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お金のため”だけ”なら、とっくに辞めている

「写真を買いたいです」

このひとことが、カメラマンにとってどれほど喜ばしいことか!

写真を気に入っていただけた
この方の人生の思い出になるのか
お金を払ってでも欲しいという価値があるんだ
自分のキャリア、技術、活動が認めてもらえている

さまざまな感情はあります。
一番は「価値を感じていただけた」ということかもしれません。

それは「私の感じたストーリーに共感してくださった」ということだとも思っていて、それが唯一無二でなによりうれしいです。

写真を撮るのは、タダではない

撮ることで生計を立てている身としては、撮ること自体に私のキャリアや技術が詰まっているし、時間も消費しています。

そこを評価していただけた、という気持ちがうれしいですし、さらに精進しようと身が引き締まる思いです。

モノを買ったり、サービスにお金を払うことと同じで、1枚の写真にも莫大なコストがかかっています。

それをwebやSNSで気軽に見れてしまう時代になったから、価値がわかりにくくなっているのではないでしょうか。

今の世の中はなんでもタダで物が手に入りすぎる

写真もそう。
無料で保存できるのがあたりまえ。
著作権なんてあったもんじゃない(SNSのアイコンにするのも著作権違反ですからね)。

しかもそれは本当にタダではなく、お金は発生していることがほとんどです(広告だったり別の収入減が確保されている)。

私のサイトは全て保存禁止にしています(二次利用、無断転載厳禁)。
事情は想像していただければわかること。

対会社であれば契約があり、撮ることに対して報酬が発生します。
個人の活動(ライフワークと呼ばれるもの)はお金を生み出すのが本当に難しいと実感しています。

やっていることは同じでも(むしろライフワークの方がやることが多め)どう収益につなげるか、というのは腕が問われます。

そのあたりはこれから成長していく必要があるところ。

お金のためだけなら、たぶんもうやめてる

カメラマン(フォトグラファーでも写真家でも呼び方はなんでもいい)は撮ること自体か生業なので、お金になる、ならないは根本気にしていないところはあるのではないでしょうか。

撮りたいから、残したいから、現場に行く。

ここは撮り手としてずっと持っていたい感情です。
仕事でもライフワークでも撮りたいという内からの気持ちが作品に全部出ます。

もちろん生きていくために最低限のお金は必要ですが、昔ある新聞記者の方によく言われたんです。

「それ撮ってお金になるの?」

ああ、感覚が違う。
別にわかってもらえなくていいけど、世間はそういう見方なのか、と。
もちろんわかるんです。
同じことしてお金にならないのになぜ撮るのか、というのも。

ただそれは撮り手としての使命というか、うーん、表現が難しんですけど、私が残して伝えていきたいっていう、ただそれだけ。
あとは純粋にその被写体と向き合っている時間が楽しい。
自分を成長させてくれる。

ライフワークでは仕事で難しいことを試したり、仕事で得たことをライフワークに還元したり、相互作用で私はいいことしかないと思っています。

だからお金のことだけ考えてたら、ライフワークなんてとっくにやめているし、そもそもやってないでしょう。


ここから先はとても複雑な胸中を書いていきます。
価値を感じて「買いたい」と言ってくださっても、それが叶わないケースです。

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