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得意げな「イタダキマス!」を放たれて

旅行をしていると、ときどき日本語を話す現地の人に出くわす。
たぶんヨーロッパに限らず、観光地で客引きとかチップのためにやることの一つとして、相手の国の言葉で話すというのがあるんだと思う。

この前ローマへ行ったとき、遺跡に続く石橋にグラディエーターくらいの時代の甲冑を身にまとった大道芸人(と言っていいのかわからない、写真撮ってチップもらう系)二人組が立っていて、私たちが話す日本語を聞きつけたのか「コンニチハ!」と近づいてきた。

適当に挨拶を返してスルーしていると、「サムライ、ハラキリ」という定番の日本語とともに「カンナム・スターイル!」と言いながら例のダンスを披露してくれた。愉快な人だなと思った。


観光地らしい場所であればあるほど、カタコトでも日本語を話して興味をひこうとする人がいる。そういう客引きのお店は「ツーリストトラップ」と呼ばれるような、観光客向けに普通やそれ以下のものを高く出すお店も多いから、あまり入ることはない。
アジアだと怪しいお店に連れて行かれたりすることもあるらしいし。

でもこの前、ちょっと変わった日本語に出会った。
それはローマの中心部からほんの少し住宅街にあるレストランでのことだった。そのお店は歴史を感じるブラウンの落ち着いた内装に、クラシックなバーカウンターがある。けれど入口近くにはモダンな背の高いスタンディング席もあって、初来店でも気兼ねしないちょうどよくカジュアルなお店だった。
雰囲気のいいお店のウェイターの男性はとてもフレンドリーで、どこから来たかを聞いて通じそうな言語のメニューを案内してくれる。そこに追加サービスとして、お客の出身国の言葉で話しかけていた。

私たちも「コンニチハ」などと言葉のサービスを受けながら注文をして、料理が一通り届いたときのことだ。
ウェイターさんはにこやかに、そして少し得意げにこう言った。


「イタダキマス!!」


私たちは思わず笑ってしまった。
「いただきます」を誘導されるのは久しぶりだ。私は中学生以来かもしれない。
社会人や大学生が食事を始めるときは「おつかれー」とか「かんぱーい」とか大体乾杯の音頭がとられることが多かったし、高校生のときは給食だったけれど、「いただきます」をクラス一同で言っていた記憶はあまりなかった。

たぶん彼は日本語でいうところの、「めしあがれ」を言いたかったのだと思う。イタリア語で言うところの「ボナペティート(Buon'appetito)」が翻訳ミスか、その他なにかしらの理由で食べる側の挨拶を覚えて、料理に添えてくれたらしかった。

日本語とヨーロッパの言語は、文字や文法以上に「文化」という高い壁がある。だから対訳できない言葉があったり、日本語を直訳して言うと全く理解されないことは結構ある。

でも言いたいことや気持ちは伝わるし、ウェイターさんの得意げな表情もキュートだったから、そのままでもいいか……?と思った。
けれど、そのウェイターさんは30代になっていないのでは?というくらいの若い見た目で他のウェイターに丁寧に指示を出しながら動いている店長かマネージャーみたいな人のようで、お店を盛り立てていきたいという気持ちが見ているだけでありありと伝わってくるような人だった。
町中にいる客引き目的の適当な日本語遣いとは明らかに違った。

一人10ユーロしない前菜セットを頼んだら、このサイズの煮込み料理2種と右端に映るハムと焼き野菜のオードブル、そしてパンが出てきた。料理も価格もサービス精神がスゴイ。

想定外の量の前菜を夫と二人で食べながら、やっぱり日本人としては日本語を文化も含めて知ってもらえたら嬉しいよね……という話になった。
客引きみたいな足を止めさせるための日本語遣いなら、どんだけ変な日本語やどんだけ古いネタを言っていてもほうっておく。
けれどウェイターの彼のような一生懸命な人に教えるのは、彼の役にたてることでもあるんじゃないか。

そんな議論の末、結局私たちは説明しようということになった。
会計のためそのウェイターさんが来てくれたとき、料理を提供するときは「イタダキマス」じゃなくて「メシアガレ」だよ、「イタダキマス」は食べる側の人が感謝するときに言う言葉だよという話をした。
ウェイターさんがめっちゃ興味深そうに聞いてくれた。「これがサービスの一環だったらびっくりするよな!?」っていうくらい親身になって。

聞き取れないくらい馴染みのない「メシアガレ」という言葉を何度も私たちに聞きかえし、なんとなく覚えられたあとお礼を言ってくれた。

こちらもしれっとついてきたパリパリのフォカッチャ(だと思う)

適当に相手されることも覚悟していたので、その真剣さを見れられただけで救われたような気がした。
海外にいるからって、普段から日本を背負って生きている感覚は正直ない。まったくないわけじゃないし、後からここへくる日本人の印象が悪くなるようなことはもちろんしない。
でも、わざわざ宣教師のように日本文化を教え広めようとはしない。聞かれたり求められたらする、くらいだ。じゃないと普通に考えて鬱陶しい。

だからちょっと勇気がいったけれど、たまに訪れるこういう機会に、自分たちの国のことを話し、それをちゃんと聞いてくれるのは嬉しかった。
私はカタコト英語なので、ほとんど夫が話してくれたけれど、おこぼれ達成感を味わうことができた。
なんていい夜なんだろう!


会計を済ませ、パンパンのお腹とともに晴れやかな気持ちでお店を出ようとすると、さっき日本語の話をしたウェイターさんがわざわざ出口まで見送りに来てくれた。
なんてフレンドリーな人だ!!

嬉しくなりながら、こちらも「Grazie, ciao!」とイタリア語で挨拶していると、ウェイターの彼が笑顔で挨拶してくれた。


「ハジメマシテ!」


なんと衝撃的な見送りだろう。
去り際に「初めまして」は、「イタダキマス」よりもインパクトがすごい。だって言われたことないもの。

でも彼は絶対にこちらを喜ばせようと思って、調べてくれたに違いない。またもや間違っているけれど。
たぶんイタリア語の「会えてよかった」とか「Nice to meet you」みたいな言葉を、日本語翻訳した結果「ハジメマシテ」になってしまったのは容易に想像がつく。さっきの「イタダキマス」もそんな感じだったから。

これも彼のせいじゃなく、翻訳ツールのせいであり、言語&文化差によって生まれた悲劇だ。「罪を憎んで人を憎まず」ならぬ、「ツールと文化差を憎んで彼を憎まず」なのだ。
やい、翻訳ツール!よくも彼の好意をオモシロにしてくれたな!!



お店も混んでいるし、ここで日本語解説をもう一度するのには抵抗があった私たちは、笑いながら「はじめまして」と言って店を去ることになった。
言語の距離が遠いと、こういうことが起きる。そして翻訳ツールにはまだまだ越えられない壁があるのだと分かったのだった。



カレーソース飛び散り過ぎでは?と思ったけれど、このまま出すのがドイツスタイル

それから1ヶ月以上経ち、私は母とともにケルンのビアレストランに入った。
そこのウェイターのおじさんもサービス精神旺盛な方で、二人の前にカリーブルストとホワイトアスパラを置きながらおじさんはスマートにこう言った。



「イタダキマス!」


まただ。
そして熟練したウェイターのおじさんは特に私たちへリアクションを求めるでもなく去っていった。
きっとリアクションを求めるでもなくなっているくらいには使い込まれた、いぶし銀の「イタダキマス」なのだろう。

そんなウェイターのおじさんを見送りながら思った。
ヨーロッパには「召し上がれ」にあたる日本語が「いただきます」だと教え広めている人がいるのかもしれない。


おい誰だ!出てこい!
お前に「召し上がれ」と本物の「いただきます」を教えたる!!


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