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【目印を見つけるノート】1536. 寅の日に虎介(清正公)さん詣でのハピネス

おととい手に入れたクロスで眼鏡を拭いています✨👓

📕
村上春樹さんが記事でオススメされていた本を「いいな」と思って検索したら、中古で15,000円以上でした。ひええええ😱😱
借りよう🙍
予約で数ヶ月待ちになるとしても……。

村上さんも記事でおっしゃっていましたが、文庫にしてもらえるといいな✨
通暁している方が「これ、文庫にしたらいいのに」というのが文庫になったら、もっといろいろな世界を知ることができるかもしれません。

📰
けさ、1996年に自分が取材して見開き記事にしたタブロイド紙を見つけました。見るも無惨にボロボロなので、コピーで保存することにしました。
コピーすると、それは当時見ていた校正紙(ゲラ)のようで、芋づる式に他にもいろいろなことが甦ってきたのでした。
私のように、新聞雑誌兼担になって2年ぐらいの人が見開き面を任される機会は多くありませんでした。取材記事は時事的なものでもありましたので、当時のキャップが打ち合わせの時に言いました。
「いつもの見開きにある囲みふたつは別の面に移すから」
広告以外のスペースを全部使っていいよ、ということです。それもなかなか珍しいことで、軽いプレッシャーにもなりました。

そうして、作った記事を改めて読んでみました。若気の至りとか、拙くて恥ずかしいというようなことはまったくなく、事実関係もよくまとめ、広く関連事項も拾っている。よくできた記事だと思いました。しかも自分の面担はもう1面あって、別面の記事も書いていた。大活躍だなあ🎵
見開きは今治の方の記事で……ちょうど今夏Rayさんが今治に行くので少し不思議な気分になりました。

囲みを外してスペースをくれたキャップも、まだ若いうちに病に倒れ亡くなりました。
合掌。

🐅
さて、きのうは寅の日。
雨も上がって晴天の一日、私は池上本門寺に行ってきました。少し早めに着いて参詣。この日は特別な催しがあったのです。

看板の通りですが、加藤清正公をお祀りする三重塔形式のお堂が再建されたのです。
ほんのちょびっと応援させていただきましたところ、一般として列席するご縁をいただいたのでここで清正公のこと、ご紹介しますね。

加藤清正公は戦国武将の中でもとりわけ有名な方です。
縁あって子どもの頃から秀吉に仕え、数々の戦に従いました。賤ヶ岳七人槍の一人に数えられています。後の朝鮮出兵のさいに虎を退治した話がたいへん有名です(具体的にいつどう倒したのかは諸説あり)。徳川幕府が開かれたのちも、肥後(熊本)一国を任され城下の整備に精魂を傾けるとともに、徳川と豊臣の橋渡し役として力を尽くします。ですが船上で病に倒れ、ほどなくして逝去しました。
大坂の陣で豊臣家が滅んだのはその4年後でしたーーと、ここまではそらで書けます。

加藤清正公はたいへん勇猛な武将で、築城や土木工事の名手でしたが、同時に親譲りの熱心な日蓮宗の信徒でした。戦の旗差物に「南無妙法蓮華経」と記したり、兜に日蓮上人の紋である「蛇の目」を入れていたというのは有名な話です。

その縁で江戸に来た際には、日蓮上人の没した地に建つ池上本門寺を篤く信仰したといいます。伝承では山門から大堂に向かう97段の石段「此経難持坂」と、現在の大堂のところにあった巨大な「祖師堂」を寄進(建造)したと言われています。

此経難持坂。
大堂(当初の祖師堂はこちらより大きかったそうです)。

その信仰心は彼の妻子にも受け継がれ、清正の継室の清浄院、娘の瑶林院、瑶林院の嫁いだ徳川頼宣(紀州徳川家)の娘たち、清正公側室の正応院も日蓮宗に帰依し、本門寺にさまざまな寄進をしています。
徳川ゆかりの女性のお墓は紀州徳川家墓所にあります(正応院は供養塔の寄進をしています。墓所は鶴岡市)。

ここまで結構長かったですね。

そのようないきさつもあって、
文政4年(1821)、本門寺に『清正堂』が建てられました。大檀越(だいだんおつ……特別篤い信徒と言ったらいいのかな)ですし、その頃には清正公(せいしょこ)信仰が熊本から全国に広がっていたのもあります。ただ、こちらの堂宇は1945年4月15日の空襲で他の建造物もろとも焼失します。無事だったのは五重塔などわずかだったといいます。

二代目にあたる『清正公堂』は1952年に再建されましたが、老朽化のため1999年に解体されました。以降しばらく再建が叶わなかったのですが、2021年に再建工事が始まりました。
そして今回めでたく完成し御披露目の法要となったわけです。

今回の再建にあわせ解体・修理された清正公供養塔(瑶林院寄進)
境内の霊宝殿(博物館)では23日から関連の展示も始まります。

私は信徒ではありませんが、
清正公継室の清浄院(しょうじょういん)は水野勝成公の実妹なので、清正公夫妻ともども小説で何度も登場いただいていますし、さきに挙げた徳川頼宣公の姫(松寿院)が登場するお話も書きました。それらの取材(というより散策)で、たびたび本門寺と近隣の寺院に参詣していますので、本当に嬉しく感じています。
お話は公開しています。
『清正公の妻、福山の空を見上げる』(番外編の第一話)

『姫様と猫と勧進能』

一個人として、
今回法要に出席できたのはたいへん幸せなことでした。内容がどうだったかという詳細は書きませんが、皆さまの心尽くしの、本当に素晴らしいもので感動しました。
宮大工の棟梁さまによれば150年は持つ普請だそうで、まず次回は見られません。人生に一度きりのたいへん貴重な経験をさせていただき、光栄などという言葉では表せないほど感謝しています。

法要のはじまる前の一葉。

本当に、書いてよかった☺️
書かなければ来ることはなかったはずです。
勝成公にも、ありがとうございます。
ご褒美のようです。
心からそう思います。

お堂の清正公の像の背後には宗祖の日蓮上人像がいらっしゃいます。僭越ながら拝見したさい、「清正公はとても喜んでいるはず」と思いました。

寅の日の虎介さん(清正公)に深甚の感謝を込めて、
どうもありがとうございます。
合掌。

今日はこの辺で失礼します。
小説も昨日アップできました🙏
お読み下さってありがとうございます。

尾方佐羽

予告 次のお出かけ予定は日曜日かな🤔
ダン、ダダン、パン、パン。
追伸 あ

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