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【目印を見つけるノート】82. ライブ配信初観覧記とボードリヤール

無観客配信ライブを初めて視聴しましたので、書こうと思います。
前半はライブの様子で、後半は配信ライブなどについて思うことです。

6月18日、下北沢ラプソディーにて。
藤井一彦さん(THE GROOVERS)の弾き語りライブです。

※以下、歌詞、動画ともすべて紹介のための引用です

ー◆◆ー 前振り ー◆◆ー

弾き語りというと、じっくりと歌を聴かせるのがメインになるかと思いますが、藤井一彦さんは歌うギタリストです。ブルージィでメロウでエモーショナルなギターと歌を堪能できる。そこはちょっと、他にあまりないところだと思います。
彼はアコースティックのソロアルバムを2枚出していますが、その楽曲をYouTubeでカヴァーしている人がけっこういらっしゃいます。アコースティックにも関わらず「コピーしたくなる」というのはミュージシャンーギタリストに対する最高のリスペクトではないかなと私は思っています。

THE GROOVERSは1988年結成で、はじめは4人でした。1991年にヴォーカルの方が辞められて、ギター&ヴォーカル、ベース(高橋BOBさん)、ドラムス(藤井ヤスチカさん)の3人組でリスタートを切りました。ロック、ブルースやソウルなどのルーツミュージック、ファンクetcなどを柔軟に取り込みつつ独自の音楽を創っています。これまで3人組としてオリジナルアルバムを11作、ライブアルバムを1作、ベストアルバムを2作リリースしています。

百聞は一見にしかず、ではなく「百読は一聴にしかず」ですね。

THE GROOVERSのスリリングな1曲です。
『殺伐』

さて、ギターの藤井さんは2008年に『LAZY FELLOW』、2014年に『GEMINI』というアコースティックソロアルバムをリリースしました。弾き語りはこちらのアルバムからがメインで、THE GROOVERSの曲、カヴァーなどで構成されています。カヴァーも日本語で歌うのが藤井さん流です(やっている方はいらっしゃいますが)。


ー◆◆ー セットリスト ー◆◆ー

〈セットリスト〉
1.  Tonight I'll Be Staying Here With You(Cover)
2.  夕闇ウォーカー
3.  今を行け
4.  Key To The Highway(Cover)
5.  路傍のダイヤモンド
6.  情熱と呼ぶには
7.  気の持ちようさ
8.  I Want You(Cover)
9.  Birthday(Cover)
10.Better Than Life
11.Gemini
12.Hello, Lazy Fellow
13.The Other Side Of The End
14.What's Going on(Cover)
15.確信犯的ストレイシープ
16.美しき人よ
(アンコール)
17.最後の煙草に火を点ける

ー◆◆ー ライブ ー◆◆ー

最初(1)は定番のBob Dylanのカヴァー。「今夜はここにいることにした」というフレーズが画面越しの聴衆を安心させます。あなたも自分もここにいるよ、という空気は画面越しでも感じられました。

ここから続く(2)もディランを彷彿とさせますが、長距離列車に乗って一人旅に出たときの切ない気持ちを呼び覚まされます。言葉では「未練は無用だ」と言っているのにギターはそう言っていない。

(3)は10年以上前の曲ですが、
今の状況に合っていると思いました。それでも「今を行け」ですね。

(4)はブルースのスタンダードな曲です。ビッグ・ビル・ブルーンジーのヴァージョンが有名ですが、マディ・ウォーターズはじめジュニア・ウェルズ、エリック・クラプトン、ローリング・ストーンズ、B.Bキングなど多くのアーティストが演奏しています。藤井さんはこの4月に『うたつなぎ』でも一部演奏されていました。
いっぺんに空気が変わって、骨太なざらざらした手触りのブルースのモードに。

この辺りまではトークが微妙にぎこちなかったかな。スタッフの方しか観客がいないから。

(5)はとても美しい曲で泣けてしまうほど。私の大好きな曲です。静かな夜、月の灯りだけに照らされている景色が浮かびます。

(6)は前からライブではお馴染みですが、音源には未収録。「情熱と呼ぶには少し冷ややかな」というくだりがとても繊細です。激しい曲も作られていますが、心の揺れるような言葉が時たま出てきます。その繊細に揺れる感じが実は彼の作る歌詞の真骨頂かもしれません。

この辺りでお話もいつもの調子になっています。

(7)でググッと持ち上げたあと、(8)~(9)とカヴァーになります。
BOB DYLANの曲、THE BEATLESの曲。ディランの(8)はシンプルで美しいサビとメロディに寓意が重なる、なかなか複雑な歌詞ですが、日本語で聴くのは新鮮です。
藤井さんはこのライブの日お誕生日で、実はポール・マッカートニーと一緒。ですので(9)は、「誰でもコピーしていい曲じゃないんですよ」と前振りがありました。「きみも誕生日なの? ぼくもだよ」という歌だからこの日に生まれた人しかできないと、そういうことですね。ポールに会えたらいいですね。

観客への素敵なプレゼントだったようにも思います。

(10)からは文字通り、藤井さんの独壇場です。
早いカッティングのギターが視聴者の鼓動も上げていきます。ブルージーなこの曲の迫力も凄かった。

(11)では歌詞にグッと来ました。
「明日笑って死ねるとしたら
 幸せだとか
 そんな小さな夢ではないぜ
 きみが見たのは」

(12)も歌詞に唸りました。
「言葉にした瞬間に醒めてしまいそうで
沈黙の枝にぶら下がる男
言葉にしなければ何の意味も無いことを
本能的に知っている女」
 男女の機微かな。

(13)はTHE GROOVERSの最新アルバム『RAMBLE』から。これは自分がとても力づけられた歌です。苦しいときを乗り越えて、喜びを知って、次の列車で行こうって歌うことばがとても素敵です。

(14)はマーヴィン・ゲイのカヴァー。くどいようですが、日本語で歌っています。こちらもライブの定番で、観客とのコール&レスポンスも恒例なのですが、できないですね。
この歌の「これからどうなっていくんだろう」という空気は今とても強く感じますので、本当なら現地で言いたいのですが、お部屋で失礼しました。

(15)はテンション最高です。画面越しでも、「ああ、ギターの弦が切れてしまう」とハラハラするほど激しい弾きかたで(プロですから加減はお分かりでしょうけれど)、十分ドキドキさせていただきました。
他のライブのときの映像です。
『確信犯的ストレイシープ』

(16)はこれもスタンダードなナンバー。いろいろな言葉が走馬灯のように滲んでいますけれど、ラブソングだと思います。
追い求めて焦がれても、なかなか手に入らないものって、ありますけれどそれでも求める。
生きているというのはそういうことでもあるのかな。
その姿が人の美しさのようにも思います。

アンコールはこのような形態だとどうなるのかなって思っていたのですが、ライブチャットでかかったので、演ってくださいました。

(17)はTHE GROOVERSのライブでもしばしばエンディングを飾る曲です。「最後の煙草に火を点ける」、ハンフリー・ボガードのような、男性のニヒルさを感じます。ひとつの仕草で深い感情をそっと出す。
今ならどんな仕草ができるのかしら。


ー◆◆ー無観客ライブ配信についてー◆◆ー

ライブの最後の方で、藤井さんは初めての無観客配信ライブをまとめるようにおっしゃいました。

「普段と同じではない……
これはやっぱり代わりにはならないなって、
俺は思うんですけれどね…。
今はこういう状況なので、いろいろなことをやってみていこうじゃないか、ということを思っています。
やっぱり、ライブはその日、そのとき、その場所に来てくれた人たちのものっていうのが、考えとして俺は大きいんですけれど」

そして、いろいろな形に付き合ってください、
と締めくくられました。

私のような観客が「ナマで見たい」と思う以上に、当のアーティストの方々もライブを取り戻すためにいろいろなやり方を考えていらっしゃるということが、よく噛みしめられることばでした。

配信ライブは面白いし、便利です。寝転びながらでも、やけどの手当てをしながらでも見ることができる。前の人で見えなくなることもない。小さな画面越しでもアーティストの熱を感じることができる。配信期間の間は何度でも視聴することができる。あるいは見逃してしまってもあとから見られる。本当にありがたいツールだと思います。

そう、何度も見てしまいました。これで1ヶ月ぐらいほわほわしていられます。ありがとう!

以下、上記のライブからは離れます。

それならば、配信さえあればいいのかなというようなことを4月からずっと考えていたのです。今だけというのではなく、この形がメインになっていくかなということ。

前に、今だからこそ構造主義などの本を読んだほうがいいのではないかということを書きました。私がこのことについて、繰り返し思い出すのはジャン・ボードリヤールの『シミュラークルとシミュレーション』(法政大学出版局)という本です。内容はここで詳しく書けないのですが、ごめんなさい。内容も忘れているかも……。

この記事は素晴らしくまとまっています。
『美術手帖』より
https://bijutsutecho.com/artwiki/87

簡単に言うなら、無数の配信=現実ではないのです。例えば今回のライブも期間内なら何度でも見ることができる。キング牧師の演説のように。ただそれは、現実ではなくなっていく。現実にあったひとつのことの記録(アーカイブ)、無数の反復、無数の再生になるのです。
「今の現実」という認識が個人それぞれにあるならば、それはまったく問題ではないでしょう。おそらく私が気にかけているのは、この作業の繰り返しの中で、現実と現実だったものの境界線が曖昧になって、慣れきってしまうことなのです。場合によっては、始めから現実でないものも入ってくる。それはもっとコワイ。

「えー、大げさだよ」という声が聞こえてきそうです。でも、今って意識されているかはともかく、そうだと思います。そして、現実と引き換えに失うものもあると。

そこで、『マトリックス』のネロよろしく、仮装現実でスミスさん(無限のコピー)と戦いながら現実を取り戻そうと思ったりもするのです。

ライブはひとつの例ですが、
この災禍が通りすぎたら、ライブに、わたしの現実に、思う存分浸りたいと思います。

今日は他のコーナーはお休みします。
4000字を超えてしまったので。

それではまた、ごひいきに。

おがたさわ
(尾方佐羽)

追伸 何か誤りがございましたらご一報ください。

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