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535.人をけなすよりも、ほめる方が、ずっと気持ちよい、しかもそれが続けば、続くほど味が良くなるのさ~【褒め言葉研究会⑤】

※534.人も自分も歓ぶということは、ほめられることなんだ。褒め言葉研究会④の続き

1.褒められて、煽てられて、豚も木に登り、登り続けたら…

coucouさんはね、褒められた豚さんのように嬉しくて、嬉しくて本を書いたんだ~毎日が、無我夢中~

人生でこんなに机の前に向ったことなんてないくらい~
とにかく書きまくった…。

今思えば、あんなに幸せだったときなんてないかもしれない…。
いいよね、coucouさんが幸せを味わったって、罰なんて当たらないよね~

coucouさんには豊澤会長を神さまにしか思えなかった。

©NPО japan copyright association Hiroaki

1.出版までの道のり


 そして、次に突然、
「君は本を書きなさい!自分の考えを多くの人に知らせて見なさい!」と言われた…。
単純なcoucouさんはその場で本を書く決心をした。
尊敬する豊澤会長からのご意見なのだから頑張ろうと思った…。
でもね、coucouさんは過去に本などを書いた経験や人前で話したことはなかった…。
 
だけど、当然のごとく、数か月しても何も書けない…
文章がまとまらない。

すると、豊澤会長は、
 
「そんなに難しく考えないで、上手く書こうと思うから書けないのだよ。文章には上手い下手などない。それに有名人の真似をしても勝つことはできない。それに文章は人によって表現は違っても当たり前。同じである必要もない。もし、どうしても書けないのなら、話し言葉で書けばいい。講演会の時のように話している内容を文章にすればいい。私の文はほとんど話し言葉だ。話し言葉なら比較対象ができない。誰かと比べられることもないはずだ」
 
coucouさんは、豊澤会長の言葉でまた嬉しくなり講演会で話しているように、友だちと話しているような文章にした。結果は手紙文のようだけれど対象は読者個人に対して語り掛けたんだ。
 
でも、現実は散々だった…。




その話をしたら、その場で豊澤会長は彼を呼び出した。
彼の名は中本繁美(現在一般社団法人発明学会理事長)、豊澤会長の後継者だった。coucouさんね、とっても緊張していたけれど、彼は笑顔でcoucouさんを迎えてくれた。
そして、coucouさんが断られた本を読み終え、
「とても、いい内容だね!僕にはこのように上手く書けないなあ…」
 
また、褒められた~
 
「僕だったらこの内容で5冊ぐらいに書けるかもしれない。それだけ色々なエピソードが書かれているので詰め込みすぎるともったいない気がする。それに、○○の編集は僕も良く知っているがそんなに酷いことを言う人ではないのになあ。でもその助言は正しいと思う。その助言をもとに改良してみたらどう?僕なんて一つの作品を何年もかけて書き直し、修正しているよ!それに何十冊も没になっている」と、彼が書いている原稿を見せてもらった。

そうか、自分で納得できるまで書き続けているんだ…。
何も知らないって、こんなことなんだね…。
30冊も書いている人でさえ努力し続けているんだもの。
 
coucouさんはね、は再チャレンジしてみようと思った。
 
○○出版社からの助言を元に全体の作品を書きなおしたんだ。
書きなおせば直すほど新たなる疑問も生まれた。
そのたびに調査する。
インターネットのない時代なので毎日図書館に通う。
図書館は情報の宝庫だ。
また、静かな場所なのでここがcoucouさんの仕事場となった。

そして、さらに数か月かけて、中本さんに作品を持参した。
彼の言葉は、きっと本当だろう、良い本だと絶賛してくれたんだもの~

そして、売込みの挨拶文、売込みの方法、売込み先の選定を教えてくれた。
coucouさん、はいろいろ調べて、近代文藝社という会社を見つけた。

その理由は私の本と類似の本が出ていなかったことと、文藝の世界にまったく異なるビジネス書の本を売り込んでみた。
また、豊澤会長や中本さんが出版していない出版社に絞った。

©NPО japan copyright association Hiroaki

2.生まれて初めての出版契約書


 そして、近代文藝社の編集長から連絡が来た。
「契約したい」ということだった。

あれから数か月、coucouさんは改良に改良を重ね、ようやく完成した初めての作品なんだ。
東京は文京区目白台。
出版社としては老舗である。
なんとか田舎も者のcoucouさんは道に迷いながら到着。

きりっとした美人編集長宝田淳子さんとの初めての出逢いがこの時だった。
今思えば、文藝が中心の出版社だけど、新しい路線としてビジネスの分野に進出しょうとしていた第一号かもしれない。

本の内容に関しては特段の変更はなく、その場で契約書が出された。
本音をいうと契約内容など初めてのためよくわからない~

契約書には契約内容があり、甲(出版社)乙(著作者)の契約書署名、印税(7パーセント)、発行部数(3,000部)、発行日が書かれていた。
信じられない話だけれど、この時点までcoucouさんは原稿料なるものを貰えることを知らなかった…。

それはね、本が出ることだけで喜びがいっぱいだったからなんだ。
印税は1,500円の7パーセント(315,000円)、発行から3か月後の入金。
再販に関しては印税10パーセントという条件だった。


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3.契約違反?

coucouさんはね、電車の中で嬉しさのあまり原稿を抱きながら帰った…。

そして、仕事場に戻り契約書を改めて目を通したら、「原稿の受け渡し日」「フロッピー入稿」と書いてあることに目が留まった…。

原稿の入稿日?
もう原稿は渡してある。
フロッピー入稿?データー?ドス変換?
まるでわからない言葉だった。

coucouさんは、出版が決定したことを中本さんに報告すると同時にこの意味不明な言葉を質問した…。
「えっ、coucouさん。原稿の元は?」
「元って何ですか?原稿を相手に渡しましたが…」
「それは紙でしょ!元の原稿のことですよ!データですよ~」

coucouさんは驚くべき勘違いをしていた~

この原稿は、もともとは手書きで原稿用紙に書いたものをワープロで打ってもらい、目次や本文のすべてを切り張りですべて貼りつけたものなんだ。
デザインをしていた時代があり、デザインの版下と同じ作成をして約240頁をまとめたものだ。
だから元原稿などなくあるとすれば切り貼り原稿しかない…。

「中本さん、フロッピーって何ですか?データー?それをドス変換するとはどういう意味ですか?」

「…。そう、すべて切り貼りなの、でも仕上がりが上手すぎる、誰も切り貼りだとわからない。そうかあ、デザイナーでもあるんだね、coucouさんは。でも今の出版社は有名人であれば手書きの原稿だけど、今はワープロで文字を打ったものを渡し、そのデータをフロッピーに入れて編集可能にしている。僕もなれない手つきでワープロを打っているよ。」
(現在はほとんどデータで入稿する時代となった)

「どうしたら、いいですかね?何か知恵はありませんか?このままだと原稿納期には間に合わないし、契約違反となってしまいます。それに予定通りに出版されなくなってしまう…」

coucouさんは、慌てふためいた…。

原稿の仕上がりがあまりにも優れているためにcoucouさんがワープロで打ったものを切り貼りして作成し、コピー。すべての編集も出来上がっている状態だったから、そのことを誰もそれに気づかなかった…。
(表紙デザイン、表紙カバー、帯、扉、目次、本文イラスト、図解など昔で言う版下(切り貼り)制作でまとめコピーしたもの)
 
「coucouさん、さすがに、これはまずいよ!こういうときは正直にいうことだよ!そして、すべて打ち直して改めてデータを持参する、納期はやむを得ないでしょう。それでだめならそれも仕方がないこと。大変だけど、正直に…」
 
coucouさんは、お先真っ暗となった…。

だって、契約して印刷発注日が決定して発行日が決まっていたからなんだ…。(契約違反…)

まさにピンチ、絶望…。
 
coucouさんの人生って、いつも天国と地獄の往復…。

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⑤次回続く(読んでね~)



元社団法人発明学会故豊澤豊雄会長(この写真は豊澤会長から頂いてcoucouさんの2冊目の本の表紙の帯に登場してもらった。それは豊澤会長のおすすめ、推薦文付きだった)

豊澤会長の言葉より



私のところに、発明相談にくる人は多い。そういう人はこわごわとやってくる。そこであうとすぐ、
「あんたのネクタイとてもいい柄だね」とほめる。

「顔色がいいね、いくつになったの」

「スタイルがいいね」

と何でもよい、くる人のどこかをほめる。すると来た人は、ホッとして打ちとけてくる。

私の知人にソバ屋のおかみさんがいる。不景気で困るとこぼしている。そこで私がいう。

「お店に来たお客さんのどこでもいい、ほめてみなさい。一人に一つはほめることです。するとお客はよろこぶから、またくる、これが商売繁盛のヒケツです。」
と教える、この主婦さっそく実行したところ客友達ができて繁盛している。

ほめるところには人がよってくるのである。

私は他人の文章をよくほめる、下手でもほめる。

「いい文だなよ、あなた本がかけるよ、出版社はお世話するよ」

こうして昨年は5人もの原稿を本にしてあげた。

そんな関係でオーム社のK常務とS編集長に招かれてご馳走になった。

例によってほめよう会の話をしてS編集長に向かっていった。

「あなたは常務の悪口を言ったり、欠点をみつけてうわさしたりするでしょう。それは損です。常務のどんな小さな長所でもみつけて、ほめて、ほめあげることです。」

すると誰でも上役になるほど馬鹿になるから、ほんとかと思ってよろこぶんです。そしてあなたを引立てます」と言って常務の顔をみた。
するとK常務は、
「その通りです、段々と地位が上がってくるにつれて、味方が少なく孤独になるものです、もしお世辞でもよい、ほめてくれたら百万の味方のような気がします」と本音をいう。

そこで今度は常務に向かって、
「あんたは編集長に、いつも小言をいうでしょう、こんな記事だめだ、だから売れないのだ‥など、それはいけません、部下なんて馬鹿が多いから少し悪い記事でも「なかなかいい記事だ、だから雑誌が売れるのだ、君は編集の才能がある。もっともっとよい記事を書いて世間をびっくりさせてくれ」とやるんです、するといつのまにか名編集長になっています。」と言った。

怒るかと思ったら二人とも大いに共鳴してくれて、その場で金を出して会員にしてくれといわれた。

どこの会社でも同じだが、上司の欠点をみつけるのが上手なものは出世しない、社内で「ほめる会」をつくればその会社は必ず繁盛する。

こうして私は、あう人ごとに、ほめるから、私の衆囲からは金持ちや出世頭がたくさん生まれている。

大デパートの岡田屋の社長岡田吉郎さんが社員にいわく、

「豊沢先生にビールをついでもらいなさい、すると金持ちになれるのだ」といってよく社員をおこしたものである。

とにかく、ほめたものは、みな味方になる。
けなした者はみな敵になる。

ほめる方がずっと得である。最近も次のようなことがあった。


泉あきらという青年歌手がいる。それに草笛を教えると上手になったので、日本一になれるとほめた。

すると満月会の女性軍団が、

「泉さんを日本一の草笛の名人にしよう、それと共に歌も日本一にしよう」

といって後援会をつくった。すると泉さんは感激して、いまでは日本一くらい上手になっている。そして今度は自分から、「いっしょに草笛合奏団をつくりましょう」と毎月一回指導をしている。

歌手よりその方が有名である。したがって、草笛利用で歌手としても有名になっている。


古川みち子という定年退職した女性がいる。

ネーミングが好きである。そこで私は、ほめておだてた。

「古川さん、あなたネーミングの雑誌をつくって下さい。あんたならできる」と何回もおだてた。
すると古川さんその気になって「創作ネーミング集」という雑誌をつくった。懸賞に応募した名前など、たくさん、この雑誌にのせて、著作権にして、長く自分の権利にする、という雑誌である。権利になっていると、いつかは買手があらわれる。

いまでは月に千人以上が自分がつくったネーミングをこの雑誌に投稿して、権利にしている。大繁盛である。


私の事務所の前に理髪屋がある。そこの夫婦。頭のマッサージがとても上手。私は週に2回は、頭をよくするために1回千円でやってもらっている。
ある時、「あなたのマッサージ日本一だ。十分で千円にすればきっと繁盛するよ」とほめた。


学研の編集部で定年になった相川さんがあいさつに来た「あんた編集力がすごいのだから「脱サラ社長ではない、月給もらいながらの「兼サラ社長で儲けよう」という本つくっては、とあだてた、すると本気になって原稿をつくった、それをベストブック社に推薦、すると見事に本になって、いまベストセラーまではいかないが大変な売れ行きである。彼はいま、「一生のうち10冊、本を書くのだ」とはりきっている。


高橋という女性がまた発明好きである。

「あんた料理のアイディア買いますという本をかかないかね、資料は私があげるよ」というと彼女本気になって書いた、近く近代文芸社から出版される。

こうして私のまわりには大金持ちや出世する人、成功する人がどんどん出ている。

私はいままで「ボーナスが出ないから30万円貸して下さい」「コンクール賞金が足らないので20万円‥」などと、その程度の借金を何十人から、借りている。

しかし払ったことはない、また先方から催促されたこともない。

いまでも、借りにいけば、その位なら2つ返事で貸してくれる人はいっぱいある。

これは私がほめてほめてあげた人が多く、成功者が多いからである。

みんなで実行しよう

さあいよいよ実行しよう。
一人で、できないときは、仲間づくりをして、ほめあおう。

どんな平凡なものでも、どこかに美点はある。長所はある。

落第発明だってすばらしいヒントを含んでいる。

泥棒にも三分の理というものがある。一寸の虫にも五分の塊というようにどんな悪いものの中にも、見る目さえ、できると、よいところが、あるものである。そこを見つける目を養い、そこをほめることである。

ほめると自分が心地よい、ということを知らぬ人がある。

悪口をいえば、心がせいせいするなど、と思っていると、それはまちがいである。けなすよりも、ほめる方が、ずっと気持ちよい、しかもそれがつづけば、つづくほど味がよくなる。

今日から大学ノートを一冊買おう、そして、

五木先生のように毎日一つ以上、つけてみよう。その記録は日記をつけるよりも、ずっと楽しい。すると美点長所を見つける力もできて、ほめ言葉だって、よい言葉がみつかるものである。それは俳句や川柳をつくるのと同じである。

相手がよろこんだり、効果のあったほめ言葉はゼヒ本部に知らせてほしい、それを集めて「ほめ言葉」をつくって、作者名を不朽のものにして印税は、その数に応じて払うようにしたい。

⑤に続く(次回も続くコラボ作品)25年ぶりに蘇る~

©NPО japan copyright association


coucouさんです~
みなさん、ごきげんよう~
ここまで読んでくれてありがとう~

多分、このシリーズは10回で終了する予定なんだけれど、最終的には10万文字近くになりそう~

ああ~
おそろしあ~

だって、長いと読んでいただく人にも迷惑をかけてしまう気がするからね。
なんったって長い~我ながら思うんだもの…。


4.そう、褒められるってね、生きてもいいんだよというメッセージなんだもの~

でもね、これを書いていくうちにcoucouさんの父の姿が目に浮かんだ~

coucouさんが子どもの頃、普通のことが一切できなかったけれど、父は長い間の闘病生活にバットマン、スーパーマン、スパイダーマン、ディズニーの洋書を見させ、貸本屋さんから漫画や童話、絵本を差し入れ続けた。

そして、膨大な裏紙。この裏紙は米軍で働いていた父がゴミ捨て場から大量に拾ってきて、coucouさんに絵を描く楽しみを教えてくれた。

coucouさんは、ミッキーマウスやドナルドダックの絵を雑誌を見ながら模写し始めた。

そして、その絵を見るたびに父はcoucouさんを褒めたたえた~

「お~coucou、お前は天才だ~なんて上手いんだ…」と、病院に来るたびに褒めまくった…。

coucouさんはね、褒められるたびに嬉しくて絵を描き続けた…。
そしてね、その裏紙を埋め尽くしてベッドの下の段ボール箱に詰められるようになった。(その数は、数万枚となった)

だってね、裏紙が無限にあるんだもの~

でも、やがて病気が酷くなって鉛筆が持てなくなっていった…。

父は、それでも大丈夫だから心配するな~
必ず助けてあげるから~と、coucouさんを励まし続けた…

coucouさんの父はね、こんなどうしょうもないcoucouさんを褒め続けてくれたんだ。
決してあきらめない、担当の医師にも食い下がり、自分で治すと宣言してcoucouさんを強制退院させ、その日からcoucouさんの父が医師となった…。

そして、信じられないことだけれど、やがて回復していった。
(過去作品と重複するので割愛)

考えて見たら、この世の中で父と豊澤会長の二人だけがcoucouさんを心底褒め続けてくれたように思える。

だから、coucouさんが何十回と生死と、危機状態を乗り越えられたのはこの「褒め言葉」に合ったような気がしているんだ…。

そう、褒められて嬉しかったんだ…。

そう、褒められるってね、生きてもいいんだよというメッセージなんだもの~生き続けても許されるってことなんだもの~

そうなんだよ、みんな~

あなたを愛している、ってことなんだよ~


これはね、coucouさんにとっては「魔法の言葉」だったんだね…。




coucouさんのホームページだよ~みてね~

 
Production / copyright©NPО japan copyright coucou associationphotograph©NPО japan copyright association Hiroaki
Character design©NPО japan copyright association Hikaru

 







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