は蛍草で労働者がどう扱われているかを考えてみたい。

蛍草に描かれた素朴なヒーロー

蛍草で、愛よりも自らの誇りを選んで逞しく働く駒子の存在はすでに述べた。更にこの後、主人公がツツガムシ病の研究をする際にヒーローのように扱われるのが地元の名も無い老人なのだ。主人公の後藤は様々な挫折の後に成長。母と慕った老婆の命を奪った病気の治療法を求めてツツガムシ病の研究に取り掛かる。

同じ時期にかつての親友であり、婚約者を奪った恋敵でもある星野もまた同じ研究に取り掛かる事を知るが、競争心というものはもう後藤にはない。この辺りの成長の描写も見事さは、ここでの本筋ではないが触れておきたい。こういう主人公の人としての成長を描いた点もまた、人気の1つであったのだ。

話を戻そう。しかし後藤は十分な研究費用を確保できないため、肝心のツツガムシのサンプルを得ることが出来ない。そんな折、塩爺と呼ばれる地元の労働者の頑なな心を解きほぐして協力を得ることができる。後藤は海外留学の経験もあるエリートだ。(大正時代の海外留学というのは、出世間違い無しのエリートコースである。)その後藤の危機を、地元さえ出たことがあるかもわからない、無学な老人が助けるのだ。読者にとって、これは大きなカタルシスとして受け取られたことだろう。久米はここでも平凡な労働者をヒーローとして描くことで、平凡な読者の人生に寄り添っている。それは読者にとっては時に自己肯定感、時にカタルシスとして受け取られただろうが、根は同じ所から発している。

この久米の労働者へ寄り添おうというテーマはその後の長編でも繰り返し出てくる。久米がその生涯を人気作家として全うできたのは、この点にあったと言っても良いだろう。

労働問題に向かったからこそ描けた価値の逆転

この労働問題と並行して繰り返し語られるのが、価値の逆転というものだ。例えば輝子は良家の子女として育ち、華族に嫁いだ。しかしこの地位のために自由に動くことができない。後藤の医学研究にも金銭面ででしか協力できない。(それも誤解から大きな金額を出せずに自分の指輪を差し出す)この澄子は、平民だからこそ自由が利くお咲を羨む。お咲は後藤についてツツガムシ研究の長野に行くのだ。(恋愛感情はない。身の回りの世話のためである。)先述の駒子にしても塩爺にしても同様に、既成の価値をひっくり返す。これらは久米の意識としては労働問題を大衆文学で扱いたいというものであっただろう。しかし、読者にとっては価値観の逆転という痛快なものとして映る。真摯に労働問題に向き合ったからこそ描けた価値の逆転が、大衆の心をつかむことになった。久米が大衆小説作家として大成したのは、大衆の心に寄り添う事が出来たからこそだったのだろう。久米は大衆小説で突然労働問題を描いたわけではない。処女戯曲の牧場の兄弟、その後に書かれた三浦製糸工場ですでにこの労働問題をテーマにしている。

次回は、久米がなぜ労働問題にこれほどこだわったかを考えてみたい。

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