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【目印を見つけるノート】159. オーティスの歌は今も生きている

今日は、オーティス・レディング(1941~1967)の誕生日です。ソウル、R&Bのレジェンダリーシンガーです。

以前別のサイトに、RCサクセションと絡めてオーティスを書いたことがありました。忌野清志郎さんの命日によせて書いたものですね。今日はオーティスと、1冊の本のことを書こうかと思います。



オーティス・レディングはアメリカ・ジョージア州ドーソンで生まれ、同州メイコンで成長します。音楽好きの家庭で育ったオーティスは学校でバンドを組んでドラムを叩いたり、教会で歌を歌いました。早くからコンテストにも出て名を上げていきました。

その中でブルース・ギタリスト、ジョニー・ジェンキンスに才能を認められ、彼のツアーバンドに加わります。そしてそのバンドで初レコーディングすることになりました。1960年、これがプロ・ミュージシャンとしてのスタートでした。

1963年、22歳のときにはその歌唱力が認められて、ソロとしてSTAX/VOLTレーベルと契約し、ソロアーティストとしてデビューします。
STAXでレコーディングしたアーティストはR&Bでも幅がありますね。ルーファス・トーマス、ブッカー・T&ザ・MG's、エディ・フロイド、ウィルソン・ピケット(アトランティック-STAX)、ドン・コヴェイ(アトランティック-STAX)、サム&デイヴ(アトランティック-STAX)、アルバート・キング、アイザック・ヘイズ(エンタープライズ)などなど。オーティスと縁の深い方もいます。

これがソロ最初のシングルです。
『THESE ARMS OF MINE』、切ないバラードです。

私は最初に薦められたのがこの曲で、レコードを買って聴きましたが、YouTubeだとソフトに聴こえるのはどうしてでしょう。レコードと違うなあ、違うなあ(煩悶する)。もっとこう切々と……(略)。

ただ、デビューしてしばらく目覚ましいヒット曲は出ませんでした。いや、しばらくではなく、大ヒット曲というのはほとんど出なかったのです。『I'VE BEEN LOVING YOU TOO LONG』(1965)がビルボードの21位になりましたが、それが上の方ですね。こちらです。


オーティスが名前を広めていったのはチャートではなく、「ライブ」でした。1964年には通算15万マイルをツアーで回ったといわれています。さきに紹介したのはバラードナンバーでしたが、アップテンポなグルーヴで聴衆を乗せていくのも同じくらいお得意です。
例えば、映画『ブルース・ブラザーズ』でも登場したこの曲。
『I CAN'T TURN YOU LOOSE』

それに加えて、ザ・ローリング・ストーンズの『サティスファクション』など、他のアーティストのカヴァーも積極的にしています。オーティスはどのような曲を歌っていったらいいかということを常に考えていました。それは聴衆を飽きさせないようにという理由があったでしょう。レコード会社のお仕着せではなかったと思います。

その、ライブを基本にしていたことがいけなかったのでしょうか。

1967年6月17日、モンタレー・ポップ・フェスティバルのステージに、彼はブッカー・T&ザ・MG'sのメンバーとともに立ちました。ジミ・ヘンドリックスも出演した、今では伝説のフェスティバルです。『SHAKE』で始まるたった5曲で、彼らは聴衆をノックアウトします。

さあ、これから大ブレークするぞ!というときでした。

同じ年の12月10日、オーティス・レディングとバーケイズのメンバー5人、マネージャー、パイロットの8名の乗った双発機「ビーチクラフト モデル 18」が、次の公演地であるウィスコンシン州マディソンに向かう途中、濃霧で滑走路を見失い近くのモノナ湖に墜落。トランペットのベン・コーリーを除く7人が死亡した。
(この段落はWikipedia『オーティス・レディング』から引用)

その3日前、12月7日に、オーティスはMG'sのスティーヴ・クロッパーと一緒に1曲レコーディングをしていました。これまでとは違った曲調なのでいぶかる人もいたようですが、オーティスが強く録音を希望したようです。

その曲は翌1968年の3月にリリースされて、オーティスは初めてビルボードチャートのトップになったのです。
『(SITTIN' ON THE)DOCK OF THE BAY』です。海のさざ波や通りすぎていく風のような曲です。

あ、涙。

HAPPY BIRTHDAY OTIS!


⚫オーティスを知った本

昔、こんな本がありました。集英社文庫のコバルトシリーズ、『青春音楽グラフィティ』(名田貴好・橋倉正信編 1980)というものです。

このシリーズはのちにティーンズ向けの小説を扱うコバルト文庫になります。現在は電子書籍での刊行になっているようですね。現在のライトノベル興隆のさきがけでしょうか。

この本はその草創期の刊行、ですのでこれがコバルトというのは今から見ると不思議な気がします。

タイトルはきっと、『アメリカン・グラフィティ』からとったのでしょう。何やら微笑ましいですが、中身はすごいです。ジャズ、R&Bからハードロック、プログレ、パンク、AOR……など洋楽アーティストを網羅しています。

私はこれでオーティス・レディングというアーティストを知りました。

ここに取り上げられている80のアーティストは刊行後40年経っても、それほどさびれていないことに驚きます。もちろん、「あの人は今」的な人もいるのですが、スタンダードとして残っている方が大半です。

なぜかな、って思いました。
アーティストの方がもう他界していることも多いですけれど、それを聴いていた、聴いていて演奏者になったりライターになったり、何よりもファンの人たちが自分のルーツとして受け継いできたからだと思うのです。

オーティスの入口が忌野清志郎さんだったという人は少なくない。忌野清志郎さんに影響を受けたアーティストが今たくさんいることは、音楽ファンの方ならよくご存じでしょう。

そのように受け継がれていくのが、「音楽」なのだなと思うのです。

この本のオーティス・レディングの項目はアツいです。その終わりに書いてあることを引用しましょう。

〈60年代後半に、レコードや放送にたよらず、生身のステージで人を惹きつけ、すさまじいショックを与え、そして消えていったオーティス。めぐまれた機材にかこまれ、金のかかった宣伝の中で音楽をしている現在のミュージシャンは、何か忘れてやいないだろうか〉
(同書より引用)

⚫お籠りクラフトとばら

フープイヤリングならぬ、フープネックレスを3種作りました。マリン、ペガサス、フェアリーのモチーフを付けました。

ばらは土を見る日々です。

それではまた、ごひいきに。

おがたさわ
(尾方佐羽)

追伸 水を得た魚さん、よい1日を。

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