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48.人はわたしの名前を知っていても、私の人生は知らない。でもね、幸せだったよ!
「人生は、あなたが望まない限り最悪にならないわ」
2013年5月28日、イギリスの12歳の女の子がこの世を去りました。
彼女の名は、アテナ・オーチャードちゃん。
家族が見守る中、そっと息を引き取りました。
アテナちゃんは骨肉種と診断され、化学療法の治療を受けていました。
幼い身体に抗がん剤はとても苦しかったはずです。
アテナちゃんは日々何を感じ、何を想い、何を願い続けていたのでしょう。
待ちこがれていたクリスマス。
アテナちゃんはその準備中に自宅のキッチンで意識を失いました。病院での検査の結果、頭に悪性腫瘍が見つかりました。
彼女は10人兄弟の3番目で、6人の姉妹と3人の兄弟に囲まれて育ちました。
スポーツが好きで女の子なのにボクシングに夢中になり、とても活発で明るい子どもでした。何よりも、常に物事に対してポジティブで賢い子だったと両親はマスコミにコメントを残しています。
7時間以上に及ぶ手術を受け、抗がん剤により大切な髪の毛を失い、だんだんと痩せ衰えながらも希望を失わずに生きようとしていました。
母親が泣いている時は「ママ、泣かないで」と励ますほどしっかりとしていました。しかし、半年以上にわたる治療は彼女の体力を奪っていきました。
やがて、動けなくなります・・。
そして、5月28日になりました。わずか12歳の女の子。それでも生きようとし続けていた女の子。周りには常に笑顔を絶やさず、励まし続けてきた女の子。両親は後悔と悲しみの渦のまま時が過ぎて行きました。
ある日、荷物の整理しようと娘の部屋に入った父親が、壁に立てかけられていた大きなスタンドミラーの裏側をふとのぞいてみると、その鏡の裏面に、びっしりとサインペンで書かれたメッセージ(遺書)がありました・・。
それは、驚るべき約3000語に及ぶ言葉の数々でした。
「幸せになれるかどうかは、全て自分次第」
「人生がハッピーエンドに終わるかどうかよりも、ちゃんと内容のある人生だったかが大切なの」
「人生の目的は、人生に目標を持つこと」
「幸せは目的地じゃあなくて道順よ。そこを勘違いすると、平凡な人生になるか並外れた人生になるかの分かれ道になるの」
「家族がいてくれて感謝してる。信仰心を忘れず自由で幸せに、そして気を若く保ってね」
「人はわたしの名前を知っていても、私の人生は知らない」
「わたしが何をしたか知っている人も、わたしが何に耐えてきたかは知らない」
「愛はガラスみたいなもの。見た目は美しいけど壊れやすいから」
「愛は希少で人生は奇妙だわ。永遠に続くものなんてないし、人は変わっていく」
「どの日も特別だから最大限に生きなくちゃ。明日は不治の病になるかもしれないんだから、毎日精一杯生きてね」
「人生は、あなたが望まない限り最悪にならない」
「毎日は特別な日」「ありがとう、いてくれて感謝している」「幸せになってほしい」「忘れないで」まるで、わたしは幸せだったよ、と語りかけているような言葉の数々です。
まるで娘がそばにいて話しかけているような気がして、両親は泣きました。
彼女は、最後の最後まで幸せだったのだろうと両親は語っていました。
※情報・英紙デイリーメール記事より─
わずか12年の生涯です。
人生とは不思議なものですね。
100歳まで元気に生きたとしても、後悔を残す人がいますね。
膨大な資産を残したお金持ちであったとしても、まだまだ望むものを手に入れることができないと後悔する者もいます。
50年、60年、70年、80年生きたということでなく、「内容ある人生だったかが大切」、日々を大切に、どう生きてきたのかというところにあると、わずか12歳の女の子に教わったような気がします。
「幸福、不幸はすべて自分がつくり出しているもの」だから、たとえ病気であっても、自分が望まない限り、最悪にはならないという希望を残しています。
彼女は、どのような思いを感じて鏡の裏にメッセージを託したのでしょう。
おそらく、
「わたしがこの世を去っても悲しまないで、わたしは幸せだったのだから。あなたの子どもに生まれて・・」
「どうか、幸せになってほしい、決して悲しまないでほしい・・」
その想いが、鏡の裏のメッセージとなって残されたのかもしれませんね。
101万回目の人生
100万回生きたねこという童話があった。
たしかこんな内容だったと思う。
一匹の猫が100万人の飼い主とともに過ごし、100万回可愛がられ、100万回愛されて生きた。100万回生きたその猫は、自分が100万回生きてきたことを自慢していた。
100万回生きた猫は、101回目の人生で白猫に恋をする。
二人はいつも寄り添い合い、子どもたちにも恵まれて幸せな日々を送る。
しかし、100万回生きた猫の愛した白猫が、ある日突然いなくなる。
白猫は死んでしまったのだ。
100万回生きた猫は生まれて初めて泣いた。
100万人の飼い主に愛され、大切にされた猫は、飼い主たちの死に泣くことはなかった。
100万回生きた猫は泣いたことがなかったのだ。
100万回生きた猫は、白猫を想って100万回哀しみ、100万回涙したあと、死んだ。
100万回生きた猫は、101万回目でやっとその人生を終えたのだった。
さて、あなたはこのお話しをどう感じるでしょう?
人生は1回限り、2回限り、10回限り・・。
人生が1万回限り、10万回限り、100万回限り・・・。
100万回生きた猫は教えてくれます。
100万回生きることが素晴らしいのではなく、たった一度の人生の中で、心から愛する人と出会い、愛し、愛されることが何よりも大切な、生きるということだと。
生きていれば、辛いと感じる時もあるかもしれません。しかし、「人生はあなたが思うほど悪いものではない」という歌があるように、誰もが素敵な人生を生きているのです。
100万回生きられても、一回限りでも、そんなことは取るに足りないことなのです。
105歳まで生きたジョージ・ド—ソンは言いました。
「100年なんてあっと言う間に過ぎていく、200年、300年あっても同じだと想う・・」と。
©Social YES Research Institute / CouCou
coucouです。ごきげんよう!日々の567、雨、風、暑さ、水害、熱中症と世の中は危険でいっぱいですね。私たち年寄りは、それでもかまいませんが、子どもたちは、私たちが子どもの頃に守られてきたように、大人が守り続けなければなりません。いのちって長さや短さじゃあなくて、その時間の中身、濃さにあるような気がします。ならば、思いっきり、後悔なく、たくさんたくさん愛することかもしれませんね。
みんな、読んでくれてありがとう!
愛しているよ!
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