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「話さない = 何も考えていない」の文化を目の当たりにしたときのこと。

ここ数日、フランス旅行中の気づきをまとめていますが、
今回は英語も含め、人とコミュニケーションができるツールをまともに持たない人に訪れた現実も、正直にお伝えしようと思います。


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 展示会の後行われたカクテルパーティー。
うかがった展示会は、開催期間中の各日の夜にパーティーが用意されていて、私が行った日はカクテルパーティーからのディナーパーティーという、華やかなイベントが続く日だった。


 カクテルパーティーは立食形式のパーティーで、ディナーパーティーの前に行われる。基本は食事やお酒を堪能するというより、出展者と来場ゲストが入り混じりながらソーシャライゼーション(社交)を行う場だ。
自分の会社や仕事のことについて話す人もいるし、もう少しプライベートなことを聞くこともある。服装も自由で、かなりカジュアルなパーティーだった。
 しかし出されるシャンパンや、立ったままでも食べられる一口サイズのおつまみ、いわゆるフィンガーフードがどれも美味しくて感動した。
さすが美食の国と言われるフランスである。

 そこでとある男性が、私に近づいてきた。
その方は南米出身の方で、海外にある日本企業で働いた経験もあるらしい。
英語で話しかけてくれたが、その方はおそらく出身国の母国語と現在働くヨーロッパの言語、3カ国語以上を操ることができるらしい。
 私は、素直に優秀な方だと思った。


 彼は南米のまともに教育が受けられない現状を熱く語ったり、今いるヨーロッパのやや閉鎖的な風潮(あまり自国から出たがらないムードがヨーロッパにもあるらしい)、日本が好きだということも語ってくれた。


 日本のことについては、お寿司が好きだという話から始まり(日本の高級な寿司屋のお寿司は本当に美味しいと言っていたので、アレンジの効いたお寿司というよりは、本格的なお寿司が好きなようだ)、社会的な問題についても語りだした。


 日本は彼の母国とは異なり教育環境が整っていて、世界的にも高い水準の教育を男女ともに受けている。
 それなのに男女格差がかなりあり、女性の社会的な立場の弱さや、子育てなどに注力して社会進出しない雰囲気が気になるという。

 これは、あくまでも彼から見た日本の姿だ。
それに私が7割程度しか聞き取れていない英語なので正確ではないが、概ね聞き取れているだろう夫と、居合わせた英語が堪能な日本人女性がともに苦笑いしていたところを見ると、概ね話はそんな『深い議論の必要そうな話』だったのだと思う。


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 話せる言語の数も含め話を聞く限り、彼は逆境から必死に勉強をして今の地位を獲得した「 努力の人 」なのだと思う。だからこそ、自分の国より恵まれているのに変わろうとしないヨーロッパ諸国のムードや、日本のことももどかしく思えるらしかった。


 日本でこういう話をする人は「 意識が高い 」などと揶揄されがちだけど、私はこういう意識を持つ人が嫌いではない。自分の意見の強い押し付けさえなければ、気づきとモチベーションをくれる人たちだからだ。
 私の英語スキルではヒアリングに徹することしかできなかったけれど、興味深く話を聞かせてもらった。

 日本人の私には若干デリカシーがないなと感じてしまうトピックも正直あったけれど、話しかけてきてくれたことに感謝していた。その勇気と、コミュニケーション能力は素晴らしいものだから。


 そして話は概ね理解しながらも、まともな相槌もできない自分が申し訳なかった。私の隣にいた夫と居合わせた女性は返答をするけれど、私はほぼ何もできなかったから。
 この出来事の数時間前に「 言葉は道具である 」ということに気づいてはいたのけれど、残念ながら社会問題を語れるほどの語彙力は全く持ち合わせていないし、パーティーという場の緊張感にも飲まれてしまっていた。
 二人にサポートを受けて私の意見をやんわり伝えては貰ったが、私は話していないのと同じだった。




 そんな後ろめたさが心に募っていくなか、彼は私を見てある質問をしてきた。



Do you study English?英語の勉強はしているの?



 私の中でぴしっと何かが張り詰めた。
 聞いてばかりで会話に参加できていないのだから、こう言われるのは当然だ。そしてどういうニュアンスで言ってきたのかはわからない。

 「(英語が話せないみたいだけど)勉強頑張ってる?」みたいなカジュアルな質問なのかもしれないし、彼のパーソナリティやそれまでの会話内容を含めて深読みしてしまうと、「日本で良い教育を受けているはずなのに、まだ英語が話せないの?」とか「努力足りてなくない?」みたいなニュアンスもあるかもしれない。
 深読みをしたらきりがないが、返答に困った私はこの会話で一番顔がひきつっていたと思う。


 それに気づいた彼は、挨拶もそこそこにその場を去った。
夫は「今、彼女はドイツ語を勉強しているよ」などとフォローを入れてくれたが、彼からしたらこの場でコミュニケーションが取れないことの方が気になったのだろう。


***


自分の努力不足なのだから、こう言われても致し方ない。
今の自分のスキルではこうなることはわかっていたけれど、実際にこういうことがあるととても悔しかった。


 発音や文法ばかりを気にしなくても伝えたいことは伝わる。
それに気づいてから数時間しか経っていないのに、結局私は何もできなかった。


私だって彼の意見に色々思うところはあった。
でも言葉がひとつも口から出てこなかった。


***


 海外生活をするようになって、「『話さない』=『何も考えていない』」と思われる経験を何度かしている。


 日本には人との衝突や問題が起こることを回避するために、あえて言葉を濁したり何も言わない「 グレーの文化 」がある。
 だから何も言わなくても表情や雰囲気から察してもらえたり、「黙っているのは何か理由があるのだろう(つまり何か考えている)」と思ってもらえることも多い。


 しかし海外にはこういう「 グレーの文化 」はあまりない。
特にこういうコミュニケーションを取るための場であれば、大抵の場合「 何も考えていない人 」に認定される。社交のための時間に黙っているだけなのだから、そう思われるのは当然といえば当然だと思う。
 そういう意味で、話しかけてきた彼からすると、力説しても暖簾に腕押しのような私の反応が気に入らなかったのかもしれない。


 だから、仮に彼が意味深長なニュアンスを持った「Do you study English?」を言ってきたとしても、私は失礼だと思うのはお門違いかもしれないと思った。
 先に失礼なことをしたのは、私かもしれないから。


 私は「 失敗した 」と思った。
他にも日本から来た人たちはいるけれど、その人たちは私みたいなミスもせず、うまく会話をしているようにみえる。
やってしまった。


 でもここはうなだれることもできないし、退場できる場でもない。
まだパーティーでの社交は続いているし、この後にもまだディナーパーティーがある。
 なによりここで私が行動を起こすことで、仕事で来ている夫や行動をともにしている他の方たちの邪魔や迷惑にはなってはいけないのだ。


何もできない自分が悔しかった。
そして社交に水を差してしまったことが申し訳なかった。


そして、どこかで挽回したいという気持ちが芽生えた。
できるだけ早く、自分から何かを発したい。
そのチャンスを見つけたい。
もちろん周りに迷惑をかけない範囲でだけれど。



このままでは終わりたくない。



申し訳無さと悔しさと、
変なタイミングで沸き起こる負けん気を抱えながら、
ディナーパーティーに挑むことになるのだった。


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