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ニッコリ笑って、うっちゃって

「インディージョーンズ」の子役ショーティ。そしてなにより「グーニーズ」のチビッコ発明家データ役で、80年代に鮮烈な印象を残したあのキー・ホイ・クァン。

昨年「Everything Everywhere All at Once」でアカデミー助演男優賞を受賞し、その復活が話題になったけれど、彼の名前がこの春、ふたたびメディアにのぼることになった。

ちょっと残念な理由で。

ミラー紙やエクスプレス紙は見出しで「ロバート・ダウニーJrがオスカー受賞時のキー・ホイ・クァンへの'無礼な'振る舞いで非難された」と書きつつ、彼の態度を非難する声と、初めてのオスカーだからしかたないと擁護する声の両方をネット上から引用した。

実際どういうことが起きたのかはこの短いビデオで確認できる。

アジア人の私の目にはどう考えても敢えて無視しているようにしかみえない。受賞に観劇したとか緊張したとかだなんて思えない。

日本人じゃない目にはどう映るんだろう。
初めての受賞だし、大舞台だからでしょと映るんだろうか。
思わず、数人にビデオをみせて訊ねてしまった。

「いや、これ、あきらかでしょ。ただの失礼なヤツ」

「オスカーなんて興味ないからみたことないけど、キリアン・マーフィーの受賞のときはちゃんと全員とあいさつ交わしてるよね。じゃあ普通じゃなくマナー違反ってことでしょ」

そうか。白人の目にもそう映るのか。
ちょっとホッとしている自分がいた。
自分が被害過敏になってるわけじゃないと確認したかったところもある。

アメリカにいたとき、南部の州に派遣された仲間たちは苦労していたけれど、私が住んでいたのはリベラルな中西部で、そこまであからさまに差別を受けることはあまりなかった。

それに、私には強い味方がいてくれた。

ヨーロッパだけでなく、南米や、インド、中東で。中国人に間違われる。そんなの日常茶飯事だ。
それは、日本で白人がみんなアメリカ人だと間違われるのと同じこと。

「ニーハオ」とか「チノ」と遠くから叫ばれるのもあるあるだ。
でも、Nの音が2回続き発音しづらいうえに、長くて覚えられない「コンニチハ」より「ニーハオ」のほうが圧倒的に他の言語話者の耳に残るのも理解できる。

目をひっぱって細い目を強調される?
ANAが金髪のかつらと偽物の鼻をつけたコメディアンを使ったCMを作って日本人以外からの苦情が放送開始から殺到したのは2014年のことだ。

広告のメッセージ自体はとてもよかったのだけれど。

単に日本人が最初に思いつくガイジンはアメリカ人だからであって、他意はない、というのなら。
同じように、彼らにとってアジア系で最初に浮かぶくらい世界どこにでもいるのが中国人というだけかもしれない。

ヨーロッパ人たちはみな「よりによって、アメリカ人と一緒にされたよ」と頭をかくけれど、それを差別というひとは聞かない。
アメリカ人が、大声で、なんにでもケチャップをかけて、自分の国が一番だと信じていて、フットボールを肩パッドつけてプレーしちゃって、英語しか話せないひとたちだ、とヨーロッパ人に思われていることまでしっかりふまえて「え、それ、マジ、アメリカ人かと思った」とブラックジョークをいうのは、私みたいなごくごく一部の日本人だろう。

もちろん、これまで海外にいて、ちゃんとしっかり悪意の毒だって投げられてきた。

ニューヨークで、昼食には遅すぎて夕食には早すぎる時間のレストランに行ったとき。
どうみてもすべてのテーブルが開いているのに「満席だからテーブルはない」といわれた。カチンときたので食い下がったら、下膳口とトイレのすぐ近くのテーブルをあてがわれた。「窓際には、大事なお客さまがいらっしゃいますから」。
実際、そのあと入ってきたブロンドで毛皮を着込んだ中年の白人女性は窓側のテーブルのひとつに案内された。なにかをささやかれたその女性はこちらを向いてわざわざ「あら、ここもずいぶんいろんなお客さんがいる店になったのね」といった。
あのときの目つき。
彼女の薄い唇に塗られた口紅の赤。
鮮明な記憶だ。

大学院時代、ミシシッピ川岸を走る観光列車の予約をしようとして、予約係のおばさんに、名前を何度くりかえしても通じず、スペルアウトしろといわれたときに、「NはナーチのNね」といわれて意味が分からなかった。
当時のボーイフレンドに「普通はNovemberのNっていうよね。意味が分からなかった」といったら、顔を真っ赤にして「なんだよ、それ無礼すぎる。ナチスってことだよ。日本名って気づいたから嫌味をいったんだよ」と。
愕然とした。
嫌味をわかって、ちゃんと怒れて、反論できるくらいもっとシッカリ英語ができるようにならなくちゃと思うきっかけにもなった。
(この話を思い出したので、今日のランチ時に話したら「そんなのヨーロッパのカスタマーサービスで云おうものなら、すぐにクビか警察を呼ばれるレベルだぞ。なんだそれ。あたまくるな」と、20年以上前の話なのに、友達がえらく憤慨してくれた)

ロンドンにきたばかりのころ。
地下鉄の中で、泥酔したイギリス人の青年に「おまえ、日本人だろ!俺の大叔父さんはアジアでお前らに殺されたんだ!俺らの国からでていけ!」と絡まれたこともあった。
でも、それは差別といっていいのか分からなかった。
だって。第二次世界大戦で敵対国だったのは、歴史的事実だから。

自分が生まれた国、母国と呼ぶ国にいたって、男だからとか女だからとか、若いとか年寄りだとか、ジェネレーションなんとかだとか、どんな教育を受けたとか、どこ出身だとか。
とにかくいろんな理由でラベルを貼られる。
ラベルを貼るのは「区」別するからだし、区別をつけたら、そこに「差」もついてくる。

自分で選んで、その国を出てきた。
日本でされていた、「女性社員を担当にしないでほしい」とか「オンナだから課長に昇進したんですよね」「附属育ちなんですよね」といったことばから自由になった代わりに。
他のラベルがくっついてくる。
でも、これまでにそんなこといっぱい経験してきたから。
どこにいったって、区別も差別もあると思ってる。

それに。

そもそも、自分がただ被害者だとは思わない。
だって、私自身は差別をしないのかと問われたら、答えに窮するから。

夜、フードを被った黒人の男性が向かい側から歩いてきたら、カバンを握る手を強めないか。
日本のコンビニで、外国名の名札のレジ係さんの日本語に厳しかったり、少し手間どっただけでイラついたりしないのか。
中国や韓国、タイやインドネシアのひとたちがブランドの紙袋をいっぱいさげてナイトブリッジやピカデリーの駅から地下鉄に乗り込んでくるのを冷めた目でみていやしないか。

金髪とつけ鼻のCMのように。

意識してるか、無意識かなんて関係ない。
私たちだって、自分がされて嫌なことを、他の人にしてはいないだろうか。

キー・ホイ・クァンは、1985年の「グーニーズ」大ヒットの後も俳優を続けた。
でも、ハリウッドにはアジア系の役は少なく、当時のマネージャから「アメリカ風の名前にしたら」といわれ「ジョナサン・クァン」や「ジョナサン・キー・クァン」名義にした時期もあったという。

結局、彼は俳優の夢を諦め、裏方としてキャリアを重ねていく。
そんな中での、2018年。
アジア系ばかりがキャストされたハリウッド映画「Crazy Rich Asians」が大ヒットとなった。
それを観た彼は悔しさをつのらせ20年ぶりに俳優に再挑戦する決意を固め、
「グーニーズ」で共演した後芸能関係の弁護士になっていたジェフ・コーエンに彼のマネージングを依頼した。

グーニーズの食いしん坊役だった
ジェフ・コーエン

その2週間後に舞い込んできた仕事が、昨年のオスカー受賞につながった「Everything Everywhere All at Once」。

私の旅路は、ボートからはじまりました。1年難民キャンプで暮らしました。そうしてなんとか、遂にここまできました。
よくこう言われます。『そんな話は、映画だけの話だよ』と…。
まさかそれが私に起こるとは、信じられません。
これこそがアメリカンドリームです。
人生最高の名誉ある賞をお贈りいただいたアカデミー、そして私をここまでたどり着かせるため、数多くの犠牲を払ってくれた母親に感謝しています。そして、弟のデイヴィッドにも。彼は毎日私のことを気遣って連絡してくれました。愛してるよ、ブラザー。
A24にも、(監督のふたり)ダニエルズ、ジョナサン(・ワン)、ジェイミー(リー・カーティス)、ミシェル(・ヨー)、そして『グニーズ』以来生涯の友、ジェフ・コーエンにも感謝します

キー・ホイ・クァン
アカデミー助演男優賞受賞スピーチ抜粋

「Everything Everywhere All at Once」での夫役は「力強いマッチョ」と「優しいけど弱い」男性像を対比させるもの。
アメリカ的な「力強いマッチョの勝ち組」は、けれども、作品のなかで称賛されるヒーローと描かれてはいない。

インディジョーンズでも、グーニーズでも、キー・ホイ・クァンはそんなマッチョなヒーロー役でなく、自分一人が輝くのでもなく、インディを助け、グーニーズのメンバーと手を取り合って、最後にみんな一緒に勝利をつかむ役だった。

キー・ホイ・クァンの受賞を喜んだ
ハリソン・フォード

かたや、ロバート・ダウニーJr。
今回助演男優賞を受賞した「オッペンハイマー」での役は、ストローズという靴売りからのし上がった政治屋。
オッペンハイマーとアインシュタインが交わす会話を遠巻きに眺めて、被害妄想を深める矮小な男。
天才へ嫉妬する凡人。

役柄を離れた彼本人も、サンタモニカ高校時代の同級生で、先に俳優として成功したロブ・ロウに、嫉妬以上の激しい感情を燃やしたとロブ・ロウのポッドキャストで語っている。

あるいは、マッチョなヒーロー。
でも、エゴが強く、仲間との協調性に欠け。
だからこそ最強の敵との戦いで犠牲になる筋書きになったトニー・スターク(アイアンマン)の役。

もちろん役柄ではあるけれど。
なんだか象徴的ではないか。

残念ながら、差別や嫉妬や羨望というものは、この世に、ニンゲンの中に、どす黒く存在するものだと思う。

もちろん、
だから黙って許せというのではない。
諦めようというのでもない。

でも、やっぱり。
そんなことって、あるものなのだ。

だから、せめて。
自分は、されたら嫌なことを他の人にしないようにしたい。

もし、自分がされたときにも、キー・ホイ・クァンのように、ニッコリ笑ってステージ裏で一緒に写真を撮ってみせ、さらりとうっちゃってみせたい。

こころの中でハラワタが煮えくり返っていたとしても。
そんな小者にとらわれたりしないと、さらりと受け流したい。

相撲の決まり手「うっちゃり」。
土俵際まで押し込まれたときに、体をひねって、逆にその押す力で、相手を投げ落とす技。
語源は「うちやる」。

うち‐や・る【打ち▽遣る】
[動ラ五(四)] そのままにしておく。かえりみずにほうっておく。うっちゃる。
「代助は平生から、此位に世の中を—・っていた」〈漱石それから
遠くへやる。放して置く。
「御髪は、こちたく清らにて、九尺ばかりおはしますを、結ひて—・られたり」〈夜の寝覚・四〉
屈託した気持ちなどを晴らす。
「なにとなく見聞くごとに心—・りて過ぐしつつ」〈右京大夫集詞書

goo辞書「打ち遣る」の意味

そんなもの、うっちゃっておけ。

相手の差別意識も、侮蔑も、尖った悪意も。
そのベクトルが強いほど、ふいと身をかわせば、相手のほうが落ちていくはずだから。

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