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ドイツでときどき出会う「ファッション☆ワル」について考えた

昨日、街を歩いていたら、向かいから走ってきた自転車の青年が「ニーハオ!」と言って去っていった。

私の住む街はドイツの東側というのもあって、そこまでアジア系の人がいない。それゆえなのかなんなのか、たぶん侮辱の意味でやっているんだろうな、という声かけに2,3ヶ月に1回くらいは遭遇する。

だいたい言われる言葉は「谢谢」か「你好」。
今のところ遭遇しているのは、自転車に乗っている10代~20代前半男性2名、3,4人の女子グループor男女グループ。

自転車の場合は自転車に乗ったまますれ違いざまに言う。
グループの場合はすれ違いざまか、路面電車などを待っているときに、ちょっとこちらに近づきつつ、ギリギリ「谢谢」と聞こえるような言葉を言って、ニヤニヤしながらこちらの様子を見る、みたいなチキンレース形式でやってくる。

ドイツ語を話せるであろう人たちがあえて中国語を使い、アジア人に見える(と思う)私に仕掛けるのだから、差別といえば差別なんだと思う。

ただ、なんだろう……私には若者のいたずらにしか思えないのだ。
ゆえに、なんとも怒りにくいと思ってしまうのが正直なところだったりする。

今回はそんな人たちの私なりの受け止め方と、自分の思考から追いやる方法を書いていこうと思う。


日本にもいる、人をイジメたい人たち


こういうことに遭遇したときまず思うのは「似たような人、日本でも町中やSNSにいるよな」ということだったりする。

どちらのやり口も、私は日本にいたときに日本人からされたことがある。
中国語でこそないけれど、日本語で罵声を浴びせたり、わざと悪口を言いにグループの一人が近づいてきたり、わざと大きめの声を出す。
そしてこちらの様子を見ながらクスクスと笑う。

日本の場合、自転車逃亡系は若年層だけでなく、おじさん・おばさんなどもいたけれど。まあ、それくらい長年一般的となっている手法なのだろう。


イキりたいティーンとそれをイタいと思うティーン

たぶんこれは典型的な イキり 」だ。
「イキり」とは「虚勢を張ったり威張っている」ことを言って、概ねそれが他人から見て痛々しい場合に使われる言葉だ。

つまり自分より社会的立場や身体能力などで弱い(と勝手に思っている)相手に威張ることで、優越感に浸ったり憂さ晴らししたりしているのだと思う。
まあ、よくあるイジメをする人の心理だ。


年齢のことも考えると「悪いことやってるオレ&ワタシ」という部分に恍惚としているところもあるのだろう。
でも何かしらの制裁を受けたくないから、すぐに逃げられる自転車に乗りながら言っているし、弱い心を隠すためにグループという群れで、自分たちよりも少ない人数で歩く私に対して言っているのだ。


状況からそうとしか思えないから「イキりとイタいのコンボだドン!!」という、なんとも言えない気持ちになる。
怒りというより痛々しくて、顔がチベットスナギツネみたいになる。

これは侮辱への怒りというより、呆れが強い。
なんなら少しノスタルジックな気持ちにすらなる。昔、学生時代にこういうクラスメイトいたなー、元気かなー……みたいな。


ちなみにこの国にいるティーンエイジャー~20代の人のなかには、それが良くない行動なのだと理解している人もいる。

昨日の自転車に乗って「你好」と叫んだ彼は、結構人通りの多い道でやってきた。
だから道脇にあったカフェのテラス席にいたティーンたちにも聞こえていたらしく、彼らがものすごい目を向けていた。
私よりも明確に、侮蔑と怒りに満ちたまなざしだった。

見た限りではあるけど、彼らはアジア人ではない。
でもティーンの二人はその行動が正しくないことを理解している。
だからそんな顔をしていたのだろう。


四半期に一度のイベントみたいになっていることを考えても、ドイツの若年層にもこういう行動が差別にあたることだという教育が概ね施されているのだろう。
そうなると、こちらに「你好」やら「谢谢」と言って楽しんでいる彼らは、それを知りながらわざとやっている。
彼らは若さを持て余した無知な人間なのだろう。
この「無知」は無教育というより、それをやったことで今後自分に降りかかる可能性があることが推測できない、という意味での「無知」なのだと思う。


”憂さ晴らし”に人種を利用する「ファッション☆ワル」


そんなやり方も含め、本当の差別主義者とは違うと思う。
本当に差別したいなら、逃げる必要もチキンレースみたいなこともする必要が無いのだ。
「自分がやっていることは正しい」という顔で、侮辱してくればいい。
こちらの感情を逆なでするための「 煽りプレイ 」みたいなやり方を選ぶ必要がないのだ。そういう意味でも、差別がしたいと言うより、弱いものイジメで憂さ晴らしをしたい、という気持ちが先行しているのがわかる。
憂さ晴らしのための弱い者イジメのきっかけに、人種を利用しているに過ぎないのだ。


未成年がタバコ吸ってみちゃうとか、お酒飲んじゃうとか、門限破ってみちゃうとか、そんなものと似た感覚でやっているとしか思えない。
「いけないことをしている自分」への陶酔、もしくは精神的な自傷行為ともいえるのかもしれない。

そういう「ファッション☆ワル(カタカナが続くと読みにくいので、☆をつけてあげた。おしゃれでしょ。笑)」をすることで、自分の中にうずまく何かを慰めているのだろう。

そんな自分の母親に「クソババア」と言ってしまうようなノリで差別的なことをしちゃう感じがもう、イタさしかない。


だって今後まともな大人になったら、黒歴史にしかならないのだから。
いくら白人系の人が多い世界で生き続けていたとしても「ティーンの頃、道を歩くアジア人に暴言を吐いてました」と言って称賛されることはさすがにない。
めちゃくちゃレイシストな団体や企業に所属するなら別だけれど、たくさんの人が国を移動して生きている中、人種差別が今より野放しになる未来はおそらくないと思うのだ。

そう考えると、黒歴史だと思えるくらい世界を理解して精神的に成熟できたとき、素直に反省したり、何か言い訳をしたりして、最終的に忘れていくのだと思う。

人間の成長に失敗はつきものだし、10代から20代ほど色々失敗しておいて損はない時期はないと私は思っている。
だから「ファッション☆ワル」に付き合ってあげた私も何かしら役に立っているのだろう。
(あんまり相手にしてないから、付き合っているといえるか怪しいけれど)

むしろ、こんな無視で済むことしかほとんど遭遇していないことに、ラッキーだなと思い、感謝している。
私がドイツに暮らしていても、現地の会社で働いているわけではないし、現地で子どもを学校に通わせるみたいな機会もない。
かなり社会的なつながりが薄いから、これくらいで済んでいるというのもあると思う。

差別は声をあげなければなくならないというのもあるけれど、たぶんこのタイプのことは、100年後も200年後もなくならないと思う。
だって、同じ国の人同士でもやるのだから。人種がきっかけになりにくくなる未来はくるかもしれないけれど、この手の意地悪はたぶん人間の脳などが進化しない限り起き続けるだろう。
「肉体的・社会的に弱い人をいじめる」ということは、2000年以上前から絶対あったと思うし、それがたかが100年やそこらで変わるとは思えない。

そして、自分自身も無自覚に似たことをやってしまっていないかは本当に考えたほうがいい。
多数決したら負ける側の人種でいる経験をしている今、本当にいろいろと考えさせられることが多いのだ。


”桶屋的”な視点から社会貢献に期待する


私はこの子達の親でもないし、この国と街にはあと1年ほどしか縁が無い。この子達を指導したりどこかに突き出したりして、こういう行動が自分自身を貶めることになると教える必要はほぼない。
彼らの人生など、正直どうでもいいのだ。そんな小さい嫌がらせで楽しんでいる子たちが、本格的なレイシストになってこの国をそういう道に進ませるとは到底思えない。


でも私はドイツに来て、ドイツに住む人たちに助けてもらったことは何度もある。それは、「ファッション☆ワル」に絡まれる頻度より圧倒的に多い。

そういう「ファッション☆ワル」の彼らはともかく、私がそういうことをされるのを見て「ああいうことはしてはいけない」と認識するまっとうな人たちの成長が促せれば、私もこの国やこの街のコミュニティに恩返しできていることにもなるような気がしている。
それもある意味での社会貢献だ。

バタフライエフェクトほどの規模の変化はなくとも、「風が吹けば桶屋が儲かる」みたいな出来事を期待している。


「ファッション☆ワル」の私への行動で「よくないこと」を再認識した人が、私がこの国から去ったあとに、この国で私を助けてくれた人たちを何かしらで助けてくれたらいいなと思う。

「ファッション☆ワル」たちがまともになってくれたらより報われるけれど、そんな期待も息苦しくなるお年頃だろうから、とりあえず放っておく。ゆっくり育ってくれ。


モヤッとを頭から追い払う「お前のこと誰が好きなん?」


とはいえ、普通に街を歩くだけで「ファッション☆ワル」に定期的に絡まれるのは楽しくない。
引きずるのも嫌なので、なにか切り替える言葉があればなぁと思っていたのだけれど、ついにそれを見つけてしまった。


それは「お前のこと誰が好きなん?」だ。


ご存知の方もいると思うけれど、この「お前のこと誰が好きなん?」はお笑い芸人で霜降り明星の粗品さんが、自分の動画へのアンチコメントなどに対して言い放ったことで話題になった言葉だ。
2022年頃からあって、粗品さんの歌のタイトルにもなっている。


この言葉は、アジア人をからかってイキるイタい人たちを頭から追い出す撃退ワードとしても、かなり有能だと思う。


自転車に乗って暴言を吐いて去ることしかできない”自転車暴言逃亡君”と、群れないと暴言が吐けない”友達いないとイキれないちゃん”たちよりは、私は多くの人に好かれている自信がある。


私も別に、友だちがとても多いタイプではない。
「私は愛されている」と言いふらせるほどの自信もない。

けれど自転車に乗っている彼はいつも1人で単独行動している(しかもそれが街に二人はいる)、群れている彼らも本人を含めて最大4人くらいのことが多い。
少なくとも私は、もう少し多くの人に受け入れてもらっていると思う。

日本というアジアにある国にも、私を友だちと呼んでくれる人がいる。
note上にだっている(と思っている)。

「目の前の外国人は一人でも、その外国人の故郷があるということを忘れちゃいかんよ?」と思う。
たった一人を侮辱したことで、巡り巡って国単位の騒動になることがあるのだ。実際今、そんな話題が世界をよく賑わせている。
それこそバタフライエフェクトだ。
そういう可能性があると想像できる能力が必須な時代になっているのだと思う。


あと、若く見えているかもしれないけど、下手したら私はあなたたちより2倍年取ってるからね!?!?
私より年上の人にやってるの、見たことないもんな???
お前たぶん私を20そこそこだと思ってんだろ!!正座して謝れ!!!それがジャパニーズスタイルや!!!


みたいなことを考えていたら、呆れる気持ちがだいぶ消えた。
というか面白くなってしまった。


「お前のこと誰が好きなん?」

もし本当にそれを彼らに問いかけたら、たぶん自分すら、自分のことが好きじゃないような人が多いような気がしている。
本当の意味で満たされていたら、道を歩いているだけの人に嫌がらせをする意味がないのだから。
楽しい場所へ行くために自転車に乗るとか、一緒にいる人たちとの楽しい経験やおしゃべりに時間を使ったほうが絶対有意義な時間になる。

それをしないで攻撃している時点で、満ち足りていない何かがあるのだろう。
そういうのも含めて青春だね。外国人を巻き込まず身内で勝手にやってくれ。

こちらとしても、そんなよくわからないことに時間を割くより、自分を大切に思ってくれる人たちであり、私が大切だと思う人たちと、楽しい時間を過ごしたいのだ。
その方が絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に幸せだ。



「お前のこと誰が好きなん?」

この言葉、結構最強かもしれない。
ドイツにいながら、強力な迎撃ワードを生み出してくれていた粗品さんに感謝したい。スパチャはしないけど(笑)、帰国後にライブなどを観に行きたいと思う。


最後に注意書きとしてまとめておくと、この言葉はあくまで迎撃ワードであって、何もしてきていない人に突然浴びせる言葉ではない。
つまり反撃用であって、攻撃の初手で使う言葉ではないのだ。
それをやると自分がイジメていることになり、人を傷つけることになるので注意が必要だ。

私は引き続き「ファッション☆ワル」に遭遇してしまったときなどに、用法用量を正しく守って、主に脳内で使っていきたいと思う。


最後にお礼を

そしてそして、この記事を書くにあたってミアシバさんのこちらの記事のコメントでのやり取りを参考にさせていただいています!
「差別の根本は、学校のイジメと同じ」というお話と、上で書いた定期的に自分の身に起きている出来事が重なって、すごく納得しました。
本当にありがとうございます。

そして、ころのすけさんのこちらの記事も学ぶことの多い内容で、とても勉強になりました。
長く海外で暮らされ私以上の経験をしているころのすけさんの「そんな小者にとらわれたりしないと、さらりと受け流したい。」という言葉は、とても響きました。ありがとうございます。

※そしてお二方とも、突然記事を貼ってしまい申し訳ありません!
もし削除ご希望でしたらコメントやメール等々でご連絡ください。



最近「人種って結局なんなんだろうな?」と思う面白い(興味深い?)出来事が立て続けに起きていて、色々考えているので、似たようなネタの記事が続くかもしれません。
自分の知識と思考の限りでの記事ですが、ご覧いただけたら嬉しいです!

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